子どもが話をしてくれない… 

「小さい頃は違ったのに、大きくなったら変わってしまった…」

ある母親が話していました。

この母親は子育てに頑張り、自分が産み育てわが子を可愛がってきました。

 

夫からは、家事や育児をしても特別感謝されない分、子どもの世話をすることで「子どもの役に立っている」という自分の存在価値を確認していたようです。

・小学生になっても起こしてあげる。

・ご飯やお風呂など身の周りの世話をする。

・やりたいことをさせて送迎する。

・やりたくないことは文句を言いつつもやってあげる。

・子どもの健康の心配をして、学校の様子も聞きたい。

 

 

まるで、子どもが彼氏のようです。

思春期になり、段々と子どもは話をしなくなりました。

 

心配をすればするほど「うざい」と塩対応をされるようになりました。

「反抗期じゃない?そういう時期なんだよ」とママ友に言われました。

 

 

 

反抗期とは何だろうか? 

皆さんは、心配性の母親に相談事をしますか?

世話を焼く母親に嫌気を感じたことはありませんか?

 

小さい頃は未熟で能力も低く、母親の手助けが必要になります。

母親も子どもを世話することで、一体感というか必要とされているという所属感、貢献感を感じられます。

「私は必要とされている」という存在価値を高めることで、孤独感から逃れることができます。

ある意味では子育ては「麻薬」のような働きをすることがあります。

 

ですから、親は子供が大きくなるにつれて、喜びと同時に寂しさを感じることがあります。

「私の手元から離れて行ってしまう…」と感じていると、依存性の高い赤ちゃんが欲しくなる場合があります。

赤ちゃんは、手がかかるので大変に感じる時も多々ありますが「母親」としての自分を求めてくれますし、無条件で受け入れてくれる神様のような存在です。

 

子どもの「自信」とは、行動的な自立から生まれます。

いつまでも心配される、世話をされると言うのは、「あなたは未熟な存在だ」と言われているのと同じです。

自分の世話は自分でできる、自分の責任は自分で取れるからこそ、自分を信じられるようになれるのです。

 

自立したい子どもと世話を焼きたいは親の間に葛藤が起こります。

まるで、相容れない暖流と寒流がぶつかるようにです。

これは、反抗期というより、子ども自身は成長して変化しているのに、親は「わが子だから」と言って、小さい頃から同じ対応をしていることで起こる関係の悪化です。子どもはそんな親に対してNO!を言っているのです。

 

親側が子ども扱いせずに、一人の人間として対応することで改善した事例はたくさんあります。

変わらなければならないのは、子ども側ではなく親側なのかもしれません。

 

 

どうすればいい? 

ここで、カリール・ジブランの子育てについての詩を紹介します。

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あなたの子は、あなたの子ではありません。
自らを保つこと、それが生命の願望。
そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子なのです。
 

あなたを通ってやって来ますが、あなたからではなく、
あなたと一緒にいますが、
それでいてあなたのものではないのです。
 

子供に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。
子供には子供の考えがあるからです。
 
あなたの家に子供の体を住まわせるがよい。
でもその魂は別です。
 

子供の魂は明日の家に住んでいて、
あなたは夢のなかにでも、そこには立ち入れないのです。
子供のようになろうと努めるがよい。
 

でも、子供をあなたのようにしようとしてはいけません。
なぜなら、生命は後へは戻らず、
昨日と一緒に留まってもいません。

あなたは弓です。
その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。
射手は無窮の道程にある的を見ながら、
 

力強くあなたを引きしぼるのです 。
かれの矢が遠く遠くに飛んで行くために。
あの射手に引きしぼられるとは、何と有難いことではありませんか。
 

なぜなら、射手が、飛んで行く矢を愛しているなら、
留まっている弓をも愛しているのですから。

カリール・ジブラン 著 佐久間 彪  訳

 

「自分の子」という私的な捉え方から、「社会の一員」という公的な視点に切り替える必要があります。

子どもは親から離れて、他人の中に入っていきます。

他人の中で活かされて、生きていくのです。

 

手を放して、飛んでゆく矢を喜べる親に成長しましょう。