ひとりの力の大きさ | 定年退職後の人生をどう生きるか

定年退職後の人生をどう生きるか

60歳で定年を迎え、その後の20年をどう生きるか?
一度の人生、夢があるならやらずに後悔するより、やってみましょうよ

昨日こどもの日、大川小学校で子供さんを失ったご両親が、現場にお菓子とこいのぼりをたむけて手を合わせる姿をテレビで見ました。夢では無い現実がそこにをありました。


震災から間もなく二ヶ月、被災され避難所生活を続けていらっしゃっる方々の生活環境について、我々影響を免れた者に伝わって来る情報によって、食料や衣類など日用品も行き渡ってきて少しずつ改善されて来ていると理解しています。


今日のNHKの番組の中で日赤の医師団の追跡がありました。全国から派遣された医師のまとめ役の先生の決断が、食料の不足や衛生状態の改善、孤立して何の支援も届かない避難所や個人にも手が差し伸べられるきっかけと成った事をしりました。


医療チームが被災地に入った時、その割り振りさえできない状況だったのです。避難所の数、場所、どれだけの病人が居るのかなど、自分たちの医師としての能力を発揮する以前のところでつまずいてしまったのです。当然行政がなすべきところが出来ていない、出来なかったという状況だったのです。


 そこで彼はローラー作戦なるものを慣行します。まずは行こう、治安の悪化している場所は警察と連携し、自宅に居て見逃されている人も全て回り。本来は行政がすべき聞き取り作業も医療活動と平行してやりました。


すると食料が、震災から10日以上経つのに、ほとんど入って来てない事に疑問を持ちます。道路も通り、支援の輪も広がっているはずなのになぜ?市役所を訪れます。でもらちが明かず県庁へ。現場の切実な状況を伝え、今すぐ必要なのだ、さもなければ死んでしまうと訴えていました。「分かったすぐなんとかする。」となぜ答えられないのでしょう。そこで、カメラはシャットアウトされました。


避難所では、衛生状態の悪化により感染症も流行だし、手洗いのための水も必須の状況でした。



その後の取材で、食料が多く入るように成り、手洗い用の水も設置出来たとの事でした。


あの医師たちの声が無ければ、もっとこの支援が届くのが遅くなったに違いありません。行政という組織、組織だからこそ出来ることはもちろん多いし、大きい。でも組織であるがゆえにスピード感と緊迫感がとぼしいと思ったのは、私だけでしょうか。組織もたどれば頂点があります。判断を迫られた時どうするのか。やはりひとりの力も問われると思わざるを得ません。

  独り言でしたクローバー