子供の頃から引っ込み思案で

内気で泣き虫で

学校が大嫌いだった

先生なんてみんな嫌いだった

 

 

 

小学校なんて燃えてしまえばいい

不謹慎なんてことも理解できなかった

毎日本当にそう思っていた

 

 

 

だけど朝学校に行くと

やっぱり校舎は昨日と同じで

それで毎日がっかりした

なんでこの建物は今日も

ここに存在しているのかと

心底疎ましく思った

 

 

 

小学校にいるときはとにかく

悲しくて悲しくてしょうがなかった

授業中だろうが人前だろうがお構いなしだ

訳もなく涙が溢れた

 

 

 

それをクラスメイトはよく心配して

保健室に連れていってくれたり

先生に報告してくれた

 

 

 

体調が悪いわけじゃない

誰にも理由なんてわかるもんか

わたしはただただ悲しくて

泣いていただけのこと

 

 

 

保健室のベッドに横たわっていると

心底ほっとできた

学校の中じゃあそこくらいしか

わたしが落ち着ける場所はなかった

 

 

 

今考えれば

精神的にアレな子供だったのだろう

だけど昭和のその当時

子供は元気に外で遊ぶものだという

観念が世間に蔓延っていて

そんな疾患や生まれつきの症状や

精神的な病があるなんてことは

誰一人知らなかった

 

 

 

泣いてばかりで元気じゃないわたしは

世間の理想からは遠く外れた子供だった

当然目立つタイプでもなかったし

みんなと一緒になって

ワイワイと騒ぐタイプでもなかった

それは間違いない

 

 

 

 

 

 

事もあろうか

この幼き少女は

今もわたしの底に棲んでいる

 

 

 

目立つことに嫌悪感を覚える

集団で同じことをさせられることに

酷い抵抗感を現す

みんなと一緒になって

ワイワイ遊ぶことには苦手意識を出す

 

 

 

40代となった今でも

社会や組織のいろんなシーンで

この少女がひょいと顔を出してくる

 

 

 

みんなの会話が盛り上がっているところに

ハイと手を挙げて発言することなどは

とてつもなく憚られる

みんなの目が自分に向けられたと感じると

途端に萎縮してしまう

 

 

 

 

 

自己アピールなんてのは

わたしにとっては恐怖でしかない

 

 

 

それでも最近意識していることは

そうであってもやるということだ

 

 

 

だから努力してる

自分の書いた文章や描いたイラストを

できるだけ発信するようにと

ひとりでも多くの人に

見てもらえるようにと

 

 

 

これが簡単にできる人にとっては

全くもって理解できない話なのでしょう

 

 

 

だけどわたしにとっては

それらはすごく大きなことで

ひどく勇気がいることなの

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで書いたようにね

 

 

一生敵わない女子

 

 

 

 

 

 

絵を描くことは、子供の頃の記憶そのもの

 

 

 

 

 

 

お絵描きライブの完成作品!