1967年1月に発売されたデビューアルバムからシングルカットされた『ハートに火を点けて』の大ヒットの余韻も収まらない内に『ドアーズ』は、同じ年の10月に早くもセカンドアルバム『まぼろしの世界』を発表。ロックミュージックが世間に定着した今の視点からするとハイペースのリリースに思われるけど、まだロックがカウンター・カルチャーとして急速に注目を集めつつあった60年代では、そんなに違和感がなかったかもしれないし、それだけジム・モリスンや他のメンバーの創作意欲も旺盛だったという証拠なのかも。

『まぼろしの世界』のプロデューサーは、ウエスト・コースト系ミュージシャンを多く手掛けたポール・A・ロスチャイルド。この後も継続してドアーズのアルバムプロデューサーを担当する。そして本作のレコーディングではドアーズのメンバーに加えて、ゲスト的にベーシストが参加。ベースレスのサウンド形態はライヴにおけるドアーズというバンドの最大の特徴である訳だけど、スタジオレコーディングとなるとバンドメンバーは不自由を感じたぽい。見世物一座の座員を模したジャケット写真は異様だが、自分らも傍目から見れば見世物一座と五十歩百歩…という自嘲でもあったのだろうか。

 

 アナログA面1曲目『ストレンジ・デイズ』を直訳すれば「奇妙な日々」。ジム・モリソンがロック界ではお決まりのドラッグやアルコールに依存する日々を唄った詞で、ハードディズなバンド活動の喧騒ぶりも感じられる。イントロの嵐を連想させるオルガンプレイ。他にも変わったムーグシンセの音色を生かして幻覚的なイメージを盛り上げていく。

 

『ストレンジ・ディズ』

 

 2曲目『迷子の少女』は静寂なギターのアルペジオから始まり、ジム・モリソンのややねっとりとしたヴォーカルが特徴的だが、メロディーなんかは意外と心優しくロマンチックなムードもある。ギタリスト、ロビー・クリーガーの貢献ぶりが光る1曲。

 3曲目『ラヴ・ミー・トゥー・タイムス.』はベトナム戦争に徴兵された若者が、入営前夜を恋人と過ごすというシチュエーションの歌。エロソング的な表現も含んでいるのだが、無事還ってくる保証もない身として切実な問題でもあるのだ。詩はモリソンではなくロビー・クリーガーが書いた。奇妙なブルーススタイルのアレンジ。モリソンの叫びの後レイ・マンザレクのハープシコートぽいソロが入る。吠える様なモリソンのヴォーカル!

 4曲目『アンハッピー・ガール』と5曲目『放牧地帯』は2分にも満たない短い曲。『アンハッピーガール』は、テープの逆回転も駆使した、めくるめくマンザレクのキーボードプレイが特徴。『放牧地帯』ではモリソンが「歌」ではなく詩の朗読を披露、それに残りの3人が即興演奏を付けた前衛曲。朗読した詩はモリソンがハイスクール時代ビート文学に影響され、大学ノートに認めた物が元になっているという。

 A面最後の曲『月光のドライブ』は、モリソンがこの曲を作ってレイ・マンザレクに聴かせた事がドアーズ結成のきっかけになったと言われている。満月が出た夜、彼女と「死のドライブ」に出た「僕」。幻想感が漂いつつも自殺願望ソングとも取れるヤバい詞だ。イントロはピアノとスペイシー感漂うギターから始まる。演奏だけ聴いていると妙に陽気な感じもするのだが、もう死ぬ事なんか怖くないぞという気持ちの顕れか。間奏のスライドギターが聴き物。突然ワイルドに変化するモリソンのヴォーカル。そんな喧騒を振り撒きつつフェイド・アウトしていく…。『ムーンライダーズ』の前身バンド『はちみつぱい』の曲に『月夜のドライブ』という曲があるが、多分この曲にインスパイアされた物だと思われる。

 

『月光のドライブ』

 

 アナログB面1曲目の表題曲『まぼろしの世界』は、僅か2分ちょっとで終わる曲。世間に対する違和感をストレートに反映した歌詞は、後のパンク・ロックに通じる物があり、おかしいのは自分ではなく、自分を取り巻く世界の方じゃないか…と主張している。アルペジオのギターから始まり、ピアノを主軸とした演奏はシンプルだが、短いギターとピアノのソロは表現力が豊か。

 

『まぼろしの世界』

 2曲目『マイ・アイズ・ハヴ・シーン・ユー.』は「俺は君をずっと凝視している」というフレーズを連呼し、一緒にハイになろうぜと誘う歌。これもドラッグソングぽいが「TV」というワードも連呼されている所に社会批評的な目線を感じないでもない。ジャズぽい循環フレーズをギターが弾き、演奏も終わりに向けてどんどんハイになっていく…という感じ。2分30分ぐらいのい短い曲だが、結構ドラマチックなアレンジ。

 3曲目『おぼろな顔』は幻想的なキーボードとエフェクター処理されていそうなマリンバ、スライドギターなど、演奏メンバーがモリソンの詞に合わせる様に、各々シュールで個性的な音を奏でる。他のバンドで比類する物が思いつかない摩訶不思議曲。

 アルバム最後は11分弱もある長尺ナンバー『音楽が終わったら』。「音楽の終わり」は多分「ジム・モリソンの生の終わり」と同意だろう。それは同時にこの世界の終わりをも暗示する物なのだ…という、長尺曲にふさわしい壮大なメッセージを含む詞だ。モリソンの達観した様で何か言わずににはいられないヴォーカルと、クールさと狂気の狭間を埋める様な演奏の素晴らしさが一体となった名曲。

 

『音楽が終わったら』

 

 基本的には1stアルバムの延長線上にある演奏だが、連帯とかピースだとかの、当時のロックの常套的なイメージを完全拒絶し、自ら孤立する事を選んでいる様なジム・モリソンの個性は前作以上に際立っている。加えて演奏の表現力もアップ、ロックのカテゴリーからはずれそうな瞬間も幾つかあったり、サウンド面でも更に独創性が際立ってきた感じがするのだ。

 そんな感じで音楽面では順調な深化を見せつつあったドアーズだが、ライヴステージではジム・モリソンの奔放過ぎる行為があり、ドアーズはトラブルメイカーのバンドとして「悪名」を轟かせていくのであった…。