第3820回 『福澤諭吉伝 第三巻』その468<第三 大學部設置と資金募集(5)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第三 大學部設置と資金募集(5)

 

 (福澤の、大學部設置における演説)つづき

 學を學んで人事を知らざるは碁客※1詩人の流に異ならず、技藝の人に相違なしと雖も人生の完全なるものに非ずとて、物に觸れ事に當りて常に極言せざるはなし。幸に我同學中には俗に云ふ變人奇物を生ずること少なくして、變通活潑の人物に富み、今の社會の表面に頭角を現はして學問上の所得を人事の實際に適用する者多きは、老生の特に滿足する所なれども、又一方より見れば凡そ人間社會の不幸は不學無識より甚だしきものなし。

 上は政治上の長者富豪大家の主人より、下は賤民職工又は小吏の輩に至るまでも、學問の所得又その思想なきが爲に、一身の不利のみか天下不幸の媒介を爲すもの擧げて計ふ可からず。口に天下國家の事を談じ、商機の掛引巨萬の利害を論じながら、家人の病に醫を擇ぶを知らずして、時に或は賣藥の妙を語り、又或は竊に神佛の利益を信じ、空しく父母妻子を喪ふて唯悲しむ者あり。

 是れは一身一家の私事とするも、其不學を擴めて公に及ぼし、法學を知らずして法を議し、經濟學を學ばずして會計を司どり、身に敎育なくして他人の敎育を論じ、商法に暗くして商業を營むが如き、假令ひ其熟練に依りて能く事を成すと云ふも、其事の成るや僥倖の偶中※2に過ぎず、社會の爲めに危險なるは、彼の生理病理の原則を知らずして賣藥神佛に生命を托するに等しく、不安心も亦甚だしと云ふ可し。啻に上流の不學のみ危險なるに非ず、賤民等が無根の妄説を妄信して殖産の利益を空ふし、周易、賣卜、方位、呪(まじなひ)の命令に從て家事を誤り、大工、左官、職工の輩が物理機械の思想なくして益なき事に勞するのみならず、時としては構造の法を誤て建物を倒し、熱力の働を知らずして家を燒くことさへなきに非ず。

 

 ※1■碁客:(ごかく)碁を打つ人。碁打ち

 ※2■偶中:(ぐうちゅう)偶然に的中すること。まぐれあたり

 

 <つづく>

 (2024.2.3記)