最近のうてなは、絶賛甘やかしキャンペーン中である。
誰をって、外ならぬうてなを。
だって、満月デトックス半端なかったんだもん。
だるかったし、眠かったし、マジでぐったりだった。
で、一人でお寿司屋に行ったり・・・。
今日は、鰻屋とカフェのはしごをした。
(写真撮らなかった)
食べたいものを食べ、したいことをする。
自然にそうなるのが、甘やかしキャンペーンだ。
ところで、名古屋の鰻屋と言えば、ひつまぶしの蓬莱軒が有名でいつも長蛇の列である。
だが、個人的には鰻をわざわざ出汁茶漬けにする必要はないと思う。
そんなことをすれば、せっかくの香ばしい炭火の香りが消えてしまう。
山椒も引き立たない。
粋ではない。
備長炭で焼いてない鰻は、ひつまぶしで誤魔化すしかないのかもな。
以前、静岡で鰻を注文したら、蒸し鰻が出てきて食べられなかったことがある。
焼き鰻と蒸し鰻の境界線はどこなんだろう
名古屋には老舗も多いが、今日出かけたのは、炭火薫る一押しの鰻屋さん。
でも、行列が長くなると嫌なので、店名は教えられない。
(どうしても行きたい方は、こっそりお教えします。)
白焼きも美味しいので、いつも、うな重とは別に注文する。
贅沢なランチだ。
でも、今日は長男がご馳走してくれた。
数日前、長男が、「どうしても鰻が食べたい。特にあの白焼きが食べたい」と言い、奢るから行こうと誘われていたんだ。
願いは叶うもので、その約束からすぐに、長男は上司に鰻をご馳走になったと言う。
きっと、満足したから当分行かないだろうと思ってたんだけど・・・。
どうやらその鰻では満足できなかったらしい。
実は、彼には別にお気に入りの鰻屋がある。
店先でダイナミックに鰻を捌く店主は、その技が見事なことで知られており、また鰻もかなり太っていて大きい。
丼からはみ出す鰻は、皆を圧巻するボリュームと見た目で、食欲を大いにそそる。
味もとても美味しく、初めて頂いた時は感動したものだ。
が、お店の所在地が古くからの焼き物の町ということもあり、うてなにはお味が少々濃いめなのは否めないのであった。
今日の鰻屋は、うてなが一番好きなお店。
その後は、カフェでケーキセットまで頂いた。
長男はクリームチーズケーキ、うてなはアップルパイ。
温かいパイに冷たいアイスクリームが添えてあって、美味しゅうございました。
長男は「なんか鰻のせいかパワーが出てきた気がする」と満足気で、うてなはしみじみ幸せを感じた。
命を頂いたことで、これほど幸せを感じるとは、人間とは罪深い生き物である。
車に乗り込み思わず「ああ美味しかった~。幸せ~」と何度も呟く。
すると、運転する長男が、
「これで、あなたも頑張れるかしら?」と訊いてきた。
「ああ・・・・・。」
忘れていたのに・・・・。
そう。
この後、うてなは頑張らないといけないことがあったのさ。
親不知を抜くという・・・。
思えば、8月3日は強烈な満月だった。
あの直前に、左下の奥歯が痛み出したんだ。
歯医者に行くと、週末に抜歯という診断が出て、「これも満月デトックスの一環かよ」と思わず呆れてしまった。
それから三日間、「嫌だなぁ」と思いながら今日の日を迎えたのだ。
何とか避けられないかと考えたが、避けられそうもない。
息子は当初「歯が治ってから鰻を食べよう」と言っていたが、食べさせてから「さっさと抜いて来い」と言うのだ。
歯医者の診察室の壁面には、絵画が飾ってある。
先日の椅子の前はモディリアニのお下げ髪の少女、今日の椅子の前はドガの踊り子だった。
その椅子に座り、麻酔を打つと力が抜けて体が震え出した。
麻酔には過剰反応するのだ。
実は、これが心配だった。
親不知はあっけなく抜け、止血を待つ間、踊り子を眺めながら自分の感情を見つめた。
この数日、痛みに耐えていた。
親不知を抜くことに、麻酔に怯えていた。
恐れの感情だ。
今こうして抜いてしまえば、何故そんな感情を抱いていたのかと不思議に思うほど、跡形もなく消えてしまった感情だった。
実際拍子抜けするほどの激変だった。
その時不意に、最近の波立つ感情も「恐怖」だったのだと腑に落ちた。
何故なら、人間には二つの感情しかないのだから。
「愛」と「恐怖」。
全てのネガティブ感情は「恐怖」に根差し、ポジティブな感情は、「愛」「に根差す。
感情も陰陽の法則=二元性の域を出ないのだ。
あのイラ立ちも怒りも、相手ではなく、うてなの心が勝手に生み出したもの。
隠し持っていた恐怖心から生まれたものだったんだ。
そう思い起こすと、そんなことに時間を使ったことがあほらしくなった。
馬鹿々々しい。
結界を張った時に、すっかり手放した「恐怖」の感情だったのに。
この世に怖いものなんて、何にもなかったのに。
いつの間にかまた持っていたなんて、情けない。
まさか歯医者の椅子で、歯を抜いて、気付きを得るなんてな。
お陰で、心身共にすっきりしたわ。
デトックスサイコー
ところが、夜になるとなかなかシビアな展開となった。
流石、ライオンズゲート全開の夜である。
一見すると、困った出来事が起こる。
でも、それは何らかのチャンスであり、進化の過程だ。
うてなは基本的に、自立をメインに子育てしてきた。
自主性を大切にしてきたので、選択も本人にさせる。
次男は思春期前から母親だけで育ててきたこともあり、なめられてるのかもな。
でも、今夜ばかりは次男の行動について、説教しなくてはならなかった。
弁が立つ次男を納得させるのは、かなり面倒くさい。
鏡だな、きっと。
若い頃の自分を見るようだ。
次男は哲学が好きで、小難しい話をし、理論武装してくる。
うてなの人格を否定するのも、自分の行動を正当化する為だ。
だが、自主性を重んじるのと、何でも好きなようにして良いというのは違う。
話が進んでいくうちに、自信、本音、尊敬、人生など、深い話となった。
彼がしでかした行動の陰には、根本的に自信の無さがあることを指摘したのだ。
それは自傷行為にも似て、親としてはかなり耐え難い。
だが、その行為そのものより、そうしてしまう彼の心の方が何百倍も悲しかった。
それを何とか理解してほしかった。
ふと、自分の言葉に自信と力が漲っていることに気付いた。
歯医者で「恐怖」を手放したお陰だろうか。
それとも、ライオンズゲートの霊的エネルギーだろうか。
最初は抵抗していた次男だったが、やがて素直に謝り、反省するに至った。
これで我が家の方向が決まった。
結界を張った我が家では、常に場の波動の転化が起こり、低いエネルギーは存在できない。
霊的に開く獅子座の門は、くすぶっていた問題や隠れていた問題に光を当て、昇華させる。
霊的進化は、祖先と守護霊の願いだから。
次男と話し合う前、抜歯の後を「痛いなぁ」と呟くと、夜遊びに出かけようとする長男から、「早く休みなさい」と声をかけられた。
話し合いの最中、痛そうにしていると、次男は「痛かったら話さなくていいよ。筆談でもなんでもいいし・・・。」と心配してくれた。(笑)
誰に似たんだろう
うちの息子たち優しいんだよな~。
時に反抗的な次男だが、基本的には優しいのだ。