『出来ないことだって、大事な才能』


今回のアメブロのテーマは「頑張って報われたこと」。

たくさん考えたのですが、よくわからなくなってしまったので、背伸びせず、今の私が感じている/考えていることをひたすら書いてみよう、と思っています。


ほんの5分。たった5分でいいので、私に時間をください。



私が「頑張って報われたこと」は、「運が運命になった瞬間」です。



私は


「努力は報われる」


という言葉に出会ったことがあります。幾度となく励まされたし、信じているけれど、この言葉に3文字だけ、付け足した言葉を私は信じていたりします。



それは、


「努力はいつか、報われる」


ということです。



この目標を、この夢を叶える。そう決めて頑張ったはずだけれど、願った目標や夢が叶わない。そんな時が私にはあります。その度に「時間」はすごく素敵な一方で、時に試練を与えるものだなぁと感じます。時間が「ある」から、時間という制限が「ある」から、叶わない目標や願いがあると思うからです。


でも、時間が止まることなく「進んで」くれるから、新しい考えや価値観に触れられて喜びを感じたり、抱いていた痛みが薄れていくこともあって。時間という制限があるから気付ける、そして、生まれる幸せもあると思っています。たとえ、時間という制限の中で、思い描いていた結果を手にできなかったとしても、どんなに願った目標が叶わなかったとしても。叶わなかったからこそ初めて出会えた感情や出来事があって、私はその出来事や感情に出会うために、こういう運命だったんじゃないかなって思うことがあるんです。



その「出会い」って、努力が報われている瞬間なんじゃないかなって思うんです。努力していなかったら、頑張っていなかったら、出会えなかった感情に出会えたから。知らなかった世界を知れたから。気付けなかった思いに気付けるから。そして、その感情を知ったとき初めて、新しい夢が生まれていく。そんな新しい夢や願いが生まれることこそ、頑張って報われたことだと思うんです。夢や願いが生まれるから、日々の生活に、人生にいろんな色がついていく。苦しさも、楽しさも、輝きも。いろんな感情が生まれてくれる。



私には、叶わなかった夢があります。


でも、だから叶った夢があるんです。

なぜなら、もしその叶わなかった夢がなかったら、叶った夢はそもそも夢の形を持つことなく消えていたはずなんです。




だから、努力は「いつか」絶対に報われる日が来る。仮令、当初思い描いていた夢ではなかったとしても、きっと出会う「運命」だった感情や出来事のために、そして何より「新しい夢」が生まれるために、この結果になったのだと思います。




ところで、「夢」をはじめとする全ての物事にどうしてもくっついて離れないものが一つあると思っていて。それが「運」です。



その形の雲を見れたのは、ふと見上げたその、たった一瞬に顔を上げたから。メニューのオレンジジュースの写真を見たら、オレンジジュースが無性に飲みたくなったり。ふと大学のキャンパスを歩いている時に、ア式女子の先輩にお声がけいただいたことが契機となって、ア式女子の存在を知って入部したり。いくつもの「運」が重なって、すべての物事は生じているような、そんな気が私はしてしまうんです。



物事が全部「運」で出来ていると考えると、何も出来ないように思えてしまうけれど、「運」を「運命」に変えられるたった一つの方法があると私は信じています。それが、「がんばり」です。運命になってほしい。どうか、叶ってほしい。強い願いという「がんばり」がある時、運は「運命」となってくれるときがあると思います。


それでも、「がんばって」出来るようになりたかったけれど、したかったけれど、私には出来なかったことが過去にいっぱいあります。努力が足りなかったことも、時には自分の力ではどうしようもなかったことも、あります。運命にすることの出来なかった「運」が、過去にも今にも未来にも転がっています。



けれど、出来ることが才能なら、出来ないことだって、才能だと思うんです。

出来ないから、出来ることもある。


だから私は、いつだってその時の自分の精一杯を全てに尽くしたい。私のもとに舞い込んできてくれた「運」を、何としても「運命」に変えたい。



強く、強く願って、運を運命に変えようとまっすぐ踏ん張る時。強く願うからこそ出会う壁や苦しさや困難があって、でも、そんな壁や苦しさや困難に出会って初めて気づくことのできる幸せがあると思っています。まっすぐ、強く、踏ん張って初めて気付くことの出来る、目の前の小さな幸せがあると思います。その小さな幸せも、頑張って報われたことの大事な一つだと、信じています。



頑張ったら失ってしまうものもある。でも、何かを失った時はきっと、何かを手にしているはずだから。コップに入る水の量は確かに限られているけれど、もしも水が溢れてしまうのなら、コップの下にもう一つ、大きな器を置けばいいから。だから私はいつだって、まっすぐ向き合いたい。好きなことを、好きだと胸を張って言いつづけたい。大事なものを、大事だと胸を張って言いつづけたい。この軸を手放して、何かを手にしたとしても、絶対に嬉しくない。



表現することは、挑戦することは、すごく勇気のいることだと思います。私は、私しかいなくて、隣の人も、その隣の人も私じゃない。だからきっと、感じることも思うことも違うはずです。だからすごく怖くなる。表現することで、挑戦することで、今まで見えていなかった影に出会ってしまうこともある。でも、影があるのは、光があるからだから。その表現は、その挑戦は、その勇気は。光となる可能性を持っているはずだから。表現したら、挑戦したら、00.0000001になるかもしれないから。私は、どうしても、まっすぐ表現がしたい。まっすぐ挑戦がしたい。まっすぐ、がんばりたい。





誰か1人でもここまで読み進めてくださったのなら、このブログに書き綴った言葉に出会うきっかけとなった、毎日の悩んだり考えたりしたことの全てが、涙が出るほどの喜びに変わります。「この文章がどうか、届いて欲しい」「どうしても、届けたい」と、強く強く願った気持ちが、「運」を「運命」に変えてくれた気がして。


読んでくださった方がもしいらっしゃったら、私の、「頑張って報われたこと」の歴史に一つ、記念日が刻まれます。もしいらっしゃったら、本当に、本当にありがとうございます。



3年 かれん

皆さんこんにちは!新4年のざわちんです。最近はかえるジャンプを覚えましたカエル股関節周りの筋トレにいいらしいですよ。
 
今回、「友達の作り方」というお題を振られたのですが、途方に暮れています。友達ってなんだろう。哲学的なところから考えていこうと思ったのですが、広く浅く狭く深くとか、本当の友達とはなんぞや…?とか考え始めると、人によって友達の定義付けは様々で、到底私が語れることではないと思われるので、自分の考え方をシェアすることにします。よって、お題を「ざわちんの友達の作り方」にすり替えます。一気に興味が失せますね、すみません。もしも万が一暇だったりしたら読み進めていただけると嬉しいです。
 
さて、私はすぐ友達だと思っちゃう類の人間だということを最初に断っておきます。友達の友達も友達です。関わりの深さは違えど、みんな友達です。私にとって友達は国籍も性別も年齢も関係ない(なかった)です。
 
私は幼稚園から小学校低学年までイギリスに住んでいました。ほとんど記憶はないのですが、学校で全く言葉を理解できなくて、アウェーすぎて、辛くて、家に着いた瞬間泣き出したことは覚えています(夢の中で合成された記憶ではないと思いますたぶん)。でも、当時のアルバムを見返すと、友達のバースデイパーティでケーキまみれの顔ではしゃぎまわっている自分がいます。はて。帰国後は、地元の小学校に編入し、気づいたら成人になった今でも一緒にバカできる親友ができていました。当時は周りに帰国子女がいなくて、日本語にコンプレックスを持っていたような気がしますが、泣いていないはずです。よくドッジボールしていた気がします。
 
そして、数年後に今度はアメリカに行くことになりました。とても嫌でした。異国の地に行くのが嫌だというよりも、せっかく友達できたのに、という気持ちが大きかったです。渡米してからもメールで連絡をとったり、一時帰国したときには遊んだりと関わりを大切にしていました。渡米して初めてレストランで注文したとき、イギリスに住んでたし英語は大丈夫だろうと余裕ぶっていたら、発音が違いすぎてwaterが通じませんでした(英:ウォーター、米:ワラ)。これで自信を失いました。更に学校も想定外でした。当たり前ですけど授業があります。イギリス滞在時の年頃は学校といえども常時遊んでいるようなもの。本格的な授業を受ける語彙力には乏しかったのです。また学校が辛い場所になりかけていました。そんな時、「一緒に鬼ごっこしようよ。」と誘ってくれた子がいました。それからというもの、お昼休みは鬼ごっこタイムになりました。鬼ごっこする中で、最初に声をかけてくれた子の友達とも仲良くなっていき、いつの間にか違うクラスの子まで混ざったりしていて、どんどん友達の輪が広がっていきました。きっとイギリスの学校に編入したときも、日本の学校に編入したときも、こうやって一緒に遊ぶ中で仲良くなったんだろうなあと思います。そしてこの鬼ごっこが私の「友達の友達はみんな友達論」を形成していったんだと思います。
 
彼らは授業でも私を助けてくれました。先生が早口すぎて何言ってるかわからない時は後からゆっくり教えてくれたり、グループワークの時は積極的に私を誘ってくれたりしました。友達ができたことをきっかけに、学校が楽しくなり、授業にも能動的に参加するようになり、英語を日本語と比較したり、アメリカの教え方を日本の教え方と比較したりと、なんなら勉強も面白くなりました。そしていつしか自分から色んな子に話しかけるようになっていました。友達の中には、ユダヤ人の子もいればインド人の子もいればアフリカ系アメリカ人の子もいたりして、皆それぞれ違うバックグラウンドを持っていて、家族の話とか独特の価値観とかを知るたびに世界が広がっていくのを感じました。友達は自分を知らない世界に連れて行ってくれますね。
 
さて、大人になってもとりあえず鬼ごっこして仲良くなろう作戦は通用するのか。鬼ごっこではなくなるとしても、鬼ごっこに代わる何かを一緒にする中で友達ができていくことはよくあるのではないでしょうか。例えば私は大学でサッカーを始めたことで本当に様々な出会いがありました。一緒にプレーするア式女子部員や文京LBレディースの仲間たち以外にも、サッカーが大好きな人に出会う機会がたくさんあります。知らない人とフットサルをして仲良くなっちゃうこともあります。スポーツに限らず、音楽とか人と人を繋ぐものはたくさんあると思います。
 
コロナ禍で文化的活動の意義が問い直されてたりされてなかったりしますよね。今後形式は変わっていくかもしれませんが、様々な情緒的価値を提供してくれると思うので、大切にしていきたいものです。また、こういったものは言語の垣根を超え、性別や年齢も関係なく、人と人を繋げ得ると思います。少し話が逸れますが、自分が高校で訪中した際のエピソードを。当時の中国の報道官と座談会的なものでお話をする機会があり、彼女はジブリ映画が大好きだとおっしゃっていたことが印象に残っています。日本のテレビでは中国の顔として映り、中国の立場を代弁する彼女がジブリ好きだなんて思ってもみませんでした。政治的な面で日中関係は難しい部分もあるけど、個人間ではもっと仲良くなれるんじゃないか。人と知り合うときは、その人の所属やレッテルで評価するんではなくて、個人として、どういう人間なのか、を見ていく重要性を感じました。
 
きっかけは鬼ごっこでもサッカーでも好きなアニメでもなんでもよくて、その先で自分がどう相手のことを知ろうとしていくかが大切なのかなあとざわちんは思っています。言葉が通じない環境に飛び込む機会が多かった私は文化的なものをきっかけに仲良くなったり、表情やジェスチャーで乗り切ったりしてきました(現在進行形とは言わせません!)が、一貫して相手のことを知ろうという思いは強かったんじゃないかなと思います。この人はどういう人なんだろう、何が好きなんだろう、どういう考え方をするんだろう、とか。ある種の人間観察なんですかね。純粋に好奇心に従って対話していく中で仲良くなることが多い気がします。
 
ということで、友達募集中の皆さんは新しいコミュニティに飛び込んでみたり、知り合いだけどそんなに仲良くはないけど面白そうだし話してみたいな的なポジションにいる人に思い切って話しかけてみたりしてみてはいかがでしょう。ご時世的になかなか人と会えないですが、今時SNSで色んな人と繋がれると思いますし、なんなら都内や日本に留まらずに色んな国の人とか、普通に人生送ってたら遭遇しないような人とか、本当に色んな人に出会えます。対面で会うのはちょっとハードル高いけど、10分だけズームで話そうぜっていう場合もあるかもしれません。オンラインだと、移動の時間やお金をかけずに色んな人と話せますよね。私自身も、なかなか予定が合わない高校同期とも気軽に同窓会できたんじゃん、ということに自粛して初めて気が付きました。
 
結局全部自分次第です。いやいや、相手が自分のこと友達だと思ってくれないかもしんないじゃん!と言う人はあるかもしれせん。大学の同じクラスにもいました。「ワイ友達おらんから。」そんな悲しいこと言わないでくださいよう。まずは自分が友達だと思わないと始まりませんよう。くよくよ考えずにポジティブにいきましょうよう。映画『イエスマン”YES”は人生のパスワード』(2008)みたいに、やらない言い訳を探すのではなくて、まずはとりあえず色々挑戦してみましょうYO。一歩踏み出すと、自分が思ってもなかった出会いがきっとあります。イエスマン見たことない人は見てみてくださいね。
 
最終的にはざわちん流を押し付けてる感じになってしまってる気がしますが、最後まで読んでくださった方には感謝しかないです。あなたは本当に優しい方です。大好きです。
 
さて次回はどんなテーマなんでしょうか(他の部員がどんなお題を与えられているか知らされていません)。楽しみですね!!
 

それではお聴きください。
トイストーリーより、
You got a friend in me.

ざわちん


P.S.

国籍、性別、年齢は関係ないと最初に言いましたが、長くなりそうなので性別と年齢についてはおまけにちょっとだけ。私は、友達の性差や年齢差は、アメリカではほとんど意識したことがなく、日本に帰国してから意識するようになりました。日本では異性と仲良くしていると恋愛関係だと思われることが多い気がします。アメリカでももちろん、付き合ってんのか~っていう冷やかしはありますが、男の子と女の子が仲良くしているのは中高生になっても割と普通のことでした。また、日本の先輩後輩の文化には正直なかなか順応できませんでした。敬語が下手っぴなんですね。素敵な文化だとは思うのですが、性別や学年が違うというだけで少し距離ができてしまうのはなんだかもったいないなあとも思ってしまいます。だから学年問わず仲がいいア式に魅かれたのでしょう(唐突なPR)。



みなさんこんにちは!2年のゆうきです。私事ですが最近引っ越しまして、一人でする引っ越しの大変さを知りました。段ボールに詰めるまではいいんです。手当たり次第押し込めばいいので。でも荷解きは地獄でした。足りなくなる収納、無くなる充電器、かさばる段ボール、、、、、春休みだからやっとこさ出来たって感じです。これを土日でやる社会人はすごいなと思います。できればもう引っ越したくないです。愚痴っぽくなって恐縮です。

 

 さてさて、私のもらったお題は「受験で頑張ったこと」です。え、3年前のこと、覚えてないんですけど、、、、とはいかず、受験の記憶は私の少ない記憶容量の中にしっかりと居座っております。毎年センターの日と2/25,26は心がきゅっとなります。

 この話題、真面目に受験に取り組んだことのある方々ならば、何かしら心にこれだというものがあるのではないでしょうか?

 私の大学受験生活は、人にお話しするほどの面白いことは全く起きませんでした。センターの結果ではE判出たけど受験したら受かったとか、出願間違って受験できなくなったとか(笑い事じゃないw)。高校が一応進学校だったので高校3年間受験生みたいなもんでした。高校であんた何したよ?って聞かれたら勉強したよって答えるしかないくらい他に何もない高校生活だった気がします。で、現役で落ちました。A判とかもらったことないのに、「まあ受かるっしょ」とセーフティネットを張っていなかった能天気Yはめでたく(ないけど)肩書きフリーターとなりました。

 お題からそれている気がしますがどうぞお付き合いください。そんなこんなで浪人したんですけど、浪人するとまあいろんなこと考えます。浪人して東大受かるんかなーとかそもそもなんで東大めざしてるんかなーとか。前者は1年後受験しないと答えが出ない問題なので、当たり前ですがとにかく勉強して合格する確率を上げるしかないです。問題は後者です。どうして東大じゃなきゃいけないか。世の中に存在する問題はゴールが一つじゃないことがほとんどですよね。大学選択もそうじゃないかなと思います。自分が大学でしたいことや大学に求めることを考えたときに、条件に当てはまる大学は一つじゃないです。あとは条件を満たす大学それぞれが持つ違いの中で、何を重視するかによって選好が変わってきます。で、その「何を重視するか」というのは、突き詰めるとより一層自分の主観というか、原始的な感情が関わってくると思うんです。例えば自分が東大に感じていたのは、お恥ずかしながら「なんかかっこいい」。でもこういう感情とか感じ方って原始的すぎて、なんで自分がそこにこだわっているのか理由がつけられなかったりします。私はあのときなんでかっこよさを求めたのか、今も説明できません。こだわっている理由がはっきりと分からないと、自分が今頑張っていることに意味がないように感じてしまいます。このように理由を突き詰めて考えると鬱になりそうですよね。

 だから私は考えるのをやめました。具体的には、Q,「あなたはなぜ東大に入りたいのですか?」A,「東大に入りたいからです。」みたく考えたということです。これ本当は答えになってないですよね。でもあえて大学を目指す理由を深く考えないようにすることで、思い煩うことなく受験生活を過ごせたような気がします。本当は理由にこだわることって大事だと思うんですけど、色々考えた上で、結論を導く道筋はあやふやだけど結論は出ているという場合、もう道筋をあやふやなままにしておくという手もあるということを学びました。よくよく考えてみたけどはっきりしないからそのままにしとこ、くらいのマインドの方が上手くいくこともあるんですね。

 ということで、私が受験で頑張ったことは、「あんまり思い悩まないようにする」ことです。なんか字面だけみるとかっこ良くないですね。でも自分の精神的な部分をコントロールするのって結構大事かつ大変なことでした。受験でそういうところも多少は鍛えられたかなと思います。

 

改めて読むと合格体験記もどきになってますね。今後受験を控えてる方はちゃんとした合格体験記を参考にしてくださいね!サッカーのさの字も出てこなくていいのかなと不安になってますが、この辺にしようと思います!それでは長々とお付き合いいただきありがとうございました。次回もお楽しみに☺️

みなさんこんにちは!日差しが強くなってきましたね☀️
去年は散々焼けてしまい、みんなに黒いと言われ続けました、ちひろです。
先輩方には「絶対アネッサ使っても無駄だよ」「また黒くなった?」と言われまくりました。悲しいですね、一生懸命日焼け止めを塗っているのになぜ焼けるんでしょう!
今年の目標は焼けないことです。みなさんぜひアネッサを恵んでくださいね。

 

さてさて、今日私に与えられたテーマは「ミルキーの可愛いところ」。
その前に「ミルキーってなに?」って感じですよね。パッと思いつくのはきっとぺこちゃんがパッケージに描いてあるミルクキャンディではないでしょうか。
♩ミルキーはママの味〜♩
そう、それです。と言いたいところですが、ここで表しているのはそのミルキーではありません。
ここでいうミルキーはこちら。

 

みなさん今「かわいい」って思いましたよね?
そう、ミルキーは私の家で飼っている犬の名前です🐶
ここでミルキーについて少し紹介させてください!

 

 

誕生日:2月12日(バレンタインの2日前!覚えやすいですね)
年齢:8歳(人間で言うと50歳ぐらいです。もうおじいちゃんですね)
犬種:マルチーズとチワワのミックス

 

ちなみにミルキーは生後1ヶ月ぐらいの時に家にやってきたのですが、その時の写真がこちら。

犬じゃなくてクマみたいですよね🧸

 

では、本題に入りましょう。
ミルキーの可愛いところを3つ紹介します。

 

①何度見ても顔が美人(性別は♂ですが)

私が思うかわいいポイントはやはり黒目です。この子は黒目がとにかくおっきくて、字面通り「つぶらな瞳」でこっちを見てくるんです。
50歳にしてこのかわいさってずるくないですか。あざとかわいいですね。

 

②ツンデレ

犬は家族を順位づけするという迷信があります。それが本当かどうかは分かりませんがおそらく私は一番なめられていると思います。
普段はソファに寝っ転がっているとボールを目の前にドンっと置いてきて、「おい、投げろ」みたいな顔つきでやってきます。また、私が目を合わそうとしても絶対に合わせてくれません。ツンツンですね。
なのに、リビングの椅子に座っていると「抱っこして〜」って前足を上げてやってきます。そして膝の上に座って、あごを腕の上に乗せてきます。
そんな甘えん坊なところもかわいいです。

 

③寝顔

ミルキーには定位置があります。それはソファの背もたれ部分のクッションの上です。
昼間は基本的にここでずっと寝ています。周りを一切気にせずひたすら寝ています。時にはいびきをかきながら寝ています。
これだけ聞くとただの休みの日に寝ているおじいちゃんですね。でも寝ている時の顔がとんでもなくかわいいんですよ。

 

ちょっと終わり方が難しくなってきました。
親バカみたいなブログを読んでいただきありがとうございました。
うちの犬の方がかわいいって自信のある方はぜひ写真を送ってくださいね。

 

次の更新もお楽しみに!それではみなさんまた来週も見てくださいね。
じゃんけんぽんっ✌️

 

〜おまけ〜
私は家で末っ子なのですが、なぜか家族全員がミルキーと私をよく呼び間違えます。
なんででしょうかね。そんなに犬っぽいですかね??

 

ちひろ

 
幼い頃から寝癖のひどい私は
小三の時父から
原始人と呼ばれていました
 
どうもこんにちは。鈴木です。小三の娘に原始人はひどいですよね。
さて、私に与えられたテーマは「女にモテる女になるには」です。さあ、どうしましょう。モテとは無縁の世界で21年生きてきてしまった私は頭を抱えています。どうか最後まで温かい目で見ていただけますと嬉しいです。嬉しくて嬉しくて、涙は出ません。そう言えば私の最大のモテ期は高校生の時です。モテ期と言っても相手は友達のお母様たちです。なぜか、お母様たちからモテたのですよね。私のファンだと言ってくれたお母様もいました。変わった人ですね。
 
さてさて本題に入るとしましょう。異性ではなく同性にモテることも私はとても幸せなことだと思います。むしろ、同性に好かれる人生って素晴らしくないですか。人生において関わることが多いのは同性だと思うので、同性から嫌われてしまったらなかなかキツいものです。私自身はどちらかと言えば同性にモテるタイプだと思っています。単に異性にモテないだけなのですが。私は小6あたりからショートカットで、中高生のときはよく男子に間違われるような少女でした。女子トイレで掃除のおばちゃんに「ここは女子トイレだよ」って言われたときは流石にちょっと落ち込みました。笑。まあ、ネタにできているのでよしとしましょう。ありがとうあの時のおばちゃん。まあそんなこともあり、かっこいいなんて言われることは多かったですね。よくいるサッカー少女です。中高生時代に同性からモテたいと思えば髪を短くするのが手っ取り早いでしょう。それを目的に短くしたのではないですが。
 
さて、少し大人になった今思うのは女が惹かれる女というのはどこか魅力的な面を持っているのです。それは、外見かもしれませんし内面かもしれません。自分にはないところを持っている人に私は惹かれます。
 
はじめに外見について。私の勝手なイメージですが、女にモテる女はキリッとした顔立ちでスラッとしたスタイルな方々ではないでしょうか。おそらく女性たちがなりたいと思うような女性がモテるのですね。Black Pinkの女子人気が高い理由もわかります。女子たちの憧れの的なのですね。いやぁ、そんな女性に生まれたかったですね。そして鏡に向かって「鏡よ鏡、世界で、、、」なんて言いたかった人生です。でもそのような女性は相当努力をしているのでしょう。食生活に気をつけたり、運動をしたり、メイクに研究をしたりとグータラ生活をしていてはそのような女性になれるわけはありません。
 
ただ、私が思うに女にモテる女は内面に最大の秘訣があるのだと思います。いくら全世界の全女が憧れるような容姿だとしても人の話を全く聞かない人だったらモテるわけがありません。陰口を言いまくる人だったらモテるわけがありません。では、どんな内面を持った人が持てるのでしょう。第一に、優しい心を持っているのではないでしょうか。人に優しくされたら、嬉しいですよね。その人のこと好きになっちゃいますよね。ここで重要なのは、優しさには様々な種類があることです。寄り添ってくれるのが優しさかもしれません。叱ってくれるのが優しさかもしれません。困ったときに手を差し伸べてくれるのが優しさかもしれません。でもどれにも当てはまるのはその人のことを想っているということです。他人のことを想えるって素敵なことです。
 
さて他にはどんな要素があるでしょうか。自分の信念をしっかり持っている人。私はそんな人に惹かれます。私はどうしても周りの目ばかり気になるチキンです。コケコッコーです。まっすぐとした自分の考えがある人。こだわりのある人。そんな人についていきたいと思いませんか?ふにゃふにゃしている人にはついて行こうってあまり思わないですよね。自分の意思をしっかり持っている人を見ると「ああ、かっこいいなぁ」って思います。それに加えて、サバサバしている人も女にモテる女ではないでしょうか。サバサバ系女子かっこいいですよね。芸能人で言うと、天海さんちの祐希ちゃんとか、戸田さんちの恵梨香ちゃんとかでしょうか。そういう人に私はなりたいものです。
 
一つ重要なポイントを忘れていました。一緒にいて楽しいということです。これはかなりのモテポイントですね。萌え萌えキュンキュンです。他人にまで幸せを振りまけちゃうのですよ。周りに人が集まるわけです。私は中町綾ちゃんとお友達になりたい。笑。そう言えば小学生の時、女子チームの一つ上の代に明るくてめちゃめちゃ面白い方がいたんですね。まあ大人気です。モテモテです。私もその人のこと大好きでしたね。小学生って年上に憧れちゃうお年頃ですし。
 
さて、ここまで女にモテる女の特徴を述べてきました。一旦今日のテーマに戻りまSHOW。今日のテーマは「女にモテる女になるには」です。あれ?ちょっとテーマとずれていますね。国語の現代文を解いているときによくあるやつです。試験時間残り5分くらいで見直しをしていたら、「あれ?この答え質問とずれてるじゃん!」って。一気に体中を汗が走ります。まあ、安心してください。(履いてますよ)ここは試験ではありません。軌道修正しましょう。女にモテる女になるにはどうすれば良いのか。私は自分に自信を持つことだと思います。人に優しくなんて誰もが思っていることです。自分の意思を持つもまた然り。でもなぜそんな風になれないのか。自分に自信がないから。心に余裕がないからでしょうか。でも自分に自信を持つなんて難しいですよね。私は自分に自信が持てません。冒頭で私は自分のことを鈴木と名乗っています。これも鈴木と名乗れば私という人物を特定されづらい。鈴木は日本で2番目に多い名字だから。そんな気持ちもあるかもしれません。人間少しナルシストでも良いのではと最近思うようになりました。自分で自分を愛せるようになって初めて他人からも愛されるのかなとかとか思ったり思わなかったり。自分が好きな方が人生絶対楽しそうですし。ラーメン、つけ麺、ボクイケメン。
 
んー。なんかまた軌道がずれてしまいました。私はどうやら寄り道が好きなようです。思っていたよりこのテーマ難しかったです。でもやはり、自分が持ってない面を持っている人に惹かれますよね。人間ないものねだりですから。魅力ある人になりたいですよね。ちなみに私の中でも最大のモテ女は渡邉理佐です。外見だけでなく、内面も素敵なのです。皆さん調べてみてくださいね。
 
さてさて、やはり話がぐちゃぐちゃになってしまいました。ぐちゃぐちゃと言えば、私は納豆をかき混ぜたくないタイプの人種なのですが仲間がいれば一報願います。
 
私の話はそろそろこの辺で終わりとしましょう。ここまでお付き合いしてくれた人がいれば感謝申し上げます。次の更新も楽しみにしていてくださいね。
 
引っ越して洗濯物を干すスタンドがないからダンボールで自作しました。
鈴木