一日のほとんどの時間を独りで過ごし、
両耳に音楽を流しながら体を数時間かけてほぐしたり、
2時間ほどテクテク歩いたりしていると、
必然的に自分の思考やマインド、感情などといったものに
ガチで向き合うことになる。


はじめは過去の回想や、
その回想に基づくアタマの中のおしゃべりに夢中になっていたけれど。


実はアタマの中のおしゃべりというのは幻想なんだと知ると、
今度はこのおしゃべりをスルー出来るように、
自分の思考やマインドを注意して観察するようになった。


そうやって観察しながら
アタマの中のおしゃべりを無視できるようになってくると、
アタマの中に(それこそ)ひっきりなしに現れては消えて行く、
無数のモノたちに気づくようになった。


その無数のモノたちに含まれるのは、
過去の出来事のワンシーンだったり
過ぎ去った出来事への思いや考えだったりもあるけれど、
今現在想像しているコトも含まれている。


今現在想像しているものとは、
例えば報道で知った出来事を物語に見立てて、
自分はまるでその物語の創作者のような感じで
登場人物たちをあーだこーだと判断したり、
今後の展開を予測したり。


あるいは、
今目の前にいる人の感情や考えを推し量ってみたり。


はたまた、
今自分を取り巻く状況が
今後このようになっていくだろうといった妄想だったり。


書き上げればキリがないほど、
本当に脈絡なく、
まさにめくるめく状態で考えが現れては消え、
現れては消えるを繰り返しているのに気づく。


私たちは、
そのような考えのすべてに意識や注意を向けているわけではなく、
その中の自分にとって印象深い考えに特に注意したり、
その印象深い考えをわざと繰り返して何度も意識に表していて、
それを自分の考えだと思い込んでいるんだ。


言葉を変えると無数のはかない、
そして脈絡のない膨大な考えの中から、
今の自分をつくりあげるのにふさわしい考えを
自ら選んでいるということ。


そうやって瞬間ごとに自分をつくりあげていることを私たちは教わっていないから、
なかなかこれに気づかないけれども、
本当には無数の自分が生まれては消えているんだ。


だから、
今自分だと認識している自分は
実は自分が選んで創造した自分だし、

目の前の人は
自分が選んで創造した目の前の人。


そうやって
環境や状況、過去や未来までも
瞬間瞬間つくりつづけている。


こういうことに気づくようになると、
アタマの中にあらわれる無数の考えのひとつひとつが認識できるようになってくる。


アタマの中に浮かんだ
なにかひとつの考えをつかもうとする自分に気づくようになる。


気づくようになると、
どの考えもつかまないように気をつけることが出来るようになってくる。


どの考えもつかまないようにしていると、
おもしろい体験がおこる(笑)


例えば
今、不安になるような考えがうまれたとして、
それに気づいてこれをつかまないでいようと決めると、
この考えがまるで風かなんかのようにワタシの中をすっと流れて、
そして今度はまったく違う考えが目の前にあらわれるのが見えてくるんだ(笑)


これはまるで、
それまで高速すぎて目視ではとらえることが出来なかった事象が、
いきなりスローモーションとなって容易に見ることが出来るのと似ている。


つまり、
自分のアタマの中で起こることが
見えるようになるんだヾ(≧∀≦*)ノ〃


これは本当におもしろい(笑)


だって、
どんな考えに自分がなびくのか、
あるいはどんな考えをつかもうとするのかがスゴく分かるようになるから。


すると、
どんな自分を自分がつくっているのかがわかってくる。


それでわかったことは、
ワタシは相当長い間、自分で自分を辛い目に合わせていたんだなぁということ。


そしてこれからは
もう自分にキツいおもいをさせるのはやめて、
在りたい自分を本当に自分でつくっていくことが出来るんだ。


アタマの中にあらわれるどんな考えもスルー出来るようになると、
いまこの瞬間に在ることができるようになる。


いまこの瞬間に在るということは、
これまで握りしめていたあらゆる観念が消えていくことにもなる。


道徳観念や倫理観念なども、
在るようで実は存在しない幻想だから。


だから、
これをしてはいけない自分とか
やってはいけないことをしている他人というものが、
いなくなってしまう。


今現在のワタシはまだ、
そうやって観念がなくなっていくことに対して不安な思いがあるようで(笑)
いまこの瞬間に在るという時間はとても短い。


いまこの瞬間に在るよりも、
アタマの中のおしゃべりに夢中になったり、
関係ない他人が主人公の物語にあーだこーだ言ったり、
過去や未来を想像しては一喜一憂に耽る方が
断然ラクな感じがする。


だって、
いまこの瞬間に在るためには
自分のアタマの中を注意して観察していることが前提だから。


それはけっこう集中力が要る。


でも慣れれば、
なんともなくなるような気もしているんだ。


目を閉じれば誰でも体験できることだけど、
真っ暗な闇が自分を包むように感じる。


幼い頃のワタシはこれが不思議で(笑)
何度も目を開けたり閉じたりを繰り返しては、
外界が遮断されたときにあらわれる闇がなんなのかを知ろうとした。


今ではその闇がなんとなく、
自分自身なんじゃないかなと思っている。


無で、
静かで、
誰もいない。

。。。そう。
実は存在すると思っていた自分すらもいない闇。

それが本当のワタシ。





でも
これだとつまらないから(笑)
人間は瞬間ごとにあらゆるものを創造して、
体験しているような気になっているのではないかな。


生まれてから死ぬまでの時間が一直線に延びていて、
その時間を人生と認識し、
ここから向こうへと歩くことで時間が過ぎ去っていると認識してるけれど。


本当は生まれてもいなくて
死ぬこともなくて。


はじめから
どこにも行ってなくて。


自分というものすらなかった。


そういうものなんじゃないかなぁ。。。


実は。




そんな気がしてるんだ。。。最近は。