今、予め思いもしなかった100台のキャロムの完成品を眼前にして、6角堂は初めて渕上とオオサワに会った夜のことを思い返していた。オオサワと仕事ができて6角堂は嬉しかった。オオサワは、次々とアイデアを出すことができる、驚くべき能力を秘めた人物だった。これまで逢ったことのない興味深い人物であると経験直感的に分かったのである。
あの夜、オオサワはオカモトが帰ると、渕上と6角堂を奥の一段下りた部屋へ案内したが、そこは頭上に、まるで大きな漏斗を逆さにしたような太い換気装置が付いた3メートル四方のブリキかトタンの傘がある囲炉裏空間になっていた。
「囲炉裏」と言っても、それは煉瓦でほど良い高さに組み立てられた炉場で、今小さい炎が燃えているその周りに椅子で座ることになる。
「どうしたんですかこれ?」
「ふっふっふ、醸造小屋の廃屋に捨ててあったのを持って来て加工修理したんだよ。多分醸造工程のどこかで使った工具じゃないのかな」
「それにしてもデカいですね」
「うん。この天井の丸く窪んだあたりに布を置いて濾して絞ったのではないかと思う。でもいまいちなのさ」
「て?」
オオサワは小さい薪を二つ足した。すぐに明るく炎が起り、煙が上がったが、完全に上方には吸収されずに少し室内に漂ってしまう。
「煙が完全に室内に漏れないようにするには、やはり換気装置で吸い込む必要がある。でもね、換気装置をつけるとゴーッと音がして調子が悪いのよ。それにすぐに煤だらけ油だらけで掃除が大変。というわけで、現在煙を吸うんじゃなくて、風を当てるやり方で吸引力が強められないか、煙突の太さなんかも含めて実験中・・・・」
「失礼ですが、オオサワさんは何をしている人なんですか?」
それまで黙っていた渕上がニヤリと笑った。しかし笑っただけで何も言わなかった。
「それって職業のこと?だとするとその答えはいろいろ。強いて言うとデザインということになるのかな」
「デザイン?」
「何か作る必要があるものとすると、それを作る。いや、その制作工程をつくる。しかし発明というほど大げさなものではない」
「ヘーッ、いったい何をつくるんですか?」
「たとえば竹で構築物を作る。それからひょうたんでスピーカーを作るとか。カレンダーやTシャツのデザインとかもするよ」
と指を指した方を見ると、そこには、まるで大ダルマのような見事なひょうたんスピーカーが天井から釣り下がっていた。そして、手元のアンプのボリュームを上げると、そこには予め聴こえていたはずの音があった。それは、鳥や動物がギャーギャー鳴いている音にも聴こえた。それにしてもよい音質で驚かされる。耳に、いや肌にジワッと来る感じである。
「何ですかこれ?」
「スーパー・ハイソニック・サウンドだよ」
「はあ?」
「知らない?僕らの耳は通常約20キロヘルツくらいまでの音しか聴こえない。それより上の音は、肌で聴いている。それがスーパーハイソニックサウンドだ。その音をスピーカーで再現しようとする試みなのだ。それにはスピーカー全体が自然物でできていて振動するひょうたんスピーカーが最も相応しいと思う」
「でもこの音は?」
「そうだよ、これはアマゾンのジャングルで収録した音。実はスーパーハイソニックサウンドが最も多く存在するのはジャングルの中なんだ。僕ら人間はジャングルから来た。地上に降りる前は森の中の木の上にいた。そしてそこにはスーパーハイソニックサウンドがあった」
「なるほど。すごいですね。いろいろの意味はわかりました」
「なーに、これは趣味、遊び、でもこうしたことが仕事になって、生活できているわけ」
「では勤めていない?」
「もちろんよ。ご覧の通りの生活よ」
「勤めたこともないのですか?」
「それはある。若い時にいくつか会社で働いたことはある。でも合わないんだよね。会社で働くことが。何より自分の判断で動けないことが面白くない。それに仕事が終わっても会社にいなくちゃならないのが嫌。すぐやめてこちらの道に」
「道ですか?」
「いや、こうした勤めない生活にさ。何しろ生活費があまりかからないからね。僕に必要なのは工房とアトリエだけれども、ここの家賃は月1万円だからね。野菜は自分でも作っているしトモダチが食べ切れないほどくれる。それをまたご近所や別のトモダチに配ると、そのお返しに今度は果物や干物など、シイタケなんかもくれる。収穫期にたった半日間農家の米の運搬を手伝うだけで1年分の米がもらえたりする。主に必要なのは光熱費とガソリン代ぐらいになるが、東京へ行く時の高速代はバカにならない。しかしそれも、行くついでがある者が寄り合って一台で行けば安くできる。高速バスっていう手もある。その場合はバス停近くの友達の家に車を止めることもできるしね。それに何と言ってもここらの酒は旨い。しかも知り合いの醸造屋が良いところを特別に掬って持って来てくれたりする・・・・・」