今の私をつくってきた道① | 【神奈川全国】色で楽しむランジェリー&おっぱいケア

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今の私しか知らない人は
いつもポジティブで前に進んでいて
新しいことに挑戦して切り開いていく。

いつも全国を飛び回っていてアクティブ。



そんなイメージを持たれているでしょうか。



これまでも過去については
いろんな場面で書いてきましたが
18日の誕生日を前に
決意したことを含め
少し書いてみようかなと思う。




この秋、東京の大好きな街に
引っ越すことにしました。



私は人にも場所にもものにも
あまり執着がなくて
同じ場所、同じ人とずっと生きるのが向いてない。


群が嫌いで、女子的なグループとか仲間意識のようなものが超絶苦手。



常に動いていたいし、流れていたい。



表参道に住む!
そんな話をするとこの人はすごく稼いでいて
キラキラして、高級志向。
一般的にはそんなイメージでしょうか。



でも、私の人生は決してサクセスストーリーなどではありません。



***







私は愛媛の電車の駅までも1時間かかるような
田舎で生まれました。


子供の頃は、道も整備されておらず松山まで車で4時間以上もかかったような場所。



長女として生まれ、妹がいて
父と母がいて、なんの問題もない家庭。


子供の頃の記憶があまりなくて
私の記憶と人の記憶は違うかもしれない。


私は小学5年生の頃に
両親に相談する、甘えることをやめました。

小学6年生の頃の私の悩みは
自分の存在価値について。笑笑

「私が生きている意味は何??」
「私の存在価値は何?」

6年生の秋にそんなことに悩み始め
私の人生のながーいどん底期が始まった。



これもまた側から見れば
大好きな音楽部を楽しんでいたし
勉強も人並みにはできたし
なんかそれなりにふつうの中学生、高校生
だったかもしれない。


だけどいつも心の中では
自分の生きる意味や価値について悩んでいて
孤独を感じてた。


そんな思春期の救いは浜崎あゆみの歌でした。

当時、キラキラして見えたあゆから紡ぎ出される詩は、私の心を代弁しているかのようで泣きながら聞いてた。

「こんなにキラキラした人でもこんな風に感じるんだ」ということが生きる勇気になっていた。


誰にも話せない心の闇はそうやってなんとか納得していたけれど、私は、いつからか自分を傷つけることで、自分を保つようになっていた。



はじめてしたのは13歳でたぶん10年くらいは
していたと思う。


いわゆる、リストカッターというやつ。


そんなことで死ねないことはわかっていたけど
傷つけることで、なぜか安心するというおかしな自分がいた。



18歳の私はただ、いつ死ねるんだろう…
今日死ねたらいいのに…と思いながら

過ぎていく時間をただ見つめて
あー、今日も死ねなかった。
明日来なければいいのに。
目が覚めなければいいのに。

そう思いながら眠りについていた。




そして18歳の春。

ようやく少し前向きになれたと同時に
私は自立を決意した。


それは両親からの自立。


「私は自分の足で立って生きていく!」


そう決めて実家から離れ、
高校生の妹と二人暮らしを始めました。


最初に決めた自立は、経済。
私はとにかく働いた。


働くのが好きなのはもうこの頃からです。


お金が好きとか働き甲斐がとかいうより
ただ、暇な時間を持て余すのが嫌で
3つくらいの仕事をしていました。



思春期のうつから少し抜け出したこの頃の私が
思っていたこと。




過去をうらやまず
未来をみ過ぎず
ただ、今日を精一杯生きてみよう。

明日死んでもいい。
そう思えるくらい今日という日を
生ききってみよう。



これは今でもずっと私の中にある
人生の価値観です。
 


そんな時にできた結婚を考えていた彼氏。

一年半おつきあいして最後はわけあってお別れしたのですが、
なんと彼はストーカーになりまして、
毎日待ち伏せされたり、ポストに恐怖のラブレターがはいっていたり、暴力を振るわれたり。

警察にも相談し、家の周りにはパトカーが巡回していて、パトカーで会社に行ったり、外に出たりしていました(笑)←よく考えたらこんなのなかなかないよねw
今の私が言うと笑いになるけど本気で恐怖の日々だった。

最後は包丁持ってマンションにこられましてね…死ぬかと思いました。


この話だけでも本が書けそうなくらいです。笑



20代は本当に波乱万丈!

一時期は自叙伝を書こうとすべて文字起こししたくらい激しかったです。


ざっとキーワードを並べてみても
結婚、流産、離婚、ストーカー、DV、強姦、痴漢、監禁、他にも友達が連れ去られたり、彼に巻き込まれ反社の人に追いかけまわされたり、、、笑笑


ほんと散々でしたww



今思えば、私が自分で自分を大事にしていなかったからだよなと思う。こんなことばかり起きたのは。



そんな20代。
私の中に一つ、生まれた価値観がある。



19歳頃から私は
1人で東京に行く事を始めました。


 
最初はアーティストのライブだったりして
徐々に人に会いに行くだったり
学びに行くだったり
田舎者からすればハードルの高い東京へ
私はあえて行っていた。



東京の街はとにかく人が多くて苦手。
鬱だった私には人混みなんて過呼吸がおきちゃう。



だけどなぜかこんな事を思っていた。

「ここに来ると、チューニングされる」

ずれた音がピタッと会う感覚で
本来の私になれる街。


東京はそんな感覚で、好き。



当時の私にはよく意味も分からなかったけれど
そんな風に感じていて
約20年が経とうとした今、その意味が理解できるようになった。



東京は私にとってニュートラルになれる場所。
本来の自分というスタンスで生きれる場所。




そしてまだ女性起業が話題にもならないような
10年前の夏、私はフリーランスという生き方を選んだ。