~致知2012年12月号 五木寛之さんの言葉~



 喜び上手というのはとても大事です。だけど同時に悲しみ上手も大事なんです。
 最近はグリーフケアといって、人の悲しみに寄り添うことの大切さが論じられるようになりましたが、悲しい時にはちゃんと悲しむこと、泣くっていうことが大事なんです。
 戦後よくなかったのは、なんでもプラス思考、プラス思考で、笑うこと、ユーモア、明るい気持ち、前向きと、そんなことばかり持てはやしていることです。でもそれは車の片方の車輪でしかない。もう片方の、深く悲しむ、嘆く、泣く、涙をこぼすことも大事なんです。


~致知 2012年12月号より~


 外寛内明という言葉があります。
 他人には寛大に接し、自分に対しては明晰に、厳しく省みるという姿勢です。
 楽観主義者は寛大なリーダーになることが多く、部下に対して放縦な結果を生むことがあります。悲観主義者は明晰なリーダーとして現状を的確に把握する能力を発揮する一方、部下の動静を厳しく管理し過ぎると息苦しさを与え、組織の力を奪ってしまうことがあります。
 帝王学の書『宋名臣言行録』には、
「明なれども察に及ばず
 寛なれども縦に至らず」
と説かれています。物事はすっかり分かっていても、細かいところをあまりとやかく言い過ぎてはいけない。また、寛大であっても締めるところは締め、放縦に任せてはならないという戒めです。明にして寛、まさにリーダーが刮目すべき教訓といえましょう。
 日本の未来のためには、リーダーばかりでなく国民一人ひとりも自覚を高めてゆかなければなりません。
 これまでの日本人は集団の秩序を重んじることで成長を実現してきました。しかしこれからは、秩序を守りつつも多様性を認め、主体的に行動する人が求められます。実際、そういう社員が連帯し、切磋琢磨している企業は、この厳しい時期においても着実に収益を上げています。
偶然見つけたチラシでカイロプラクティックの講習のことを知り受講。

緊急性、重篤性がないにもかかわらず、何かしら体に不調をきたすと医療機関に頼る ということがわが国では当たり前

医療が非常に重要なのは言うまでもないが、日本人の医療依存は行き過ぎている 
代替医療と呼ばれる分野も巷では広がりつつあるが、医療神話は社会で圧倒的な影響力を持っている けれど、医療だって万能ではないし、医療に頼ろうとする前に、医療以外に活用できるものがあることを考える必要がある 
そういう選択を国民ができるようになる、またしようとするのが豊かな福祉への道
 
国民の医療依存が強いことが国の財政を圧迫し、結果として国民の負担を強いるようにもなる 
本当に医療を必要とする人、すなわち緊急性や重篤性のある方にとってこそ大いに活用されるべき存在に健康保険制度を方向修正し、さほど必要でもないように思える方の安易な医療機関利用を減らし、制度の財政の緊迫を少しでも緩和する必要がある。

私どものご利用者でも、通院して大量の薬をもらってくる方の多いことに驚く 
中には、本人が通院しなくても、決まった薬を毎回処方してくれるお医者さんも居らっしゃる。
本人の状態を見ないのに、何で処方できるんだろうか 
もらう方は便利だと喜んでいるが、本人の体に合わない無駄な薬を買っている可能性がある 
無駄な薬を飲むことの危険性と、浪費される税金のことを考えるべきだけど当事者は目先の利便性が第一で、「別にいいでしょ」

国民皆保険制度の存在がかえって医療依存者を増やしているのは皮肉な話 
緊急性・重篤性の高い方のためにこそ制度が活用されることを願う思いやりの心=利他の心と、必ずしも医療依存しなくてもいい人が医療に頼らないで健康生活を志向するという本来の健康観をもっと多くの国民が見出すようにならなければならない 

厚労省は、予防医学ということを推奨して、医療依存を減らそうとしている 
介護も予防医学のひとつであり、医療には苦手な分野で利用者を援助できるすばらしい福祉サービスだ
私は介護事業を始めて、介護がいかに公益性が高いかを実感し、とてもやりがいを感じている

この世界に従事するようになったから気付くようになったのが、医療でも治らない、マッサージに行ってもだめ、どこに行ったら良くなるの? というお悩みが多いということ 
そういう人の多くは、病院行ってだめだったから、治らないものは治らないんだ、とあきらめている

こういうときに出会ったカイロプラクティックに、私は今 強く期待をしている