拘ってしまうのは、なぜだろう | 夜明けと雲とすずめ

夜明けと雲とすずめ

楽天ブログでは、日々の備忘録に携帯写真日記「夜明けと雲とすずめ」を書いてきましたが、写真投稿がうまくできなくなり、そのままに。
こちらでは、たまには書こうかな。

独りごと。

ちょっとだけ困った気持ちになるのは、代金などの円を縁「1000縁」(1000円) 、「五千縁」(五千円)とする表記。

なんか、気になる。ひっかかり、気持ちが萎える。
どうしてなんだろう。
「円」と書かずに「縁」て。
余計にお金にこだわってる気がする。
「お金でなくご縁をいただくんですよ」的な、説明くささも、感じてしまう。

だからかなんか、落ち着かないんだよと
知人に打ち明けてみた。


知人は驚き、言った。
「『円』だって、重大な意味があるわけではないし、漢数字を『壱、弐、参』と表記したりするから気にしなくても。ご縁を大切にしてるって発信もできてるし、すてきじゃない。
一体なにがひっかかるの?」

とつっこまれ、黙ってしまう。

さらに知人は言った。
「あなたこそ、お金にブロック(あー、またブロック。もうよく聞いたな^^;)あるから、『縁』とすることを説明くさいとか違和感持つのでは?素直にいいと思えないなんて」と。

うーむ。

でも、やはり苦手。
「縁」と表記されたら、そこへ行く
気がいくらか削げる。
大好きな方も最近、料金を「縁」と告知しているのを見かけた。
行くつもりだったので、少しだけさみしく思った。

そんなんは困るから、1000縁や五千縁に違和感を持たなくなりたいとも思う。

ならないか。



※縁と表記している方が苦手なのではなく、表記そのものが苦手だなと感じてしまう私自身に困っております。

※掛詞、だじゃれ好きですが、出会いを『出愛』、待ってを「舞って」頑張ってを「顔晴って」と常に表記されるのも、なんだか落ち着かないです。
夜露死苦、も違うけど。