早いものでちょうど今
夫と別居して一年が過ぎました
 
 
 
日本海の地方都市にいたわたしが
中二の次男を連れてここに来たのは
2019年5月末のこと
 
 
 
全く縁もゆかりもないこの街に来たのは
たまたまここが地元だという友人に
一本のLINEをもらったことがきっかけ
 
 
 
当時フリーランスの立場だったわたしは
賃貸で借りられるような物件に出会えず
ましてや子連れだったために
どこで暮らそうかと迷いあぐねていたのです
 
 
 
そこで前述の友人がふっと
この街のとある物件を紹介してくれました
その何が良かったかというと
わたしのようなフリーランスでも
住める物件だったことです
それを去年の5月の始め頃だったかに
単身で見にいきその場で即決しました
 
 
 
急なことだったので
そのあとすぐに荷物をまとめ
子供の学校の手配に取り掛かりました
 
 
 
 
 
 
 
そんなわたしが今までに
よく聞かれてきた質問は
 
 
 
1.子供の学校はどうしたの?
2.なんでここに来たの?
3.ここに知り合いはいたの?
 
 
 
ほぼほぼこの3点
 
 
 
 
 
 
2・3番目については前述の通り
友人からのLINEにピン!ときて
ああもうそれしかないなと
即決したからです
 
 
 
そこに知人がいるか否かなど
わたしにとっては全く問題じゃなかった
そんなことよりわたしの立場でも
借りられる物件があるのなら
それでもう十分だったのです
 
 
残り1番の子供の学校に関してですが
中学校で義務教育なので
転校の手続きさえ踏めば
それほど大変なことではありませんでした
 
 
 
今時離婚にしろ別居にしろ
大して珍しいことじゃない
ここでわたしが振り切ったことは
自分自身にもそう言い聞かせ
周囲からどう思われるかということを
バシッと手放したことです
 
 
 
それは例えばご近所だったり
子供の同級生の親御さんだったり
先生たちだったり
そういう周囲の大人たちから
どう思われるかということを
どうでもいいことにしました
 
 
 
そして何よりわたしの救いだったのは
別居に対する次男の態度が
全く反抗的ではなかったことです
 
 
 
すんなりと転校を受け入れ
まったく知らない街に
わたしと共にやってくることを
少なくとも後ろ向きには捉えてなかった
 
 
 
 
とはいえ実は
このことに関しては後日談があり
息子は後々不登校になりました
(それに関してはここでは割愛します)
 
 
 
多感な年頃なので
いろんな面で彼にとって
精神的プレッシャーがあったのでしょう
これに関しては当時
わたしもそれなりの苦労があったのですが
今は問題なく元気に学校に通っています
 
 
 
 
別居話や不登校話に関しては
これ一本の記事程度では済まないのですが
わたしのストーリーとして
あえて残しておきます
 
 
 
 
わたしが別居を始めてから
どのように暮らしていけたかは
ここに書いてあります
⬇︎
 
 
 
 
今現在そういった夫婦関係のことや
あるいは子供の不登校
別居や離婚で悩んでおられる方は
ものすごく多くいらっしゃると思います
 
 
 
 
そんな方のわずかな助けとなるような
メニューを出せないものか?
現在別居婚中のわたしができること
話せること聞けること
 
 
 
 
それを考えつつ今日も
夫のいないこの住まいで
息子とのストレスフリーな
生活を送るわたしなのです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  あわせてお読みください

 

 
 

 

現在募集中のメニューです

⬇︎

 

★マンツーマンのオンラインレッスンです

 

 

 

 

★こちらは女性限定

 

 

 

 

★こちらは男性限定(ご予約承り中)

 

 

 

 

  この記事の作者
吉原 紅(よしわら べに)

 

1975年生まれ 夫とは別居婚中

2019年の5月末、夫と暮らしていた自宅を出ました

海外ひとり旅、世界にあるすべての美しいもの・麗しきものが好きです

グラフィックデザイナーを経て、今は文筆家と生涯旅人を目指しています

 

★自己紹介記事はこちらから

 

★noteでエッセイも書いています

 

➡︎Twitter ➡︎Instagram ➡︎Facebook