初めて沖縄に行ったのは、まだ車線も逆
遠縁達は、円よりもドル換算の方に慣れていた。
タクシーに乗ると、観光スポットの前に《ひめゆりの塔》初め、戦火の爪跡生々しい場所を回った。
空は青く、更に蒼い海からの風だけが、魂を当時へと運んで行くような思いがした。
こんな狭い所に老若男女が、何十人も息を潜め
片やの壕では、戦線の情報収集、司令、指示
裸電球の下で、彼等は勝てると思っていたのか?
考える事を辞めていたのか?
映画のセットでは無い。
多くの民間人が、銃弾に倒れ、自ら命を絶ち、失った家族を悲しみ、自分も誰かを悲しませた。
説明の言葉も、どこか遠く、聞こえるはずの無い慟哭と悲しみに包まれた。
数ヶ所の島を回り
照りつける太陽
米軍機の轟音が空を炸き
さざ波の音は寄せて返し
乾いた石垣
地元の人も観光客もいない
三線の音色と機織りの音が、地獄を生き抜きながらも、自分だけが生き長らえてしまった…とでも云うような
乾ききった涙の代わりに、奏で、機織り
ワタシの魂は震えた
どんな大義名分が有ろうとも、人が人を殺す事を容認は出来ない。
人間は獣にはなりやすいが、人間以上の何かにはなれない。
地球の小さな島であるけれど、広島・長崎・沖縄…そして復興進まぬ福島
この国こそ、世界に共存共栄の平和を訴えるべきであろう。
その上で、世界の文化も尊重し、交流すべきであろう。
床の間に、武器では無く、三線を置く
タンゴやフラメンコも、為政者へジダンだ踏んで、市井は抗議した。
内戦・内乱の国々の犠牲者にも合掌。。
