どんな野菜を選ぶ?!

野菜にもいろいろあるんだな。。。
とは、Vegan を続けていくうちに体感的に分かっていったことのひとつ。 
これはね、野菜の種類のお話じゃなくて、
「どのように栽培された野菜なのか?!」というお話です。。。(*^^*)

Vegan 始めた頃、野菜であれば何でもよいと思ってた私。。。。というより、
そもそも産地や栽培方法によって、
野菜がこんなにも違うなんて知らなかった。
だから vegan 始めても、
これまでと同じようにスーパーで野菜を調達しては、それを食べていた。
つまり、本州で栽培された野菜を
主に食べていたことになる。

ある日、その頃住んでいた
家の近くの八尾屋さんをのぞいてみた。
するとそこには、沖縄県産の野菜が
品数も量も、スーパーのものとは倍近く違って売り場に並べられてあった。
その違いに驚きながらも、
そこでほうれん草をを買って食べてみたところ、
味が全然違う!
正直、「野菜にもいろいろあるんだ」
と驚いた瞬間だった!
それからはスーパーではなく、
八百屋さんで沖縄県産の野菜を買い、
もっぱらそれを食べるようになった。

なにしろ、そのすがた形から全然違う!
葉野菜などは肉厚だし、
さやいんげんなどは太くてしっかりしている。
ブロッコリーにいたっては、
香りも味も、まるで違う!
しかも、値段が安いっっ!((゜o゜))

。。。しかし告白すると、
私自身の体調については、
その頃までは不安定で、
優れない日々が多かった。
風邪もよくひいてたし、
頭痛などの何らかの症状を抱えることが多かった。
もちろん、原因は未だにわからない。

もしかすると、好転反応だったのかも?!
つまり、それまで junk food メインの食生活だったわけだから、
いきなり野菜しか食べない生活になることで、一時的に不健康な状態になった。。。かもしれない。
あるいは単に、
カラダが急激な変化に対応しかねてたのかもしれない。。。

でもとにかくその頃は、
元気でもなく健康でもないことで、
vegan を続けてよいのか迷っていたし、
実際、不安にも思っていた。

数年が経ち、
友人から今帰仁村で、
有機栽培をされてる方を紹介して頂いた。
そのときに初めて、
オーガニック栽培の野菜を食べた。。。
その野菜の味は、
スーパーのものとも、
八百屋さんのものとも異なる衝撃だった。

とにかく美味しい!
収穫して新鮮なうちに届けてくれていたので、どの野菜にも、しっかり甘味が感じられた。
そして香りもたかく、繊維がしっかりしていて、噛むごとに野菜の旨味が口いっぱいに広がる。。。

ここでもまた私は、
「野菜にもいろいろあるんだな」
と思わずにはいられなかった。
そしてその時から、オーガニックに夢中になった。

自分で食べるものはもちろん、
お店で使う野菜までも、
ほとんどすべてをオーガニックに変えた。
そしてメニューには、
野菜の産地だけではなく、
農家さんの名前も書いてたりした。

先の今帰仁村の畑の方からも仕入れていたが、嘉手納町、読谷村、うるま市、恩納村、宜野座村、名護市、大宜味村の道の駅をまわり、生産者が持ち込んだ野菜を仕入れていた。
これは、先の今帰仁村のオーガニック畑の方からのアドバイスによるもの。
彼が言うには、
道の駅などで販売している
個人生産者の野菜は、
オーガニックとかいていなくても、
大抵オーガニック野菜なのだそうだ。

そしてこの頃には、
輸入された野菜と果物は一切、
口にすることをやめた。
沖縄県産の、旬の新選なオーガニック野菜だけを食べるようにしていた。

この頃からは、身体の不定愁訴がなくなり、元気いっぱいの状態だった。
美味しくて身体にもよく、
栄養価の高い新鮮な野菜の虜になっていた。

さらには自ら、
オーガニック栽培に挑戦するようになった。
仕入れ先のひとつの生産者の方が、
空いている土地を無償で提供してくれて、
栽培の指導もしてくれることになったのだ。
その方は山羊を買っていて、
その糞を肥料としていた。

そこで私は循環型の農業を体験できた。
山羊が野菜の切れ端や、畑の雑草を食べる。
そして糞をだす。
その糞が肥料となり、
畑に撒かれて滋養となる。
美味しい野菜ができる。
そしてその野菜の切れ端や畑の雑草を
山羊が食べる。。。という具合にね。

自分が畑を体験することで、
人間の存在が宇宙の一部なのだと
体感的に理解した。
そして肉体は自然に属していることも。

四季の移り変わりは、
自然物すべてに作用している。
肉体も例外ではない。
ただ人間には理性があるので、
肉体感覚よりも理性を優先にしている場合が多く、
そのような状態では
肉体の変化に気づくことは難しい。
肉体の変化に気づけない意識では、
四季の移り変わりも、
自然の変化も、
果ては、自分が宇宙の一部だということにも、
気づくことは絶望的なくらい難しくなる。

そんなことを考えていた。
そして世の中に、
農薬や化学肥料で野菜を栽培している
農家さんがいることを疑問におもい、
そしてその事に
静かに怒りを感じていた。。。

「オーガニック栽培の野菜以外は、
野菜なんて認めないぞ」と、
本気で考えてたりした。。。

しかしそんな気持ちとは裏腹に、
実際に自分がオーガニック栽培をするとなると、とても難しくなった。
農薬も、殺虫剤も使用しないので、
毎日が昆虫との戦いの連続。。。

自分が収穫するために野菜を栽培してるのか、
虫に食べてもらうために栽培してるのか、
もはや分からない状態!笑

しかし衝撃だったのは、
教えてくれてる方が私に、
「青虫を見つけたら必ずすべて取り除き、
その青虫を足の裏で潰さなければならない」とおっしゃるっっ!!!(((・・;)

そんなの出来ないし、したくないよー!
。。。農業の厳しい洗礼を受けてるような気持ちになりました。。。(;_;)

そしてどうしても、
私には青虫を踏んづけることが出来ませんでした。。。(ToT)
別に怖いからとかって可愛い理由ではなく、
生きている小さな命に対して、
殺生するということの合理性が
どうしても理解できなかったから。

もちろん彼らはいわゆる「害虫」であり、
彼らとの戦いを制しなければ、
収穫というご褒美は頂けないことはよくわかる。
しかしそれは見方を変えると、
無用な殺生の連続の先にしか、
収穫というものがないということに、
私の中ではなるのだった。。。

ここで私は脱落した。。。

喜びの収穫よりも、
殺生したくない気持ちが勝った。
そしてこの経験から、
たとえ農薬と化学肥料で収穫された野菜でも、
こうして野菜という存在にまで成長出来たことに
心から敬意を持てるようになった。

その時から私は、
オーガニック栽培にこだわることをやめた。
目の前にある野菜が
オーガニックであろうとなかろうと、
誰かの手と自然が作り上げた野菜なら、
頭を垂れて、うやうやしく食するのが礼儀ではないかと考えるようになった。

そしてオーガニックにこだわっていた自分を振り返り、
その傲慢さに悲しくもなった。。。

付け加えると、
オーガニック栽培よりもさらに、
無肥料栽培の野菜が最上なのだという主張もある。
有機栽培は糞尿を肥料にするのだが、
その糞尿には化学肥料や農薬とは異なる毒素が入っているという。
その毒素は長年にわたり畑を侵食し、
結局は痩せた畑を作ることになると。

そしてオーガニック栽培の野菜は、
その味に微量の糞尿が含まれているというのだ。
確かに私もそれは感じることがあった。
もちろん化学肥料で育った野菜には、
不自然な味が含まれている。

無肥料栽培の野菜と、
化学肥料で育った野菜、
オーガニックの野菜を放置しておくとどうなるか。。。
無肥料栽培のものは干からびていくだけだが、
他のものはドロドロに腐れるそうだ。

しかし、無肥料栽培で野菜を収穫するには、最低でも三年は無収穫を覚悟して、
野菜を育てなければならないという!
つまり畑の毒だしに時間がかかるというのだ!
収穫出来ないと分かりながら種をまき、
収穫出来ないと分かりながら育て、
そしてやはり、
収穫できないっっ!(>_<)
これを最低でも三年続けなければならないなんて!!

。。。私にはよくわかりませんな。笑

今の私は、
それがオーガニックであっても、
化学肥料で育ったものであっても、
無肥料栽培のものでも、
目の前にある野菜に感謝して、
美味しく食べること以外に興味はない。

それらの野菜はどのみち、
私の血となり肉となるのなら、
心から感謝の気持ちで口にする以外に
必要なことはないと思っている。

どんな栽培方法であっても、
生産者には心から敬意を表したい。
そして四季の移り変わりを
旬の野菜を通して身体の内側から感じ、
自分が自然や宇宙の一部なのだと感じていたい。
それがたとえスーパーの野菜であっても。
























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