盛和塾福島の例会に久々に出席 過去2回は急きょの業務発生でドタキャン

急に仕事が入っちゃって・・は土俵際で相撲を取っている者の言い訳だと反省しなければいけない 
心の有り様が現実世界に投影するわけだから、ドタキャンする原因はあくまでも自分にある 

私が2回もサボっている間に、その間出席を続けている塾生の成長している姿に気付かされたように思う

開塾直後に比べると、例会出席者はかなり減っているようだが、それは当然のこと。
私のような人もいるだろうし、またこの塾のことをよく理解しないでとりあえず入っただけという方もいるだろうから

ハウツーを学ぶ会ではなく、
塾長の教えを繰り返し繰り返し学び、血肉化していく、その結果人格を高めていく 
という会であり、小手先の技術ではなく、経営の王道を学ぶ会  

日々の業務に苦労をして、学びを得たいという強く欲している人でなければ出席を続けようという気持ちにはなれないだろう 
そういう気持ちがない人に、いくらおいしい水だからと言って水辺に無理やり連れて行ってもなかなか飲もうとはしない

しかし、たとえ学びを得たいと思っても、その動機が不純であったり、利己的であったりすれば、心の真我を幾重にも包んだエゴの壁が学びの吸収を妨げてしまう 
この点、私は少しはましになれたとは思うことがあるが、実のところはまだまだ自分の欲に心を支配されてばっかりだなぁとうなだれてしまうことも多い 
自分を高めようと愚直に強く思い続けなければ変わることなんてできない

久々に例会に出席して、何人かの塾生の中に、懸命に、一心に学ぼうとされている姿をみて、西郷南州の言葉を思い出した

『命もいらず、名もいらず、官位も、金も、要らない奴は始末に困る者である。しかし、その、始末に困る者でなければ、艱難を共にして国家の大業はできない』

心を高めていかなければ、と改めて思わされた がんばろう 
今月の稼働率が目標に未達の可能性が濃厚になってきた 
けどまだあきらめないぞ
こういうときこそ必死で頑張る 
必死でやるから初めて見えてくるものがある
中村天風さんの言葉を引用した稲盛塾長の言葉

『新しき計画の成就は只不屈不撓(ふとう)の一心にあり。
さらばひたむきに、只想え、気高く、強く、一筋に。』

目標の成就を得るには、まずは思うこと、強烈に、そして純粋に。
思念は業を作る 
これも塾長の言葉ですが、思うこと、つまりは考えがいかにその人の行動と人格を作っていくか

結果と自分の思いが裏腹なのは、自分の思いが足りないから、だから努力が足りないから

誰にも負けない努力 
と心に誓っていながら 
最近少し余裕が出てきて、逼迫感がなく、目の色かえてやっているという状態ではなくなっている 

たまにはのんびり、なんて思ってしまう 
けど塾長のマラソンの話を聞くと、やっぱり俺はまだまだ努力が足りないんだ 
まだ足伸ばしてくつろいでいる場合じゃない 

初心忘れるべからず 
さぁ明日も頑張ろう!
さびしい話

当事業所に4ヶ月ほど滞在された方。
私どもでは長期のお受け入れは原則行いませんが、事情がある場合は対応させていただいており、この方については、東日本大震災の影響で長く滞在いただくようになりました。

お元気な頃はお仕事一筋だった方で一途・朴訥とした風で、自己主張もしっかりされるのですが、不器用なところがあり、時にはその自己主張が攻撃的・専横的に映ることもあり、対応に困ることもありましたが、周囲との調和を図りながら極力ご自身のやりたいことを応援するように接しました。

当事業所にいらっしゃる前は、ショートをはしごされていて、新しく開所した当事業所のことをCMさんから聞いて、ショートのひとつという感覚でのご利用をご家族は当初考えてらっしゃったようです。

しかし、当事業所でのご本人の姿を見て、それまでのショートさんとの違いを感じていただけたようでした。
ただ、当事業所では長期滞在をお受けしないという原則があり、大震災が過ぎてしばらくして落ち着いた時にショートステイへ移っていかれました。

その後、ご家族の念願かなって、長らく順番待ちだった特養に入所されたことを聞きました。それから約5ヶ月たった先日、久々にその方のお話をCMさん経由で聞きました。

「せっかく入れたけど、一日中、何するわけでもなくぼーっと過ごしているだけで。
歩行もおぼつかなくなってきて・・。
ここに入れて本当に良かったのかと思い悩みます」と。
当事業所に居たときが一番生き生きしていたとも。

当事業所がすばらしく、その特養がだめだという話ではありません。
さまざまなご利用者がいらっしゃって、それぞれの方のそれぞれのステージに応じて最適な施設や事業所が選択できるような柔軟性があればよいのですが、介護業界の実態としては、特養がかなり大きな受け皿としての存在を求められているがために、その入所者は、自立能力を持った方も、そうでない方とあまり変わらない画一的扱いを受けるということが起こりえる。
今回の話はそれが実際に起きたということ。
入所された特養の代替施設がなく、家族としては選択の余地がなく、今更退所することもできない。

数多くのご利用者さんがいらっしゃる中で、一事業所でやれることには限りがあり、様々の事業所がそれぞれの役割を果たしながら連携してソーシャルワークを果たしていくことが地域福祉に求められています。
とはいえ、今回のご本人をよく知っているだけに、あくまでも結果論ですが、当事業所がもう少し代替的機能を提供できれば良かったのかもしれない、という忸怩たる思いを感じてしまいます。