学校に行きたくない!
子どもに「学校に行きたくない!」と言われたら、どうしますか?
・行きたくなければ行かなくてよい。
・嫌なことがあっても行くべきだ。
・そういう事もあるよね。
色々な考えがありますが、行く行かないは親が決めることではないのに、「行かなくてよい」とか「行きなさい」とかいうのは違和感を感じます。
私たちも何か理由があって「仕事に行きたくない」「あの人と会いたくない」と思うときはありませんか?
人は誰しも「快」に向かい行動して「不快」は避けたいと思っています。人としては当然のことです。
でも、 このまま行かなくなって「引きこもりにでもなったらどうしよう」と悪い方に考えて、不安なのは子どもなのに、親の方が不安を感じて動揺している親を数多く見てきました。又、家に一人でいさせるわけにいかない=「私が仕事に行けなくなる」と子どもではなく親自身の不都合が先に来てしまう場合があります。
問題は学校に行く行かないではない。
①学校に行かせたい。
②学校に行かなくてもいい。
③フリースクールや第三の居場所がある。
①~③の考えに疑問を感じる時があります。
不登校に対する対処的な対応であり、その奥にある根本の問題解決につながらないと思うからです。
先生・友達との人間関係や目の前の課題から逃げたい…
その対処方法として「学校に行かない」という行動に出ているとするならば、先生や友達との関わり方や課題との向き合い方を学んで克服する、一歩成長するチャンスなのに、「行く・行かない・行かせたい」との表面の問題解決に終始して、どうしてあげるか?が先行しているように感じます。
義務教育は、子どもが学校に行く義務ではありません。
子どもを産んだ以上放任していてはだめです。15歳までは親が教育を受けさせる責任や義務があるというのが義務教育ですので、子ども側ではなく、親側の問題なのです。
学校での教育を拒否されたならば、家庭での教育に力を入れればよいのですが、家ではゲームやスマホなど放任状態であることよく見かけます。放任状態にしておいて、困るから学校やどこかに行ってほしいは親のエゴではないでしょうか。
子ども側の立場からすれば、「わが子の為に」という愛という名の理想を押し付けられてきた子ども、甘やかされ「自分でやってみる」という羽をもがれて飛べない自分、チャレンジする勇気も、目標さえも分からず、逆に自由を奪われているように感じます。
なのに、まだ「行くか行かないか」に終始する大人たちが沢山います。
子育ての目的は「社会の役に立つ」人間を育てること
私たち人間は一人で生きていくことはできません。
どんなに勉強や運動の能力が高くても、人に嫌われたら幸せにはなれません。
教育の目的は、社会(人間関係)で、自分が所属する仲間の役に立つことです。
学校なら友達やクラス、部活なら仲間、仕事なら職場、家族なら家族の人たちです。
相手に喜ばれるには、自分中心の見方から、相手の立場に立って物事を見る力が問われます。
「相手の幸せの為に、自分ができることは何か?」と考えられ人間に育てる必要があります。
・自分の為に相手が何をしてくれるのか?
・自分がやらなくても誰かがやってくれる。
と考えていたら、相手の立場に立てなくなります。
例えば、家族。
家庭での父親の役割、母親の役割、子どもの役割があり、一つの家族を形成しています。
人間として能力が育っていない「乳幼児」は親の保護や世話が必要ですが、幼児や小学生になっても乳児のように親に保護されて、世話をされていれば責任感や自信は育ちません。
年齢の発達に応じた成長と共に、自分のことは自分でできるように親はしつけていく必要があります。
親がやってあげていたことを子どもが自分でできるようになれば、親自身の仕事が減り、楽になるはずです。
子どもが大きくなってきているにも関わらず、忙しい・時間がないというのは、親が子どもの世話から脱却せずに、子どもを自立していないからではないですか?
家庭は、外に出す前の訓練の場所です。
家でできないことは、外の世界でもできるようになりません。
もし、家でできないのに、外でできるとしてら、家でもできるのにやらせていないという事です。
又は、家と外でのギャップに苦しむことになるかもしれません。
不登校は病気ではありません。
家族での「誤った生活習慣や歪んだ人間関係」が問題なのです。
子どもを変えようとする前に、大人が真剣に変わる必要がありそうです。
不登校は、そんな大人たちに子どもがSOSを発しているのではないでしょうか?
そのSOSをかき消したり、誰かに転嫁するのではなく、親自身が受け取ってあげる必要があると思います。