龍のひげのブログ -506ページ目

新年に際して思うこと

早いもので年が明けてもうすぐ1週間である。このペースでいくと、今年の目標を思い定める頃には来年になっているかも知れない。近年の温暖化の影響で極点付近の氷が融解していることによって地球の比重バランスが崩れているのであろうか。地球の自転速度が知らぬ間に増しているのだ。道理で一年の長さが年々短く感じられる訳だ。

年を重ねるごとに誰もが感じることだとは思うが、ある一定の年齢を超えると年齢数が増えてゆくのに反比例して人生が引き算になってゆく。死を基点として、あと何年生きられるであろうかと考えるようになる。子供のころには人生の時間は、大海の水滴の如く無尽蔵にあるのだと考えていた。いくら浪費してもなくならないものであった。ところが大人になって死を意識する年齢になると、ブラックホールに吸い込まれるように時間の経過が早くなってゆく。

私は今年で47歳になるが人生の折り返し点をとうの昔に通過し、引き算のカウントダウンが始まっている。寿命だけではなく、日常生活を見渡しても増えるものより減るものの方が日々、多くなっていくであろう。体力や記憶力は減退し、視力も衰え、黒髪や頭髪そのものが減ってゆくであろう。元々さして持っていない預金残高も尚一層、減ってゆくのであろうか。

新年早々、話しが暗すぎると苛立ちを感じられる方もいるかも知れないが、そうではないと私は思う。新年を迎え、年を取るということは本来“そういうこと”ではないのか。人間、自然の流れには逆らえない。死にまで至る、引き算としての減少、減退の意味を感得し得ないことには生命力の本質が見えてこない。反対に言えば、減少や減退を直視することが新たな生命力を育む源泉となるのである。これは一個人の問題ではなく、日本という国にとっても言えることだと思う。国家と言うものは人間を離れては有り得ない。日本がいつまでも不景気から脱し得ないのであれば、それは日本人一人一人の考え方や感じ方が間接的にそのような国を作っているからであろう。政治家のせいばかりにもしていられない。GDPや人口が減ったり、借金が増えたり、子供たちの学力や体力が落ちること自体は当然に憂うべきことであり、望ましいことではない。しかし老子ではないが弱者の強さと言うものは、全ての虚飾を剥ぎ取ったところにある道なき道の道理に生かされている宇宙論理であると思う。日本は今やこれまでの虚飾を捨て去り、新たな生命力を得るための試練に立たされている。それは“強者の弱さ”から“弱者の強さ”へと質的転換するための道であると私は思うのだ。

一面において現実とは幻影としての道である。

クリスマス前後の酔っ払い

不景気のせいなのか、ここ数年続いている傾向のような気もするが、クリスマス直前の街並みに華やいだ気配はほとんど感じられなかった。近くの商店街で店を出しているお客さんがうちの会社にやってきて首を傾げながら

「何でやろ、不思議やなあ。今年のクリスマスはジングルベルの音楽も全然かかってなかったなあ。そういう決まりになってたんかなあ。」と言っていた。そもそも大半の日本人にとって見れば、キリストの降誕日を宗教的に祝う感性など備わっていないのだから、景気が良くて生活にそこそこの明るさがあってこそのジングルベルである。貧乏に逼迫しながら身を忍ぶように年を越そうとする人々にとっては、クリスマスは“苦しみます”以外の何物でもない。

ところが日本人は景気が良かろうが悪かろうが、クリスマスや正月、花見のシーズンに酒を飲んで馬鹿騒ぎするのだけは大好きである。特にクリスマス前後の年末は忘年会も兼ねて一年間の憂さを晴らすように飲み潰れる人間どもが続出する。

私が住む家の前も人通りが多いので、たまにゲロが吐き捨てられることがある。今年のクリスマスの日にも私は知らなかったが家前にゲロが吐かれていたようで、その掃除をした母がぼやいていた。私は酒はよく飲むほうなのでこれまでの人生で死にそうな悪酔いをしたことは何度もあるが、道端にゲロを吐いた(記憶は)一度もない。記憶が飛んでいる可能性はないとは言えないが恐らくないと思う。ゲロはおろか、私は道に痰や唾を平気で吐いたりゴミを捨てる人間をまともな人間と思えないほどに軽蔑している。酒を飲んで楽しくなるのはいいが、ゲロを吐けば誰かがその後片付けをしなければならないということくらいは子供ではないのだからわかるであろう。不覚にも道で吐いてしまったのであれば、どこかの店で頭を下げてバケツと水を借りてきて洗い流し、こびりついたゲロは寒空の下であろうと自分のシャツを脱いで擦り取れと言いたい。もちろん酔っ払いが若い女性であっても同じである。日本人はそもそも酒にだらしない所がある国民性なのかも知れない。制度の抑圧が強い国なんで酒の力で箍が外れてしまうのであろうか。

漫才師の黒田がガールズ・バーで暴れて逮捕された。25万円も請求されれば、暴れたくなる気持ちもわからないではない。私は酒飲みなのでよくバーに飲みに行く。大阪でガールズ・バーが流行り出し始めた3年ほど前に興味本位で1~2回、行ったことがあるがそれで大体のところはわかってしまったので、もうそれ以上行こうという気は失せてしまった。何となく頭の軽そうな女が、薄い酒を作って、話し相手になってくれるのである。ダーツがあったりもするが基本的にはそれだけの店である。ところでキャバクラとガールズ・バーの違いをご存知であろうか。私はキャバクラにはこれまで一度も行ったことがないので詳しくはないが、キャバクラはスナックのように女の子が横に座って接待をしてくれる飲食店である。通い詰めて女の子と仲良くなれば、“アフター”と言って女の子の仕事が終わった後に食事に同行したりすることもあるようだ。ところがガールズ・バーは風営法上、女の子は客の横に座ってはならない、ということになっている。カウンター越しにしか接客できないことになっているのである。当然、アフターもご法度だ。ならばガールズ・バーはキャバクラに比べて健全で安心な男の遊び場かと言えば必ずしもそうとは限らないようである。実態的には、長引く不景気によってキャバクラがソフト化路線に転じて新たに発生したカテゴリーが、ガールズ・バーなのである。私がたまに行く事情通のバーのマスターが聞かせてくれた話しによれば、ガールズ・バーの実質的な経営者かオーナーのほとんどは性風俗店同様にその筋の組織と資金や金の流れで繋がりがあるということである。とは言っても店長も店の女の子も“素人”なので気心のしれた馴染みの店で遊んでいる分にはまったく問題はないが、何の情報も無しに初めての店に飛び込むにはかなり危険が伴う。その事情通のマスターは店の女の子に酒を飲ましてはいけないと言っていた。女の子たちと会話が弾めば、「それじゃあ、君たちも飲めよ。」と男は言ってしまうものである。あるいは女の子に「私も飲ませてもらっていいですか。」とせがまれて断る男はいない。男は自分が客として飲んでいるビールやカクテルの料金で女の子におごっているつもりなのだが、女の子が飲む料金は通常料金の倍以上で請求されることがあるのだという。だから一人の女の子だけでなく4~5人の女の子に気前良く振舞っていると勘定の際に大変なことになってしまうということだった。

そう言えば、確か1年ほど前には歌舞伎町の飲食店で客が酒に睡眠薬を入れられて昏倒し現金やカードを抜き取られた挙句に、真冬の明け方に店外で放置されて凍死する事件があった。その被害者は損害保険会社の部長だったようなので、金を持っていると思って狙われたのかも知れない。恐ろしい世の中である。

しかし黒田のように4人がかりで1人の人間に暴行を働いてはいけない。運悪くぼったくられそうになった時には、男としてどのような態度を取るのが正しいと言えるであろうか。

正解は、自分が妥当だと思える料金を払い、店から明細と領収書をもらって店側の請求する差額分については法廷で争うと言えばよいのである。自分の住所と連絡先をメモに書いて店長に手渡し、店長の住所と電話番号、それからその店のオーナーの住所と電話番号も書いてもらっておく。それでさっさと退店すべきだ。何がしかの金を払っているわけだから飲み逃げではない。つまり民事事件の扱いとなるから店長に私人逮捕の権限はない。もし店長が「ちょっと待て、帰るな。」と店に拘束、軟禁しようと少しでも手を掛ければ、暴行があったとして主張し、翌日病院に行って診断書を書いてもらえば慰謝料請求の口実となる。一般的にぼったくりの店は裁判だけは避けようとするものである。その料金がぼったくりではなくて適正価格であることの証明は、適正価格ではなくぼったくりであることの証明よりもはるかに難しいからだ。その上、裁判には時間と手間、要するにコストがかかる。結局、商売の採算が合わなくなってしまうことになる。住所と電話番号を店に知らせれば、後日電話等で威迫的な取立てをされる可能性が高いが、一旦トラブルになってしまっているのだから止むを得ない。面倒だけれど電話内容を全て録音して、地元、商店街組合の代表者か警察署に苦情を申し立てる以外にない。そもそも一見の客が安心して楽しめないような飲食店を放置している責任は、その地域を管轄している町内会や警察署にあるのである。

まあ、そういう厄介なことに関わりたくないというのであれば、知らない店には絶対に入らないことだな。特に街角の客引きについていく事は自殺行為である。ガールズ・バーの女はたとえ頭が軽くて、作る酒が薄くとも、身持ちだけは鉄壁のように固い。

軽い、薄い、固い、この3原則をよく頭に叩き込んで道にゲロを吐き散らしたり、誰かに暴力を振るうことなく平和に酒を楽しんでいただきたいものだ。酒のトラブルに善も悪もない。日頃の用心と心構えが全てである。

離婚後の生活 6/6

関連してもう一つ言いたいことは、“交渉事”は相手が強大に見えようともそう簡単に諦めたり、引き下がるべきではないということだ。もちろんそれは、“ごね得”や“無茶な要求”を奨励するものではない。それでは単に悪質なクレイマーに過ぎない。だが自分に是があると思える時には、実は相手が強大であるほどこちらが有利になるという逆転が生じる。なぜなら国家であれ大企業であれ社会的責任を無視し続けることは出来ないからである。だから、これは法律(条例)ですから、とかこれはわが社の規則ですからなどと高圧的に言われてもまったく怯む必要はない。論理的に我慢強く、その法律や規則がいかに道理に合わないものであるかを主張し続けることは、民主主義社会にあって決してルールやマナーに背くものではないということだ。もちろん個人レベルで法律や規則を変更させることは不可能なのだが、現実的にはほとんど運用や解釈の範疇でごまかしが効くものである。

たとえば先に書いた法テラスの元妻に対する請求の件に関しても、元妻は当初相手は国なのだから争っても勝ち目はないと悲観していたが、私はそんなことはないと言ってやった。その請求金額に同意すればその通りに決定し、不服ならば不同意にしてその理由を申し立てれば必ず減額される。そんなものなのだ。法テラスの担当者にしても自分の腹が痛むわけでもないし、そもそも弱者救済の看板を立てておきながら相場よりも高額の請求をする方が間違っているのである。

私と元妻の離婚訴訟においても、私の弁護士は当初から親権は無理だと言っていた。私が親権を取得することを元妻が了承するとは考えにくいし、判決になれば100%、妻のもとに親権がいくと弁護士は何度となく私に言ったものだ。確かに息子はマンションで元妻と一緒に暮らしているのだから常識的にも、法律的にも弁護士ならばそう考えるであろう。しかし私はそうではないと言い続けた。最終的には私が親権を取得する可能性が少なからずあるから、そう簡単に諦めたり決め付けないで欲しいと頼んだ。息子が元妻と一緒に住み続けることには私も賛成であったが、経済的には離婚後も私が最低限以上の責任を持ち続けなければならない。日本に共同親権がないのであれば親権と監護権を分離する以外に方法はないし、またそうすることが最良の選択であることは誰の目にも明らかだからそうならざるを得ないと私は踏んでいたのである。そもそも離婚した母親がシングルマザーとして経済的に自立しなければならないという生活モデルを無理やり押し付ける国が間違っているのだ。能力やキャリアのある女性であればそれでもいいのかも知れないが、いや自立できる女性であっても共同で離婚した元夫と子育てする道が子供のために用意されていなければならないはずである。このあたりの事情は日本の司法や世論はかなり奇妙なイデオロギーで歪められているように私は思い込んでいたのだが、実際には離婚を経験してみて必ずしもそうではないことがよくわかった。

私の経緯で言えば、離婚調停において最終的には決裂したものの親権と監護権を分離する案を当初から調停員も支持してくれていたし、それで成立しかけていたのである。その後訴訟になって元妻は態度を再び硬化させ、離婚も親権も認めないと主張し、高裁まで持ち越したのである。私は陳情書を書いて、日本に離婚後の共同親権が認められていないことがいかに子供たちの人生から本来受け取るべき利益を奪っているかを畠山鈴香の例まで持ち出して切々と訴えた。その上で今後、日本が共同親権を法制化させるためにはその第一歩として勇気を持って親権と監護権を分離する判決を書いて欲しいとお願いしたのだ。私は裁判官を洗脳するぐらいの強い気持ちで書いた。因みに担当裁判官は弁護士から聞いたところによると私と同年齢ぐらい(40歳代)の女性であったらしい。そうしたところ私の気迫が伝わったのであろうか、裁判官がその陳情書を読んだであろう翌日に法廷に出席していた弁護士から私の携帯に電話が掛かってきた。声の様子から弁護士が驚いているような雰囲気が伝わってきた。弁護士は訴訟になって元妻が態度を硬化させているので親権はほぼ無理だと考えていたようであったが、「裁判官は判決文を書く場合には母親を親権者にするが、母親に親権と監護権を分離する案を認めてもらうように説得すると言っています。流れが変わったので親権の芽が出てきました。」と伝えた。私は高裁の裁判官といえども頑なな元妻の考えを覆すことはできないと考えていたが、どのように説得してくれたのかわからないが、結局私が当初から予見し、要求してきた通りの和解内容に落ち着いたのであった。私としては本当は親権と監護権を分離する判決文を書いて欲しかったのであるが、そこにはやはり大きな壁があったものと見れる。現在、離婚して半年あまりであるが少なくとも現時点では、共同親権的な関係性が息子のためにも私と元妻にとっても正しかったことが、ここまで読んでいただいた方にはご理解いただけるものと思える。私はたとえ高裁の判決で親権者が元妻になっていたとしても最高裁への上告は考えていなかったが、その後も条件交渉を継続させて親権を取り戻すつもりでいたのである。また出来ると信じていた。

要するに交渉は諦めた時点で負けなのだ。それは調停や裁判だけでなく外交交渉も同じだと私は思う。バックにどんな権力や軍事力、圧力があろうとも最終的には生身の人間対人間の勝負なのである。またまた話しが飛躍してしまうが、沖縄の普天間基地移設問題にしても私としては最後の最後まで様々な圧力に屈するなと言いたい。日米関係の危機であるとか計画の白紙化を懸念する声があって当然かとは思うが、そういうことも踏まえた上で日本の基本的な要望として国外移設をはっきり言明すべきだと言いたい。交渉は諦めるか、粘るか、二者択一のゲームである。気迫がなければ流される運命を受け入れるしかない。焚きつけるつもりは毛頭ないが、日本は根無し草のように流され続けて今日に至っているのである。これ以上どこに流されるというのか。私の離婚後の生活と雑感は以上のようなものである。明日のことは誰にもわからないとは言え、全体のムードの中で国家もろともに流されるつもりは私にはない。

ああ、まとまりのない文章を長々と書き連ねてしまった。言いたいこと、伝えたいことがあまりに多すぎるとこのような悪文になってしまう見本のようなものである。まとまりはないが、私は一貫していると強がりを言って、今日のところは“さようなら”だ。私の魂はいつも日本と共にある。