何故なら
子供の取り違えは、幾らでも有っただろうし、実はワタシ自身が間違えられてましたから(笑)
今でこそ、出産に夫が立ち会ったり、出産後すぐに子供を母親に抱かせますが、団塊の世代の出産は、病室に戻り、湯浴みしてから、ご対面でした。
ワタシの親は、色々有って、ワタシの顔を見てから病室に…
そして、産着を着た子供とご対面
ん?ん?ん?
さっきと違う…眼、開いていたのに、、、それに、ひと回り大きい
と、看護婦に進言したところ、取り違えが発覚
いいか?悪いか?
実親の元で育ったワタシ( ̄∀ ̄)
映画は、子供の取り違えを発端に、人間としての成長とは…を、問いかけているように思います。。
実際に、取り違えは無かったけれど、事ある毎に、取り違えの件を引き合いにされたワタシは、幼心に
実子では無いのか?
と、何時も暗雲低迷状態でした。
そして、あのまま取り違えられていたら…と、現実逃避していました。
最近は、どっちに転んでも、今と同じ事で悩みながら七転八倒して生きていただろうな…と、思います。。
血縁故の骨肉の争いも有りますし、赤の他人だからこそ、優しく出来たりもします。
なんとも、人間とは厄介な生き物です。
しかし、同じ過ちを犯さない自制心や知恵を持つのも、人間のみ。。
雨風が近づいて来ました。。
皆様、お大事に…
熟
