第3824回 『福澤諭吉伝 第三巻』その472<第四 塾制學務の改革(2)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第四 塾制學務の改革(2)

 

 (福澤発表「慶應義塾の學事改良」)つづき

 次に幼稚舎の事を云はんに、同舎は元と幼年者を敎育する一種の小學校なれども、小學科の外に本科と稱して本塾普通科五等より二等に至る學科と同様なるものありて彼此※1重視し、學制上に於ても經濟上に於ても妙ならざるが故に、普通科五等以上の學力ある者は都て本塾に合併し、幼稚舎を以て純然たる義塾附屬の小學校と爲すと共に寄宿舎を新築して生徒の起居眠食を便にし、其監督を嚴にして健全なる氣風を養ひ、敎育は英語を主として普通部より更らに大學に入るの地を作る筈なり。

 世間小學の數少なからずして至る所、就學の便ありと雖も、市中の小學は玉石混淆して其生徒中には風儀の宜しからざる者も少なからず、而して華族學校は餘りに貴族風にして平民の子弟を敎育するに妙ならず、是れ心ある父母の苦心する所にして、幼稚舎の必要は此に存するなり。特に幼童を集めて衣服飲食より盥嗽※2入浴の末事に至るまで、懇切に世話して恰も家に居ると同様の感を爲さしむるは幼稚舎の特色にして、常に入學生の少なからざるも偶然に非ざるなり。

 其外尚ほ改良の點を云へば、普通部に於ては外國敎師を増して益々英語を奬勵し、大學部に於ては法學、文學、理財學の外に、更らに政治學科を置て有爲の政治家を養成する筈なり。

斯くして慶應義塾を卒業するに幾年を要するやと云ふに、幼稚舎は六年にして卒業し、普通科は五年を以て終り、大學に入て更らに五ヶ年の修業を積み、始めて全科卒業の學士と爲るものなり。即ち滿六歳にして幼稚舎に入り二十二歳にして、塾窓を出づる勘定にして、其卒業生は學問に於て敢て他の學生に譲らざるのみか、十六年の苦學中には一種の氣風を感受す可し。即ち慶應義塾風にして、其塾風の人に有用なるや否やは兎も角も、之を解剖すれば則ち獨立自由にして而も實際的精神より成るを發見す可し。是れ義塾の特色にして、他に異なる所は主として茲に存するものなり。

 

 ※1■彼此:(ひし)あれとこれ

 ※2■盥嗽:(かんそう)(たらいと、うがい水の意から)手を洗い口をすすいで、身を清めること

 

 <つづく>

 (2024.2.7記)