[ 第51回 ] 新感覚アイドル登場
ポカポカ陽気で
GW恒例の団地巡りは今年も孤独に決行しました。
そういえば子供の頃住んでいた団地の前にある原っぱに”つくしんぼ”が
ニョキニョキ生えていた事がありました。
確かその年以降は見かけなかったのですが、根絶やしにしてしまったのでしょうか?
すみません!
さあ、キミの心の片隅にある「なつかしスピリッツ」を呼び覚ませ!
そして叫べ!「あの日に帰りたい」と…。
ノースリーブとの決別
思春期を迎えた子供達が大人へと移り行くことは誰しもが経験することであり男性であれば
甲高い声が徐々に出なくなり低い大人の声へと変化する。
その過程はなんとも言えない不思議な感覚であり、個人的には自分自身も周りも含め
非常に気持ちが悪いものでした。
小学校6年生にもなると口の周りにうっすら髭が生えて、背中に背負ったランドセルはまるでドリフの
コントさながら、完全にその役目が別の方向へと向かっていて痛々しい人もチラホラ。
そんな身体と心のバランスが崩れていく、人間の一生の内でもほんの僅かな期間ですが、
大人たちは向こう側でおいでおいでと手招きを、こちら側ではジャッキーチェンやコロコロコミックが
屈託のない笑顔で手を引っ張ると!と、身も心もボロボロです。
ボクの場合、中学校に上がっても相変わらずコロコロコミックを読みながらファミコンをピコピコと
プレイし、ノースリーブシャツを着て耳が隠れるくらい髪を伸ばす事が最高のお洒落であると信じて疑わなかった。
転機になったのは何時だろう?当時、ボクが住んでいた地域では夕方に『秘密戦隊ゴレンジャー』の再放送を流していた。
当然ビデオデッキなんて普及していないし、幼少の頃に観ていた記録との相違点もかなり確認できた為、
それこそ一心不乱にテレビに噛り付いて観ていた。
しばらくして・・・暑さも和らぎ街路樹の葉が黄色へと姿を変える頃、クラス中があるテレビ番組の話題で持ちきりになっていた。
日頃仲の悪い男子と女子が一つの話題に夢中になっている。
ボクが「何?何?『勝手にカミタマン』の話?」なんてふざけて輪に加わると、「はぁ?」と明らかに
軽蔑の眼差しで蔑まれ「ゆうにゃんの事に決まっとるやろ」と一喝。ゆうにゃん?ユウニャン?
覚えてください!顔と名前!
「夕やけニャンニャン」は平日の17時から生放送されていたバラエティ番組で、
番組内のオーディションで合格した現役女子高生達による「おニャン子クラブ」が、
アイドル事情に疎いボクの耳にもインプットされるほど人気になっていた。
なるほど、我が町では人気に火が付いた頃にようやく放送が開始された「夕やけニャンニャン」
通称「夕ニャン」についてクラスメート達が熱く語り合っていたわけだ。
そんな「おニャン子クラブ」のメンバーの殆どは芸能人というよりもその辺にいるごく普通の女子高生の
ようであり、その親近感からか同世代の男性のみならず女性からの支持も高かった。
その人気はこれまでのアイドル像を悉く打ち砕く程の快進撃で、気がつけば素人同然の女の子達に
アイドルのフォーマットを根底から揺るがされ、良くも悪くも80年代中期の話題を独占し社会現象となりました。
『セーラ服を脱がさないで』や『およしになってねTEACHER』など次々と発表される楽曲も歌詞で
センセーショナルを巻き起こす。
メンバーは一人一人に会員番号が宛がわれ、ファンにはその会員番号と名前がセットで覚えられ、
後に『会員番号の唄』という自己紹介ソングが発表されるなどおニャン子クラブと会員番号は切っても切れない
代名詞となってましたね。
また、夕ニャンのオーディションコーナーから次から次へと新たなメンバーが増殖し、
メンバー内のソロ活動や卒業など、プロデューサーである秋元元康が後にプロデュースを勤めるAKB48の基礎は
この80年代半ばに出来上がっていたって事になる。
それにしても芸能人と呼ぶにはあまりにも?な素人同然の娘さん達が放課後の部活活動同然に活動していた初期なんて、
他のアイドルや業界内はどう見てたんでしょうね。
きっと心中穏やかじゃなかったでしょう。初コンサートなんて今観たら学芸会ですからね。
そんな訳で、ボクが子供から大人へシフトするその瞬間は『秘密戦隊ゴレンジャー』から『夕やけニャンニャン』へと
視聴対象が移ったこのタイミングだったのでした。
そう、ジャッキーとコロコロは一時お預けで・・・。