JOKER.松永暢史のブログ

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15日リベラルアーツ初級は、『論語』から「雍也第六」を読んだ。

もういい加減にどんどん読み進めようと思うが、相変わらず議論活発でなかなかそう早くは進めない。

生徒たちは、これを客観化しつつこの世の中の大人が当たり前に思っている価値観を確認して楽しむようだ。

「ン!これは使える」、「これはどういう風に使ったら良いのだろう?」と実際に自分が使う場面をあれこれ想定しているのも面白い。だけどね、

—子の曰く、中人以上には、もって上を語ぐ(つぐ)べきなり。中人以下には、もって上を語ぐべからざるなり。(中以上のレベルの人には上のことを話すことが可能だが、中以下の人には上のことは話せない)

これは、ある程度学問のある者でなければ高級なことを話しても意味がないという意味だと思われるが、最近子どもの間でもそうした思考がはやっているのか、すぐに誰かが「差別だ」と口にする。すると誰かが返す。

「そんなこと言ったってお前よ、バカなやつに難しいことを話しても伝わらないのは当たり前じゃんか」

「するとよ、韓非子に出てくる、<およそ政治がうまくいっている時は、上の者が考えていることが下の者にわからないときである>というのも当然ってことになるじゃあないか」

「バレバレだと麻生さんみたいになっちゃうからね」

「でも、下の者を増やすために教育で手抜きを行うってのは正しいことになるね」

「その前が、<知るものより好む者が上、好むより楽しむ者が上>ってあるから、楽しんで学べないと中以上には行かないんって言うことかな?」

「でもその次が<知者は楽しみ、仁者は長生き>とあるから、超高齢者はそれだけで仁ということになるのか」

「ところで僕たちは中以上なのかな?」

沈黙。

これらは、ほとんど「爆笑」をも含みながら行われる議論であり、大いに盛り上がる。自分たちの意見をぶつけ合うことは本当に楽しい。

「もし僕たちが自分を、バカでない、中以上であると考えると、それはソクラテス的に矛盾する。先生はどうですか?」

「僕は自分をバカだと思っているよ。直そうと思ってもなかなか直らないところや、より高い思考がなかなかできない自分を知るよ。それにこの世はまだまだ自分の知らないことだらけだ」

「先生が自分をバカだと思っているんですか?じゃあ僕たちは当然バカ?」

「その通り、バカなのだ。ただソクラテス的に無知の知を知るということなのだ。バカである自分を知ろうとしないでどうして自分をバカでなくすることができようか。ただ、キミたちにはバカでなくなる時間が与えられているのだ」

すでに周囲の大人や親にとって彼らは相当手強い存在であるはずである。彼らは通常の大人が読み通さない古典中の古典を読みほぐし、しかも随所でこれについて議論するのである。しかもその技を日常で使って強く手応えを感じているのである。

かつて旧制高校の寮で自然発生したとも言える会読リベラルアーツ。これは単に教養を深めるだけではない。議論する能力を飛躍的に向上させるところが肝要なのだ。そしてそれは実は周囲の大人が望まないことだったのだ。

子どもの方が大人たちより賢くなる。これぞ教育の究極の目的であるはずである。子どもたちが優秀になって活躍し、年金を払ってくれる。そのためには子どもたちを賢くしなければならない。

リベラルアーツ、来週22日上級は、筆者出張のため休講。29日は奥多摩で夜のお泊り焚火会。リベラルの生徒たちが集まって大いに盛り上がりそう。ゲーム中毒の子も、議論をしたい子も、みんな集合!