Welcome to wonder garden
前回までのあらすじ
ガーデニングブログのはずが
小説を書いたとのたまう
小さなウサギ🐇
妄想癖が止まらず続編です。
売れない靴屋の夫婦の元に
突如現れた双子の妖精さん...
妖精のイタズラで作った靴が売れるという
奇跡が起きました‼︎
さぁ気の弱い靴屋の亭主
今度こそ自分で靴を作ろうと
気合を入れますが...
すっかり月が顔を出し、深夜を迎えた頃、裁縫箱の中でイエルは一生懸命顎髭をブラッシングしていた。
隣では、大きなハードチーズの塊を満足そうに撫でるウベルの姿があった。夕べ、すっかり眠ってしまった夫婦の側からくすねて来たものだ。
「最後の一枚の革がなくなって、ショックのあまり自棄酒をしたんだろうな。俺が近くに行っても全然気づかないんだぜ」
ブラッシングを終えたイエルも顎髭を撫でながら言った。
「ウベルの盗みのテクニックは世界一さ。あんな鈍間な人間に見つかるわけも無いよ」
二人はすっかり支度を終えて、次の靴屋に行くつもりだった。ピンクッションは悪くは無いが、どうも此処は暗い。自分達にはもっと立派な住まいがあるはずだ、と昨日話し合っていたのだ。
裁縫箱から飛び出した二人は、やって来た時と同じように窓から出ようと部屋の中を見渡す。
「あっ」
イエルが思わず声を上げた。ウベルがイエルの視線の先を辿ると、何とそこには真新しい革が二枚吊されていた。二人のハインツェルマンは目を白黒させる。
「一体どういう事なんだ?」
「確かにあの人間は最後の一枚だと言っていた筈だ」
口々に疑問を吐きながら、吊るされた革の元へとかけて行く。ウベルが革にぶら下がり、調べる。
「間違いない。本物の革だ」
イエルが頭を抱え、その場に座り込む。
「どうして新しい革があるんだ?それに増えているじゃないか」
ウベルが革から滑り降り、腕を組んで頭を捻る。どう考えてもこれは不思議だ。
「わかった、これは俺達への挑戦に違いない」
兄の言葉にイエルは「そういう事か」と頷いた。
「さすがはウベルだ。きっとそうに違いない。僕達の仕事があんまりにも素晴らしいから、神様が本当に僕達の仕業か確認したいんだな」
二人は納得すると、二枚の革を掴み、再び液体を塗り込む為場所を移動した。ウベルはポケットからガラスの小瓶を取り出し、色の確認をする。
「今回は二枚だ。同じものを作るなんて三流以下の仕事だよ。次は神様が驚くような飛び切りの靴じゃないといけない」
するとイエルがウベルに提案した。
「そうしたら女の子の靴はどうだろう?人間の女はいつだって違う色の靴を履いているじゃあないか」
ウベルがイエルの肩を叩く。
「そいつは素晴らしい考えだ。それならこうしよう。一つは俺の瞳と同じ緑色の靴にして、もう一つはイエルの瞳と同じ赤い色にしよう」
「それは素敵な考えだ」
二人は握り拳を作り、軽くぶつけ合う。そしてにっこりと笑った。
「さあ兄弟、仕事を始めよう」
「そうとも兄弟、僕達は最高のハインツェルマンだ」
そう言うと素早く革に色付けを始める。今度は女性らしい小さな靴を作らなければならない。二人は革を乾かす間に木型が置かれた棚へと飛んだ。しっかりと吟味し、二つの木型を持って作業台へと運ぶ。そしてテープをあっという間に貼り付けた。
「ウベル、女の子の靴はやっぱり愛らしさを出して、丸みのあるつま先が良いと思うんだ」
イエルはそんな風に自分の好みを伝えた。しかし、これにウベルは反対する。
「そんなありきたりなデザインじゃ天才とは言えないな。つま先を細くして斬新なデザインにするのが良いに決まっているよ」
二人はそれなら赤い靴は丸いラウンドトゥに、緑色の靴は細い尖ったポインテッドトゥにしよう、と決めた。
二つの異なるパーツを乾いた革にトレースして、まずは赤い靴から切り抜いていく。イエルは可愛らしさを前面に出すべきだ、と主張して足の甲の部分当たるアッパーは広めに取り、リボン風に加工した革を乗せる事を提案した。勿論、つま先のバンプと呼ばれる部分にはレース状に型抜きした革を飾りたいと伝える。
「イエルがどんな女の子が好きなのかよく分かったよ」
ウベルは頭を振りながら「好きにすると良いよ」と答えた。前回よりも二回りも小さな木型を選んだお陰で、革は充分余っている。余った革を直線にくり抜いて、レース状に切り出していく。よりレース感を出す為、要所要所に綺麗な穴を均等に開けていき、満足のいく革のレースが出来上がる。
ポケットから懐中時計を出したウベルは眉間に皺を寄せた。
「不味いな。思ったよりも時間がかかってしまった。兄弟、とにかくこいつを縫い合わせていこう」
二人は素早く針と糸を使い、縫い合わせ作業を始める。前回よりも数倍早く縫い合わせる事が出来た。出来たばかりのアッパーに、つま先の芯を固定し、先程苦労して作り上げた革のレースを装着した。
革のレースとアッパーの繋ぎ目を隠すように革で作ったリボンを当ててずれないように此れも縫い上げていく。アウトソールからレースとリボンがはみ出ないようにしっかりと靴底の裏に処理を行い、コルク材を詰め込んで底を縫い合わせる。
「思ったよりも大変だ。飾りが多いとバランスが難しい」
ウベルは呻いたが、イエルは夢中になって仕上げの作業に取り掛かっている。ウベルの言葉など聞いていなかった。ウベルは溜息を零し、職人の顔になった弟の為にコテを熱した。
ウベルが熱したコテでしっかりと艶を出し、仕上げを施したイエルは満足気に額の汗を拭った。
「なんて可愛らしい靴だろう。兄弟、見てくれ」
イエルは嬉しそうに兄に言った。ウベルはポケットからもう一度懐中時計を出し、時間を確認する。
「兄弟、俺達は予定よりも三十分以上遅れてしまったよ。早く次の靴を作らなきゃならない」
二人は急いで緑色の皮を縫い合わせていく。途中でイエルは尋ねる。
「リボンやレースは付けないのかい?」
此れにウベルは首を振る。
「本当の職人はシンプルに決めるものさ」
ポインテッドトゥの芯は、より鋭利にしないといけない。薄い板を誤って折ってしまわないようにウベルは細心の注意を払いながらゆっくりと慎重に火を当てて板を曲げていく。
「よし、こいつを仕込んで、すぐに踵を仕上げよう」
ウベルは形に妥協はしない。納得がいくまで鉄の型に当てた踵部分のアッパーを叩き、ソールを削っていく。何度も手で押しながら形が崩れないか確認をした。
ようやく納得して靴底を縫い合わせると、シンプルながら縫い目一つ見つからない素晴らしい靴が出来上がった。しかし、隣の赤い靴と並べると飾りが無い分、いくらか見劣りしてしまう。
ウベルは少しだけ考え、裁縫箱へと戻っていく。イエルはウベルの行動が分からず、ただ黙ってその様子を見ている。ウベルが裁縫箱から取り出して来たのはキラキラと輝くガラスの飾りボタンだった。
「わかった、そいつをつま先に付けるんだな」
イエルが嬉しそうに言ったが、ウベルは、チッチッと、目の前で人差し指を振って見せた。
「そう答えを急ぐなよ兄弟、もう少し待ってくれ」
ウベルはぴょん、と窓の外へ飛び出して行ってしまった。一人残されたイエルは急に不安になり、赤い靴の側で自分の肩を抱いた。いつも二人でいたから、一人で部屋に取り残されるのは初めてだった。
不安で押し潰されそうになった頃、窓から再びウベルが飛び降りてくる。手には二枚の白い羽を持っていた。
「パン屋の庭にいるアヒルを覚えているかい?彼奴に羽を貰ってきたんだ。特別白くて綺麗なのをくれたんだぜ」
その羽をつま先に固定し、上からガラスの飾りボタンをしっかりと縫い付けた。そうすると一気に高級感が増し、赤い靴の隣に置いても少しも見劣りしなかった。
ウベルはポケットから懐中時計を出した。
「不味いな。四時間と二十分三十五秒もかかってしまった」
イエルはウベルの肩に手を置く。
「仕方ないさ。レースを作ったり、羽を探す時間は計算に入っていなかったんだ。予定外の事にも対応出来るなんて僕達はなんて素晴らしいんだろう」
ウベルは頷き、弟の言う事は正しいと褒めた。二人は出来上がった靴を眺め、仕事に問題がない事を確かめると、裁縫箱の中へと帰って行った。
残っていたチーズを二人で齧り、初日よりも更に疲れていた二人は、挨拶もそこそこにピンクッションの上で眠りについた。
翌朝、気合いを入れて作業場に訪れた男は奇声を上げた。その声を聞きつけて、慌てて妻も部屋に入ってくる。そこで妻は両手で口元を覆い、感嘆の声を上げた。
「まぁ、なんて可愛らしい靴なんでしょう」
妻の言う通り、そこには二足の愛らしい素敵な靴が置いてあった。一つはリボンやレースが象られた可愛らしい赤い靴で、もう一つは洗練された羽飾りとガラスが光る美しい緑色の靴だった。
「まるでお姫様が履くような靴だわ」
妻はうっとりと顔を緩ませ、赤い靴を手に取る。小さな靴はとても妻には履く事が出来ない。少しだけ残念に思ったが、青い顔をしている夫に向かって、この靴もお店に飾るべきだ、と言った。
男は妻に逆らうつもりもなく、ただ黙って頷いた。
二足の可愛らしい靴を外から見える位置に置き、男は店を開けた。いつもは奥にいる妻もこの可愛らしい靴をずっと見ていたくて、夫と一緒に店に立っている。
男は少しだけ居心地が悪くなる。誰だか分からないが此処まで力の差を見つけられた作品を用意されるのが段々不気味に思えてきたのだ。
妻は神様の贈り物だと言ったが、冷静になって考えてみると誰かが作業場に忍び込み、どういうわけか立派な靴を作って置いていくのだ。得体の知れない不気味さを感じ、男は妻に隠れて身震いした。
暫くして、店の前に馬車が止まった。この辺りで馬車が留まるのは珍しい。何しろ、町の中とは言え、靴屋のあるこの場所は町の中心から外れた端にあるのだ。
こんな所にお金持ちが喜びそうな店など無く、大抵は通り過ぎるだけだった。靴屋の隣にあるパン屋だけは腕が良いと評判でいくらか客足があるものの、お金持ちならば使用人に買いに行かせるのが普通だ。不審に思いながら男は馬車を見つめた。
馬車からドレスを着た少女が二人、従者にエスコートされながら降りるのが見えた。その姿を見て、男は妻と結婚したばかりの事を思い出す。
女性に慣れていない男は結婚式当日、妻をエスコートしようと手を差し出したまでは良かったものの、緊張して妻の長いヴェールに足を取られ盛大に転けてしまったのだ。そんな男に妻は微笑みながら手を差し出して立たせてくれた。エスコートするつもりがすっかり逆になってしまい、恥ずかしさで真っ赤になったが、妻はどういう訳か幸せそうに笑っていた。
それから何年も経つが男は妻をエスコートした事がない。父から受け継いだ靴屋もすっかり今ではぼろ家になってしまい、妻には苦労をかけてばかりだった。せめてレストランにでも連れていき、あの時の失敗をやり直させて貰えたら、と思う。
高級レストランでドレスを着た妻をエスコートする自分の姿を想像して男は少しだけ微笑みを零した。その時は妻にぴったりな自分の作った靴を妻が履いているに違いない、と夢見ごちる。
そこで突然、ドアベルがチリンと高い音を立て、店のドアが開いた。そこに先程馬車から降りてきた二人の少女が立っている。男はあんぐりと口を開き、固まった。
一人の少女は長い赤毛を綺麗に巻いて、サイドに垂らしていた。結い上げた髪も頭上高く固定し、レースの付いたリボンで飾り付けている。労働とは無縁の美しさだけを追求した姿に男は神々しささえ感じ、動けなくなってしまった。
もう一人の少女は金色の髪を同じように高い位置で結い上げていたが、サラサラのストレートの流れるような襟足から零れた髪が洗練された大人の雰囲気を醸し出していた。二人とも髪の色こそ違うが似た顔立ちをしていて、くるんとカールした長い睫毛に縁取られた緑色の瞳が愛らしかった。
「此処がお父様の仰ってたお店かしら?」
金髪の少女が尋ねる。男は訳が分からず、答える事が出来なかった。今度は赤い髪の少女が口を開いた。
「お姉さま、きっとそうだわ。お父様の仰ってた通り、口の聞けない店主がいるもの。この店主が頷けば靴を売ってもらえるのよ」
金髪の少女が頷いた。
「そうね、先程から大きな口を開けてるけど、言葉を発しないもの。この店主は間違いなく口が聞けないのだわ」
そう言うと、二人は勝手に店の中を見て周り、飾ったばかりの赤い靴と緑の靴の前で立ち止まる。喰い入るように見つめ、そのうち熱い溜息を漏らした。
「なんて素敵な靴でしょう」
そこに妻が少女達に話しかける。
「お美しいお嬢様、此方の靴が気になるのでしたら是非、履いてみて下さい」
少女達は妻に頷き、早速それぞれ気に入った靴を履いてみる事にした。赤い髪の少女は赤い靴を、金髪の少女は緑の靴を所望し、二人は揃って靴を履いた。
妻が用意した姿見の前で少女二人はくるくると周り、嬉しそうに微笑んだ。
「お姉さま、なんて可愛らしいんでしょう。こんな素敵な靴、初めてよ」
赤い髪の少女が楽しそうに笑う。
「ええ、それにとても軽くて足も痛くないわ。これならどんな舞踏会でも何時間も踊っていられるわ」
金髪の少女も嬉しそうに笑った。そして二人は従者に申し付け、お金を渡すように言った。妻は流石にお金の事となると夫に聞かねばならず、心配そうに未だに動かない夫を見つめた。
従者は男に金貨を十枚渡した。最初に靴を買った紳士が恐らく少女達の父で、金貨五枚で靴を買った事を聞いていたのだろう。
男は持った事も見た事も無い大金に恐れ慄き、顔が青くなった。少女達は従者に告げる。
「お父様が仰ってたわ。店主が青くなったらお金が足りない、と言う事よ。私達はこの靴が欲しいの。もっとお金を渡して頂戴」
従者は恭しく頭を下げ、今度は五枚金貨を増やし、合計十五枚の金貨を男の手に乗せた。
男は泣きそうな顔で頷く。
少女達は嬉しそうに小躍りしながら店を出て行き、従者も後に続いた。
妻は恐る恐る夫の肩に手を乗せる。男は殆ど泣いていた。目の前の大金が恐ろしくて震えていたのだ。妻はそっと夫を抱きしめ、慰めた。
「きっと神様の思し召しだわ」
男は考える事をやめた。一マルクは銀貨一〇〇ペニヒと同等の額で、渡された金貨は一枚二十マルクだった。妻の言う通り、今まで不運続きだった自分達に幸運が訪れたのだ、と思う事にする。そうでもしないと男は今にも熱を出して倒れてしまいそうだった。
新しい靴を手に入れた少女達は馬車の中でとても楽しそうにはしゃいでいた。妹の、赤い髪をした少女は可愛らしいものが大好きで、リボンとレースの付いた赤い靴をとても気に入り、屋敷に戻ったらこの靴に合うドレスを作って貰うのだと言った。
「そうね、私もお父様に言って、次のパーティーに間に合うように、ドレスを作って頂かないと。私の靴は私の瞳の色に合わせた緑色ですもの、深い紫色のドレスに金糸の刺繍をしてもらおうかしら」
金髪の姉がそう言うと、妹も目を輝かせて答えた。
「次のパーティー?王様が開く春のお祝いパーティーの事ね。そうしたら私は目の覚めるような黄色のドレスに白いレースを沢山付けて頂くわ。胸元にはお姉さまと同じ花を飾るの」
黄色、と聞いて姉は嬉しそうに微笑んだ。
「分かったわ、花はクロッカスにするのでしょう?紫と黄色のクロッカスを模して、私達は花の妖精のように輝くわ」
すると、妹は閃いたように姉の手を取る。
「流石お姉さまだわ。私の言いたい事がわかるのね、でも何か足りないと思いません事?」
姉は首を傾げ、分かったと言うように頷く。
「白いクロッカスが足りないわ。良い事を考えた。お姫さまに白いクロッカスの妖精役を頼みましょうよ」
姉妹は楽しい思いつきに心を弾ませて、次のお姫様のお茶会で話してみましょう、と話し合った。
英国の王室や貴族の間では「サロン」と呼ばれる貴族の娘達を中心としたお茶会が度々開かれる。此処では様々な噂話や情報交換が行われ、女性にとっては大切な交流の場だった。
新しい靴を履いた姉妹も、この国のお姫様が開くお茶会に呼ばれており、年も近い事からお姫様とは仲良くしていた。この日の姉妹は靴に合わせた新縁のドレスと、赤を基調にしたピンクのドレスを着て、お茶会に呼ばれたどの娘よりも目立っている。
「まぁ、素敵な靴ね」
お姫様の前でドレスの裾を持ち優雅に挨拶をした二人にお姫様は目を丸くした。スカートの裾が持ち上がると、姉妹の履いていた靴が良く見える。二人はにっこりと微笑み、早速お姫様に自分達の思いつきを話した。
お姫様も姉妹の思いつきに、すっかり心を奪われ「素晴らしい考えだわ」と賛同する。どうせなら、ドレスのデザインも揃えましょうよ、と三人はお姫様御用達のデザイナーにお願いする事を計画し始めた。
お姫様はあまりに夢中になってしまい、他の娘が声をかけてきても上の空、軽く挨拶をするだけで姉妹をずっと側に置いていた。
「それにしても貴女達の靴は素敵ね。私が持っているどの靴よりも素晴らしいわ」
お姫様は姉妹の足元に視線を滑らしながらもう一度褒める。姉妹は得意げに、靴を手に入れた経緯を話して聞かせた。
「まぁ、それは面白い靴屋ね。それなら私もその靴屋にパーティーで履く靴を作って貰おうかしら」
そういう事になった。
可愛いお姫様のお願いは王様にとっては最優先事項だ。姉妹から話を聞いたお姫様はすぐに靴が欲しくなり、王様におねだりする。すぐに姉妹の父親が呼ばれた。
姉妹の父親である、最初に靴を買った紳士は、あの日からウベルとイエルが作った靴をとても気に入っていて、大切な日は必ずその靴を履くようにしていた。王様に呼ばれたこの日も勿論履いている。
王様は紳士に、お姫様の為に靴が欲しいのだと話した。話しながら王様は紳士の靴が気になって仕方が無い。
「ところで、お前の履いている靴はどこのデザイナーの物なのだ?」
王様の質問に、紳士はお姫様が欲しいと言っている靴屋で手に入れたのだと説明をした。王様は大きく頷き、それならばお姫様と一緒に、自分の靴も作るように命じた。
隣で聞いていたお妃様も王様におねだりする。
「まぁ、それなら私も是非作って頂きたいわ」
紳士はすぐに靴屋に依頼するようにする、と答え、王様とお妃様、お姫様の三人分の足の木型を受け取った。
王様は漆黒の威厳ある靴が良い、と伝えた。お妃様もそれならば自分は海のように深い青色の靴が欲しい、と注文する。お姫様は勿論白いドレスを着るつもりだったから、雪のように真っ白な靴を所望した。
紳士は王様に献上する靴ならば上等の革を用意しなければならない、と考え命じられた色の革を王室御用達の革屋へ注文する。
王様は前金に、といくつかの金と宝石を紳士に持たせた。すっかり用意を整えた紳士はあの靴屋の元へと向かった。
何も知らない靴屋の夫婦は突然手に入れた大金をどうするか二人で話し合っていた。男は勿論、妻に上等なドレスを買い、高級なレストランで食事をしたいのだと告げる。
妻は恥ずかしそうに微笑みながら、気持ちは嬉しいけれども贅沢はいけない。神様に感謝をして、お店を綺麗に立て直そう、と提案した。
二人の意見が割れてしまい、ゆっくり決めようという事にしてまだお金には手をつけないでおこうと決めた。
そんな時、お店に紳士が現れた。
男は輝くスーツを着た眩しい紳士にやはり仰天して口が聞けなくなってしまった。それに紳士は男の目の前に沢山の金と、宝石を置いたのだ。男の目はその輝きに目が眩む。
「店主よ、私が今日此処へ来たのは王様の為なのだ」
紳士は重々しく告げる。王様、と聞いて男は益々萎縮し、身体が硬直してしまう。
「実は王様は私の靴を見てとても気に入ってしまわれたのだ。お姫様がパーティーで身につける白い靴とお妃様の青い靴も希望されている」
男は陸に上がった魚のように口をパクパクとさせた。
「店主、無理して話そうとしなくて良い。店主が口を聞けないのは此方も心得ている。これらは前金だ。一週間後にまた来るからそれまでに作って貰えれば良い」
それだけ言って、男は満足そうに店を出て行ってしまった。男が口を聞けないと勘違いをし、男の言葉を聞かずに去って行った紳士の後ろ姿を今までにない程青くなった男が恨めしそうに見つめる。
バタン。
馬車が閉まり、紳士を乗せて完全に店から姿を消してしまうと、男はそのまま倒れてしまった。その音を聞きつけ、妻が店に顔を出した時、男は息をしていなかった。
妻は奇声を上げ、慌てて夫の頬を何度も叩き、水をかける。息を吹き返した男は震えながら妻に縋り付き、紳士の言った事を辿々しく説明した。
目の前には男が置いていった見たこともないような上等な革が三枚置かれている。二人は店を閉め、暫くお休みをするという貼り紙をした。
此れから一週間、二人はどうしたら良いのだろうと頭を抱えた。
その日は二人とも眠れず、次の日は重いため息をつき、三日目には言葉を発する事も出来なくなっていた。
このままではいけない、とデザインだけでも書こうとするのだが、男の手は震えたまま何も書く事ができずにいた。そうして四日目も何もしないまま過ぎてしまい、五日目は夫婦で青い顔で最後の審判を待つように向かい合わせで座った。
「あと二日であの紳士が来てしまうよ」
男が震えながら顔を覆った。
「あんた、紳士が来た日を一日目と数えていたら明日来てしまうかもしれない」
妻も掠れた声で青い顔のまま不安そうに言う。
「ああ、お前の言う通りだ。もうあの紳士に洗いざらい全て話して謝ろう。でも、王様は許してくれるのだろうか。もしかしたらこんな小さな靴屋の店主の首なんか簡単に切り落としてしまうかもしれない」
男はさめざめと泣き、妻に「すまない」と謝り続けた。妻も悲しくなり、一緒に泣き出してしまう。
「あんたが死ぬなら私も一緒に死ぬよ。私はあんたと結婚できて本当によかったと思っているの」
男は妻の手を取り何度も「ありがとう」と繰り返した。せめて、今夜は何も考えずにゆっくり休もう、と妻に言い、紳士が置いていった金も宝石も上等な革も全て作業部屋に移し、何も見えないようにした。
そうすると少しだけ気持ちが軽くなり、二人はお酒を一緒に飲んで深く眠りに落ちてしまう。とてもそのままでは眠れないと思った二人は人生でこれ程飲む事はないだろう、という量のお酒を沢山胃に流し込んだ。そのおかげでどんな物音がしても起きる事は無かった。