ぜいたくな気分で美しい毎日を!・・・ヴェーネレ美容法
童話に「青ひげ」という話があります。

シャルル・ペローや、グリム、

メーテルリンク執筆した話で、

いくつかの童話の例に漏れず

ホラー的要素を含んだものです。


あらすじを簡潔に記すと…


その風貌から「青ひげ」と

呼ばれていた金持ちの男が、

とある美人姉妹に求婚し、

妹を娶ることになりました。


ある日外出することになった

「青ひげ」は妻に鍵の束を渡し、

「どこにでも入っても良いけど、

この鍵束の中で一番小さい

鍵の合う部屋に入ってはならない」

と言い残して出かけていきました。


妻はその言いつけを

守っていましたが、

好奇心に負けてついつい

その「小さい鍵の部屋」を

開けてしまいました。

そこに広がっていたのは、

地面に血がこびりつき、

壁には「青ひげ」が以前迎えた

妻の無残な死体が5~6体

壁に立てかけてあるという

凄惨な部屋でした。


そして妻は直後に帰ってきた「青ひげ」に

殺されそうになりますが、

偶然立ち寄った

二人の兄によって助けられ、

「青ひげ」は兄に殺されます。


「青ひげ」には子が居なかったので

妻がその財産を受け継ぎ、

兄や姉たちと分けた…ということです。


 …子ども相手に語るには

少しおどろおどろし過ぎる内容で、

大人向きとも思える

ちょっと不思議な童話です。


しかしこの話は単なる創作ではなく、

幾つかの童話で見られるように

「実際にあった出来事を

モチーフにして創られた」

ということなのです。


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そのモデルとされている人物が

「ジル・ド・レイ(『ジル・ド・レ』、

『ジル・ド・レェ』とも表記)」。

写真の人物です。


救国の英雄となりながら、

放蕩と性的倒錯の内に

身を窶していった、

稀代の惨殺者です。

彼の性的満足を満たすため

「だけ」に捕らえられ、

無残に殺されていった

「少年」達の人数は、

一説には一千人を越える

と言われています。


イングランド相手の百年戦争の真っ只中、

1404年11月、フランス、ブルターニュ一の名門

ラヴァル=モンモランシー家のギ・ド・ラヴァルと、

これまたブルターニュからアンジュにかけての大地主

クラン家のマリ・ド・クランの間に

待望の長男が誕生しました。


その赤ん坊こそ、ジル・ド・レ。


彼がその姓を名乗ることになるレ家は

ブルターニュの有力貴族でしたが、

後継者問題で揉めに揉め、

パリ高等法院で訴訟係属中、


その争いに乗じて

ジルを相続人に捻じ込んだのは、

マリの父、ジルの祖父である

ジャン・ド・クランでした。
 

当時の習慣に従って

両親から離されて

乳母や召使に育てられたジル、


父のギは教育熱心、

ジルも優秀な子で、


「流暢なラテン語を話し、

学問、音楽、そして

造形美術に情熱を燃やし」、


父の期待に答えました。


ギの不安はジルの祖父、

自分の舅であるジャンの強欲でした。


土地所有にとり憑かれたジャンにとって、

眉目秀麗、頭脳明晰な孫のジルは

願ってもない「駒」でした。
 

1415年の初めに母マリが世を去り、

後を追うかのように

9月には父ギも事故死、


11歳で両親を失ったジルは、

グラン家、レ家、

ラヴァル家の相続人として、

将来はフランス国王を凌ぐ

大富豪となることが約束されました。


そんな孫を手中に収めたジャンは、

更なる領地拡大を画策します。


当時の地上げの方法は

結婚か戦争です。

資産家の貴族の娘を見つけては、

その豊富な資金をバックに

武力行使も辞さないと脅して、

孫の嫁にと迫ります。


ジルの最初の婚約は12歳の時、

お相手はノルマンディの大富豪

ペーネル家の娘、4歳のジャンヌ。


しかし、ジャンヌは病死、

婚約は解消。


2年後にはブルターニュ公の

姪であるベアトリス、

しかし、彼女も病死、婚約は解消。


ジルはこれ以外にも

何度か婚約をしましたが、

何れも相手が死んでしまいます。


死亡率の高かった当時のこと、

さほど珍しいとも言えないのですが、

これらの事実が

後の青ひげ伝説に繋がります。

領地拡大に熱中する祖父ジャン、

孤独なジルは陰気なクラン家の

城の図書室に閉じ篭ります。


彼が特に好んだのは

スエトニウスの「ローマ皇帝伝」、

ティベリウス、カリギュラ、ネロ、

歴代の皇帝たちが繰り広げた酒池肉林、

特に残虐な遊戯にジルは

興奮を覚えるようになっていきます。


そして、粗野で無教養な祖父ジャンは、

孫が何を読んでいるのか

知るよしもありませんでした。

やがてジャンは格好の獲物、

つまり孫の嫁を見つけます。


レ家の隣に広大な所領を持つ

トアール家の娘カトリーヌです。


しかし、この結婚には

障害がありました。

両家は親戚同士で、

ローマ教会が禁じている

近親婚に当るのです。


ジャンは兵と孫を引き連れて

カトリーヌを拉致、

剣を突きつけられた司祭によって

結婚した二人ですが、


ジルは新妻には

何の関心もなかったし、

妻も冷淡な夫に

愛情を持つことはありませんでした。

ジルは同性愛者だったのです。

1420年代のフランスは

終わりの見えない

混乱の中にありました。


百年戦争に加えて、

ブルゴーニュ派と

アルマニャック派の

王冠を巡る内戦は

激化する一方。


北部のノルマンディーは

ブルゴーニュ派が引き入れた

イングランドによって

占領されており、


1422年にシャルル6世が

亡くなって以来、

国王は不在のまま。


シャルル6世には

王太子シャルル(後の7世)

という世継がいたのですが、


1420年にイングランドの

ヘンリー5世との間に

結ばれたトロア条約に、


「ヘンリー5世は

シャルル6世の娘キャサリンと結婚し、

シャルル6世が亡くなった時は、

フランスの王位は彼らの子が承継する」


という条文があったためです。


しかし、ヘンリー5世の世継

ヘンリー6世はまだ幼児、

フランス王家の伝統に則って

ランスで戴冠式を行うことが

できないでいました。


フランスはこの一点に

逆転を賭けます。


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1425年初夏、ロレーヌのドンレミ村、

農家の娘ジャンヌは、

その「声」を聞きました。


「オルレアンの包囲を解いて

フランスを救え!」。


ジャンヌは「声」に従って

旅立ちました。

ロレーヌからシャルル7世の拠点シノンまで

600キロを僅か11日で走破したジャンヌは、

家臣の一人と衣装を交換して

取り巻きに紛れていたシャルルの前に

真っ直ぐ歩み出て

膝をつきました。


その謁見の場には

祖父ジャンの代理としての

ジルの姿がありました。


シャルルの信頼を得たジャンヌは、

王から送られた白馬に跨って

颯爽とオルレアンに向かって

進軍を開始しました。

ジャンヌ・ダルク伝説の始まりです。

全てはアンジュ公ルイの母、

ヨランダによって仕組まれたことでした。


劣勢にあるシャルル派にとって、

神懸りの少女は

十分な利用価値がありました。


行く先々で救国の処女が現れたと

噂を振り撒いたのも、

シャルルの変装劇を仕組んだのも

ヨランダでした。


しかし、軍事作戦となれば

百姓の娘など

使い物にはなりません。



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ジルに与えられた任務は、

ジャンヌが軍を率いている

かのように見せながら、

包囲網を突破して

オルレアンに入ること、


フランス軍の実際の指揮官は、

猛将ラ・イールとジルでした。
 

「歓声をあげて勇敢な戦士たち、

とりわけ『処女』ジャンヌの功績を

声高くほめたたえ」る人々に迎えられて

オルレアンに入城したジャンヌとジルたち、

シャルルの胸にある不安が芽生えました。


ジャンヌがオルレアンを解放するなど

彼は予想していなかった、

ジャンヌを奉って

武闘派が勢いを増すことを

シャルルは決して

望んではいませんでした。
 

そんなシャルルの思惑とは関係なく、

「処女の赴くところならどこへでも」

という兵士たちは進撃を続け、

1429年7月17日、シャルルは

ランスの大聖堂でシャルル7世として

フランス王に即位、


同時に24歳のジル・ド・レは

フランスの騎士にとって

最高の名誉である王国元帥に任命され、

王家の紋章である

百合の花の使用が許されます。


そんな戴冠式の陰で、

新たな外交政策を

打ち出そうとするシャルルは、

あくまで武力でイングランドを

フランスから追い出すべしと主張する

ジャンヌたち武闘派を

排除する準備を進めていました。

日に日に孤立していくジャンヌ、

1430年5月23日、ブルゴーニュ派に捕らえられ、

イングランドに引き渡された

救国の処女を救うべしと主張する者は、

シャルルの宮廷では

オルレアン以来の

戦友であるジルと

ラ・イールだけでした。


1431年2月21日、ルーアンで始まった

異端審問裁判の結果、

ジャンヌは魔女として

死刑判決を受け、

5月30日、火刑に処せられました。


そして、王国元帥ジルも

ジャンヌ処刑の翌年、

戦場から身を引きます。

1432年11月15日、

孫の将来を不安に思いつつ

祖父ジャン・ド・クラン死去。


この頃からジルの桁外れの

浪費が始まります。


フランス国王の直轄領をはるかに凌ぐ

領地を相続したジルは、

その遺産をひたすら

浪費していきます。


例えば、「オルレアン解放のための神秘劇」の

プロデューサーを務め、

5ヶ月間の公演の間、

チケットがタダなのはともかく、

全ての市民に高価なワイン付の

食事を提供したり、

家臣たちに揃いの豪華な衣装を誂えて

大名旅行に興じたり。


もう浪費を諌める祖父ジャンはいません。



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これでは相続財産が

キレイサッパリ消えてしまう、

親族たちの申立で

禁治産者に指定されてしまったジルは、

差し迫った金の不自由を

解消しようと錬金術に熱中します。


城内に精錬窯や蒸留器を備え付け、

自称錬金術師、実は詐欺師を

次から次と高給で雇い入れ、

しかし、当然ですが

一向に金は出来ません。


今度は、ジルは降魔術にはまります。

金が出来ないのは

魔力が足りないからだと

考えたのです。


今度は自称降魔術師、

実は詐欺師が

ジルの城の居候に加わります。
 

ジルが城の地下室で

詐欺師どもと壷を覗き込んでいた頃、


国王シャルルは

着々と改革を進めました。

新しいフランス王国軍が

創設されたのです。


それまでの戦争は、

国王との間に契約のある貴族が

それぞれ自腹で雇った傭兵を

率いて戦うというものでした。


貴族たちは自分の所領を守り、

あわよくば広めるために、

騎士たちは名声を得て

より良い条件で転職するために、

傭兵たちは純粋に食うために戦う、


戦争はイデオロギーではなく

ビジネスでした。

だから死んでは元も子もありません。


数千の軍が数日に亘って戦って

死者一名、それも戦死じゃなくて

馬に蹴られて事故死、

という戦闘も珍しくありませんでした。


安全第一の軍隊では国は守れない、

シャルルは、国王の

直接指揮下の常設軍が

必要だと痛感したのです。

つまり王国元帥は

飾り物に過ぎなくなります。

そして、この頃、

ジルの所領では

少年たちの失踪事件が

多発するようになります。

1440年5月15日、ジルの城の

売買契約を巡って

トラブルが発生、

カッとなったジルは

司祭と徴税請負人を拉致します。


7月29日、ジルに対する告発状が

公布されます。


その内容に人々は驚愕しました。


「騎士にして領主、

男爵にしてわれらが主の僕、

われらが教区の住民ジル・ド・レ殿は

数名の従犯者とともに、

多数の無垢なる少年を殺害し、

その喉笛を掻切り

忌まわしき手段で惨殺したうえ、

それら少年に対し

自然に悖る淫らなる行為と

ソドミーの悪徳を行った。」・・・、


9月15日、召還されたジルは、

眩いばかりの王国元帥の

正装で城を出て、

再び帰ってくることはありませんでした。
 

起訴状によればジルの罪状は、

1426年以降140名の少年を殺害、

同じく1426年から錬金術と

降魔術という異端行為を繰り返し、

教会から司祭を拉致し、

云々かんぬんで49項目にも上りました。
 

「自分の想像力のおもむくままに

おこなったものであり、

誰の意見にしたがったこともなく、

ただ自分の意思で

自分の快楽と肉体の悦びのために

おこなったのであって、

それ以外のいかなる意図も

目的もなかった」、


ジルは全てを認めます。

少年たちが死ぬ前にも死んだ後にも、

また死にかけているときにも、

その腹の上にかぎりなく

罪深い方法で射精しました・・・、


首を短剣で切り裂き、

あるいは頭を杖や棒で殴りつけ、

その屍体を切り開き、

内臓を掴んで喜びに耽りました・・・、


判決は死刑。


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フランス王国元帥が

快楽殺人犯に変貌する過程を

知ることはできません。


しかし、共に戦ったジャンヌの処刑は

決して無関係ではないでしょう。

聖女だった女が

魔女として処刑される、

そこにいるのは、少しも変わらない

あのジャンヌなのに。


ジャンヌの死によって、

ジルの中で何か

取り返しのつかないものが

はじけ飛んだことは

想像に難くありません。


同性愛者であったジルにとって

ジャンヌは愛の対象には

ならなかったでしょうが、

傭兵しか知らなかったジルにとって

ジャンヌは初めて出会った

真の「戦士」だった、

彼女は自分が聞いた

「声」にのみ忠実でした。


ビジネスではなく使命として

命を賭した者が、

用済みになった途端に

「異端」として捨てられる。


忠誠とは、義務とは、信仰とは何だ?

ジルは今まで必死になって

押さえつけてきた己の中の怪物が

目覚めるのを感じ、

それを抑制する意志を

持続させる意味を

見失ってしまったのでしょう。

ジルの生きた時代、

それは子供とは「出来損ないの大人」であり、

その半数は大人になる前に

死んでしまう時代でした。


森にキノコ取りにやれば

狼に食われてしまい、

町にお使いにやれば

人買いに拉致され、

奉公に出せば

主人に売られてしまう、


そんな時代に貴族が

平民の子を何人殺そうが

死刑にはなりません。


裁判の当初、ジルは

そう確信していました。


しかし、裁判の真の目的は、

既に役に立たない

王国元帥が持つ莫大な財産を、

ブルターニュ公と国王と教会が

山分けするためのものだったのです。


現に、まだ裁判が

始まってもいないというのに、

ジルの領地の売買契約書が

用意されていました。
 

ジルは悟ります、

何がどうなろうと

死刑以外の判決はないのだと。


ジルは己の罪を雄弁に語り始めます。

人生の最後を恐怖と戦慄で飾るために、

誰よりも華やかに破滅するために、

そして永遠の伝説となるために・・・。

ジルの望みは

叶えられたと言って良いでしょう。

戦友ジャンヌが救国の処女として

語り継がれたように、

彼、ジル・ド・レは「青ひげ」という

快楽殺人犯の代名詞となりました。

一つの時代を象徴する

ポジとネガとして。

処刑後のジルの遺体は、

数名の貴族の婦人方によって、

ナントのノートルダム教会の

内陣の地下に正しき貴族として

葬られました。


ジルが愛なき結婚によって

得た娘マリが父のために立てた碑は、

「恵みの乳の聖母」として

人々の信仰を集めました。


ジルの被害者たちの数が

140人から1500人へどんどん増えていく傍らで

(おそらく、一帯の村々での病死から

事故死から行方不明から、

全部、ジルにおっ被せたものと

思われます)、

人々は王国元帥のジルを

忘れなかったのです。


そう、おそらく人々は

知っていたのでしょう、

救国の処女ジャンヌが

そうであったように、

ジル・ド・レもまた

権力の犠牲者なのだと。


こんな人々の思いが

何時しかジルから

少年大量殺戮を拭い去り、

幼い頃の婚約のエピソードによって、

誘惑した女を次々と手にかける

「男らしい」殺人鬼へと

変貌させたのでしょう。

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