JOKER.松永暢史のブログ

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大型連休に突入する。そこにはメーデーの日も含まれる。

そこで、ふだん忙し過ぎてゆっくり考えるヒマがないことに自覚的になるために、少し「労働」について考えてみたい。

生きているのであるから、何らかの労働をしなくてはならないことは当然である。

では、その「労働」とは、本来1日に何時間ぐらい行うのが適正なのであろうか。

こう自問するのは、「8時間」を当たり前と考えることを間違っていると疑うからである。

睡眠と生活必要時間を合わせて10時間とする。残り14時間のうち、仕事に8時間、移動に2時間かかるとすると、さらに残りは4時間ということになる。この4時間を確保してしかもそれを有意義な活動に充てることができる人は少数の幸運者であろう。ほとんどの人は平日この余暇時間を持たないであろうし、それも飲食や家でゴロゴロする時間などに費やすことだろう。やりたいことをやれば睡眠時間が削られることになるはずだ。結局動けるのは土日だけ。

余暇の過ごし方がわからないと言うのはまた別の話だが、生きるために忙し過ぎて余暇時間が取れないと言うのは本来は本末転倒な話ではないのか。

人はやりたいことをするために生きている。

違うか。

それには余暇時間が必要である。

違うか。

人はやりたいことをするために労働する。

すると、やりたいことをする時間がなくなる。

これは本末転倒の話ではないのか。

ひょっとしてダマされているのではないだろうか。

人が人として生きていくためには1日6時間以上の自由時間が必要なのではないのか。

もしも、自分の労働時間を一日6時間以内に設定し、しかも職場をできるだけ家の近くにした場合、一日7時間以上の余暇時間を手にすることができる。これならやりたいことがやれる。そうでなければ仕事が趣味の状態の仕事を選ぶようにする。

誰が決めたか「8時間」。

時間給1200円で8時間と、時間給1600円で6時間と同じ金額である。

労働するものは、それによって自分の時間が奪われているということにもっと自覚的になるべきではないのか。

連休中、企業はパートに支払う経費がかからない。連休中も働くのはお金がない人たち。

オーストラリアのように時間給を1600円にして、休日労働は時間給3000円にするのが正しいのではないか。

近未来的には1日6時間ぐらいが適正になると思われる。

ついでに小学校も教科学習は午前だけでよい。

地方が没落するのは、地方に若者がいなくなったからである。

既成の都市社会が崩壊するのは、若者が都市労働から逃げるからである。

そうしてまた、あっという間に20年が過ぎる。

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