□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(24)

(「水中花・水仙花」より)

寒菊や母のやうなる見舞妻

季語は、「寒菊(かんぎく)」で、三冬。

特に説明の要らない句だとは思いますが、波郷をずっと見舞ってくれている妻あき子さんが、次第に自分の母親のように見えてきたという句意です。季語は、「寒菊」と言えば、小さな黄色い素朴な花をイメージしますが、波郷の母親のイメージはそういうものだったのでしょう。もちろん、妻あき子さんが、寒菊を病室に飾ったであろうとは思いますが。

療養のゆふべ初場所はじまりぬ

季語は、「初場所(はつばしよ)」で、新年《中》。

今は、各ベッドに一台のテレビが据え付けられていて、各人がカードを購入して個々にテレビを見るのが普通ですが、この昭和40年代には、まだまだテレビ一台お高いものでしたから、おそらく病院の待合か、休憩室あたりに一台テレビが置いてあったのだろうと思います。そこに、相撲の時間がくると歩行が自由な患者たちが集まり、わいわいがやがやと初場所の模様を観戦しているのです。しかし、波郷はおそらく相撲が始まってもベッドで横になっているしかありませんから、患者たちが相撲の勝敗で騒いでいるのを聞いているのでしょう(波郷はラジオは持っていました)。できれば、あの患者たちの輪に入って一緒にテレビ観戦できたらいいのにと思っていたのではないか、と推察します。

  中條明君来
巨き蜜柑呉れて船乗汝はそびゆ


季語は、「蜜柑(みかん)」で、三冬。

中條明氏については詳細不明です。「舷梯」という句集を出しているようです。舷梯とは、「船舶の外側、舷門部に備える乗下船用の可動式または固定式の階段」、つまりタラップのことです。このことと、本句の内容から、中條明氏が船乗であることは明白です。

その中條明氏が見舞いに来てくれたのです。大きな蜜柑を持ってきて。その中條明氏の姿は巨艦のごとく聳え立つように健康そうで頼もしく見えたのでしょう。

同時に、船乗りですから、今度いつ会えるのか分からないという事情もあります。自分(波郷)の健康状態からいって、これが最後の面会となるかもしれないという思いがこの句の背後に隠れていると思われます。

曙は未だ遠しよ水仙花

季語は、「水仙(すいせん)」の傍題、「水仙花」で、晩冬。

この句の「曙」には当然二つの意味があります。一つは、不眠症に悩まされていた波郷が待っている夜明け。そしてもう一つは、病気の回復。どちらも「未だ遠しよ」という状態。

季語は、「水仙花」。何度か指摘したように、波郷が病身の自分の姿を「水仙花」に見立てているととって間違いないでしょう。

吸入やみつめどほしのフリージヤ

季語は、「フリージヤ(フリージア)」で、晩春。

吸入をしている情景。波郷がじっと見つめているのは、フリージアです。おそらくは、実際のフリージアの花があって、その花の方を見ているのだろうと思います。ただ、フリージアの和名は「浅黄水仙」です。フリージアの葉が水仙のそれと似ているから言われているのですが、もしかすると花ではなく同じように吸入をしている患者を見ていたのかもしれません。どちらかは私には判断できかねますので、読者の判断に委ねたいと思います。

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X投稿句(5/1から5/15のものから抜粋)

街活きて子ら叫ぶなり吹流  森器

馬鈴薯の花も烏も朝日受く

葉桜の空より墜ちて来し雀

花は葉に喋り足らざる少女たち

うづくまる小鹿の尻の可憐なり

新緑や鳩鳴き人は語り合ふ

緑さす悔し涙のひとしづく

こんなにも緑の好きな猿だとは

一口の新茶逆夢消せぬとも

古茶新茶亡母の愚痴も懐かしむ


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今日は、若干手抜きをさせて頂いて、今年の5月1日から5月15日までにX(旧Twitter)に投稿した句を抜粋して掲載させてもらいました。

抜粋ですが、そもそも創作した句の数が少ないのです。もちろん、四月の後半から、5月半ば過ぎまで、胃腸の調子を崩して、俳句創作が困難な日が多く、Xの投稿も休みがちだったからです。

Xでは、あるサイト上に毎日だされる兼題に合わせて毎日投句することになっていて、これはかなり厳しいものがあります。しかも、私があまり馴染みのない季語が兼題として出されることがあります。その辺は、動画を見たりWikipediaで調べたりして、何とか句の形にしようと努力しています。

なので、少し不自然ではないかと思われる句もあるのではないか、と若干不安です。しかし、そういうものとして私の駄句を読んでいただければ、と考えて、ここに掲載することに致しました。

週に最低二日はお休みさせていただいておりますが、アメブロにおよそ五句、Xに三句を投稿していることになります。同時に短歌も投稿しているので、なかなかハードです。それでも、アメブロにはアメブロの良さ、XにはXの良さがあります。結社に入っていない分をXで埋め合わせているという意味もあります。

まあ、それでもあまりにも体調に影響があるのならば、無理をせずどちらもお休みをいただくことにしています。ご了承ください。


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。