ところで、ヨーガでは愛についても語られたりします
主にはバクティ・ヨーガという流派・種類のヨーガで語られるのですが
このバクティ・ヨーガ、日本語にすると
神への親愛のヨーガ
なんて訳されたりします
文字通り、神様を熱烈に信仰して、神様を愛し、神様に全てを捧げるヨーガです
無宗教大国で育った日本人にとっては馴染みがなさすぎて
色々なヨーガの中でもトップクラスで
『宗教臭い(;~∧~;)』
と拒否反応を示す人がいらっしゃるのでは?と思います
けれど、土着宗教があるお国で育ってる方には
すごく馴染みやすくとっつきやすいヨーガでもあります
まぁ、神様うんぬんはそれぞれ感じ方考え方があると思うのでおいておいて
このバクティ・ヨーガでは
真の愛
について学べます
その対象が異性であれ、同性であれ、家族であれ、神様であれ
真の愛の形は変わりません
その真の愛は三角形のようなものと言われています
三角形の角は、その一つ一つが無くてはならない不可欠なもの
その三つの角が全て揃って三角形を形作っています△
そして真の愛も同じように、必要不可欠な三つの特徴が揃って始めて成り立つものなのです
まず第一に、
真の愛は取引をしません
これはよく言う『求めない』と同じと思います
・わたしの為にあれやって、これやって、何か買って
・わたしがこれだけしてあげたんだから、あなたもそれ相応のお返しをして
・一生懸命育ててあげたんだから、今度はわたしに楽させて
・こんなに頑張ってお祈りしてるのだから、願いを叶えて
これらの感情は、異性間だったり親子だったり神様だったり
相手はそれぞれ違いますが『愛する変わりに~をちょうだい』と言うものです
これでは、真の愛にはなりません
落ち着いて考えれば分かると思いますが、
これは『○○のサービスをあげるから、お金をちょうだい』という小売商売と変わらないのです
真の愛は何か返って来ようが来るまいが、
それそのものが(相手が)愛する対象だから無条件に愛するものです
第二に、
真の愛は恐れません
ゴキブリが出るだけで恐怖におののく女性でも
我が子が狼に襲われそうになったら恐れなく守ります
その対象の為なら、恐怖なんてふっとぶのが真の愛
ピンチの時に相手を置いて一人で逃げ去るようでは
真の愛とは言えません
もっと近場で考えると
・彼(彼女)の事は好きだけど、友達に合わせるのは恥ずかしくて嫌だ
・自分の子供がこんなに出来が悪いだなんて近所の人に知られたらどうしよう
そんな小さな恐れを持ってしまう時も真の愛ではありません
また、愛の対象自体に恐れを持つ場合もしかりです
虐待を受けたり、親に相手にされていない子供が
嫌われたらもっと怖い罰があると恐れたり
親から捨てられる事を恐れて
親から愛されようとする為に親を愛するのは真の愛ではありません
カップルの間のDVで
相手の暴力を恐れた心を含む愛もそうです
真の愛において、愛と恐怖は両立しえないのです
そして第三は、
真の愛は比べない
競争はしません
・うちの旦那は隣の旦那より高級取りだから~
・妻は仲間内の奥さんの誰よりも美人だから~
・息子は学校中の子供の中で一番賢いから~
こうゆうのは、勿論その人の特徴として認識して構わないと思いますが
愛する理由にはなりません
また、自分の理想と現実の相手を比べて
何が足りない、どこが違う、と言うものでもありません
愛の対象はそれ全てそのままいつも完全です
ヨーガでは、この三つが全て揃って真の愛と言われています
どれか一つがかけていても
それは真の愛にはなりません
どうですか?
自分の周りに溢れる愛は真の愛ですか?
この真の愛周りからいっぱいもらえたらとっても幸せ
でもそれ以上に、自分自身が真の愛をたくさんの人にあげられたら、もっともっと幸せですね
ベクシィもそうゆう人でありたいと思います
今日も1日お疲れ様でした
この後の時間、また明日も
みなさまにたくさんの愛が降り注ぎますように
Om Shanti & Love ベクシィ