劇作家の岡部耕大が逝った。
彼の最高傑作の一つ「精霊流し」をつい1ヶ月前に見て、彼の才能にまたも唸ったばかりだった。
戦前戦後に相次いで作られた俳優座、文学座、民藝などという“大御所”と明確に一線を画す形で安保のエネルギーそのままに出てきた(当時前衛の)5劇団(紅テント、黒テント、天井桟敷、早稲田小劇場、転形劇場)がその思想・信条を自由闊達に舞台に表現していた1970年代後半、すい星のごとく現れたつかこうへいが若者の心をわしづかみにし、アングラ演劇界は空前の華やかさを見せていた。
また歌謡界も、安保を機にフォークが若者の心をとらえ、そしてそれがニューミュージックに転化していく過程で、荒井由実やさだまさし、中島みゆきなどの新しい感性が出始めていた。
文壇には、まもなく村上春樹というこれまた新しい感性がデビューを控えていた。
「安保」をじかに見たわけではない。しかしこの国では、戦後の精神的自立は実際はあの頃を起点とするのではなかろうか、という気がする。
いわゆる高度成長に伴われながら、現代の芸にかかわるあらゆるものがあの頃に一気に開いていった。
三島由紀夫はその変化自体を、国体の観点から悲観した。
その考えもわからないではない。
しかしながらエネルギーは出た。間違いなく出た。明治以降初のと言ってもいいぐらいの、若者を中心とする自由を旨としたエネルギーが。
そのエネルギーこそが何かを変え、進めていくものだ。
だがそれほどのエネルギーが、果たしてその後出たことがあっただろうか、、、
ちょうどそのころ、都会の若者の流行りなど一顧だにせず、まるで演歌に先祖返りでもするかの如く昭和にこだわった劇作家が岡部だった。
いや、正しくは、彼がこだわったのは人の情念であり、昭和はその手段に過ぎなかった。
「肥前松浦兄妹心中」という作品がある。「演劇界の芥川賞」と言われる岸田戯曲賞を取ったこの作品は1度しか見なかったが、その弾けんばかりのエネルギーと共に、心に突き刺さる情念の響きが、上記の人気劇団にはない何かを私に語りかけた。
決して大人気の劇団というわけではない。平成の後半になってからはむしろ空席が目立った。
でもその繊細でかつ骨太なセリフは、相変わらず心に刺さった。
ある時、紀伊國屋ホールのロビーにいた岡部に話しかけてみた。
「兄妹心中をぜひやっていただけませんか?」という私に、彼は少しニヤッとして「あれはもうできないでしょう。」と言った。
時代が変わった、とでも言うように。
確かに時代は変わった。
そしてその時代時代に、新しい感性で「オヤッ!」と思わせる脚本家・演出家はいつも新しく出てくる。そういう人たちを探す旅は何とも言えないほど楽しい。
でも情念で語る人は少なくなった。
今の時代はなかなか受けないだろうとなんとなく想像できること、そしてそういう語りができる人自体が少なくなったこともある。
つかこうへいは、それを老若男女に受ける形で語れるいわば天才であった。
岡部は受ける人にしか受けないいわばぶきっちょな劇作家だった。でも決して何者にも迎合しなかった。
そういう演劇人が、また一人いなくなった。
情念を語るとは、言い換えると寄り添うということである。
そしてそれはしだいに人間讃歌に繋がっていく。
多少重いかもしれない。ゆえに近づきがたいところもあるかもしれない。
でも、重くても遠くても、それがある意味、芸の本質なのではないかと思う。
それを長きにわたってストレートに見せてくれた岡部耕大に、今改めて深く感謝したい。