ヨハネは「人殺しは永遠の命を持っていない」と手紙に書きました。
しかし、この人殺しの意味は、罪なき者を殺して、その持ち物を山分けするといった神の義とかけ離れた殺しのことです。
実は、ダビデも一度バテシバとの関係で同じことをしました。
ダビデは、バテシバの夫を殺しました。預言者に一年後に、この件を指摘され、彼は悔い改め、その結果、罪は赦されましたが、処罰は逃れられませんでした。
ヨハネのことばは嘘ですか?ダビデは多くの人を殺しました。
しかし、「ダビデは永遠の命を受ける」でしょう。
つまり、みことばの理解が出来ない多くの人たちが多くの宗派を作っています。
パリサイびとは律法を規則のように考えていました。しかし、それは神のみこころではありませんでした。
現代の聖書第一主義者である多くの福音派の教師は、現代のパリサイ派です。なぜかは、もうお話しました。
しかし、リベラル(自由主義神学)よりはるかに良いのです。
進化論を信じたり、復活を信じなかったり、創世記を神話などと「たわけたこと」を言わないからです。
そう言う牧師たちが多くいるのです。
「憐れみ」は裁きに打ち勝ちます。やもめ、みなし子、在留外国人等、弱い立場のひとたちに、愛を実践する。
これなくして、みことばをただ聞くだけの人は、ヤギなのです。
自分のできる範囲で。まず、家族から愛を実践しましよう。
人は実によって何者であるかを知ることが出来ます。
「良い木」は「悪い実」を付けることは不可能です。
絶対に不可能です。
これを、体験しているなら、あなたは、義人です。
それを、終わりまで守ればいいのです。
どう、思う?
最高!
僕たちも悔い改め、神を信じ、愛を実践して行こう!
そうね。
実践して行きたいわ!!