ありがとう。
ありがとう。

ありがとう。


何度も何度も、手を振りながら叫んでいた。


嬉しくて涙さえ流れていた。


今朝の夢だ。




目の前には、まるでパレードの様に人々の行列が通り過ぎ、私はそれを見て歓喜する民衆の中にいた。



星だ。


私は夢の中で、パレードの中の一人ひとりが星星と同じ存在だと理解していた。




その中に、何故か櫻井翔さんがいて、私は彼にも大きく手を振り「ありがとう」と叫んでいた。

三次元では、彼のファンではないが。




そして…


もうすぐ行列の後方からあの方が来る。

私は待ち侘びていた。

その人の名は…



目覚めた時には、思い出せなかった。
知っていたはずなのに。


考えてみれば、最近、心から感謝することが多くなった。

そういえば、昨日の免許更新の手続きの時も。

混み合う中での事務作業で、誰もが無口で無表情な中、私は何故か担当者の一人ひとりに「お願いします」「ありがとうございます」と無意識に声をかけていた。

多分櫻井さんも、この後皆の為に何かしてくれるんだろう。
正直なアナウンスかもしれないな。

ありがたいことだな。

朝目覚めた時、ふとした時、気づけば毎日感謝している自分がいる。

何故こうなったんだろうと考えた。


そうだ。
最初に、誰かに強い感謝の念を持ったのは、あの時だった。

今年一月のこと。
私は失明を覚悟する事態に陥った。

当初はそれでも絶望することもなく、我ながら強い精神力だと呆れていた。

だが、様々な事が起こり、時間と共に打ちのめされてしまい、気づいた時には立ち直ることができなくなっていた。


希望を失った時の自分というものを初めて体験し、死をも考え、覚悟をした。

たが、人生は何者かによって導かれている。

それから数カ月後、ある医師の手術を受けることになったのだ。

強い恐怖心を抱きながらの手術だった。

寝椅子に横たわり、まさにこれからそれが始まるという時に、
私は、担当医師本人に、彼がこの世に存在してくれたことに、彼の母親にまでも、激しく感謝した。

手術は無事に終わった。


何故あの病が与えられたのか。
この病の意味は。
生かされている意味は。
夢から覚めて改めて考えた。


どうやら、私は病気によって覚醒を促されるタイプらしい。

そう思い当たって、顔に触れると涙が流れていた。
感謝だ。


文字通り体得したのは、
得難い感謝の念だ。

口先だけの「ありがとう」とは遥かに次元が違っていた。

ありがとうは有り難い
ではなく
得難い真心からの感謝の念だった

この先の地球を生き抜く為に、無くてはならないもの。

それが感謝だった。