考えても仕方のないことをつらつらと考えている
~ペリネ美スタイル~
後藤純子です。
つらつらについてはコチラ↓
仕事でも多くのシニアの皆さんに接する機会があるので、このあたりのことは身近な感じ。
ただ、私が接する皆さんはいわゆる「元気高齢者」にカテゴライズされる人たちなので、不調は抱えながらもある程度自立できている状態。
介護保険を利用しないで済むように健康寿命延伸がテーマなのだ。
健康意識は人一倍高い。
「家族に迷惑をかけたくない」と皆さん口をそろえる。
前回も少し触れたけれど、西洋医療は主に「死なせないための(命をつなぐ)医療」だから、ときにQOLがおざなりになることもあるように感じる。
高齢者の場合は入院して身体症状が悪くなり寝たきりになることもあり得るので、治療においてQOLの視点は外せない。
自分らしい人生の終い方は、人生の主導権は自分にあるということを忘れず
選択していくということではないかと考えているんだけど・・。
もちろん、何が起きるかわからないから・・可能な限り・・。
前回UPした本のうち「家で生まれて家で死ぬ」に書かれていた
自分で望まない死に方をしないための5つの予防(長谷川敏彦氏 未来医療研究機構代表理事)
1)介護予防
2)重症化予防
3)施設化予防・・・なるべく施設に入らないよう在宅医療の環境を作る
4)不要な入院の予防
5)自分らしくない入院の予防
以上がこれからの高齢者に必要になってくることらしい。
介護施設に入ることが多くなった現在ならではの、こんな記述もあった。
家族から距離の遠い人、家で生活することができなくなった人ほど、家族は最終的に医療を欲求し、家族と距離が近い場合は、家族が本人の意思をかなえようとする。
…なんとなく納得。
また、吉田兼好の徒然草より引用した
「愚かな人は、また、老いと死を悲しむ。世界が永久不変であるだろうと思って、万物は時々刻々変化してやまない道理を知らないからである」(徒然草第七四段)
諸行無常ということなんだろうけど、人の命に関しては、いつまでもあると思いたくなるんだろうな。
「死とはなんだろう」という問いの答えはまだ出ていない、とのこと。
それぞれが
最後のときまで人間的に、豊かに生きることができる。
自分もそうありたいと願います。
医療の進歩による大きな流れに巻き込まれないよう、あくまでも自分を中心において、どこまで医療を受容するかを考える時。
思えば身内が亡くなるさまを見たのは祖母以来なく、家で死ぬということが本当に難しい世の中になりました。
以前は当たり前だった
家で生まれて家で死ぬ、ということ。
医療の仕組みを利用することにより可能みたい。
必要なのは家族の覚悟かな。
これからはそんな動きになっていくと言っていたケアマネジャーさんもいました。
気になる映画を見つけました。
「ぼけますから、よろしくお願いします。」
静岡市での上映がなくて残念。
どこかで観られるといいな。
・・と前回チェックしたときはそうだったけれど、今日見たら来年1月5日からシネギャラリーで上映とあり。
観よう!