こんばんは。
⁡またまた少しあいてしまいましたが
みなさんお変わりなくお過ごしでしょうか?


今日は管理栄養士みやらとしてのおはなし。

管理栄養士って、

〝専門的な知識と技術を持って病気の方、スポーツ選手、健康な方…あらゆる方を対象に栄養を管理し健康へ導くプロ〟



ってことらしいんですね。
(ちなみに栄養士は健康な方をサポートします)



実際、
食品学はもちろん
解剖生理学に生化学、臨床栄養などなど、
つまり
口から取り入れた食品たちが
からだの中にとりこまれどう代謝されていくのかを学び、
その知識を用いて仕事をしてきました。


いえ、今もしています笑


けれど、
10数年やっていく中で
食べるその内容も大事だけど、

それだけじゃない

(運動、睡眠とかそんなのはもちろんなのだけど)


どのような気持ちで目の前の食べ物をからだに取り込むのか。

栄養価的なエネルギーとは

次元の違うエネルギーをいただくこともできるのが


〝食べること〟



なのだ、ということを悟りました。
⁡はい。人生をかけて悟りました。





これまでの思考回路はロジカルに栄養がどうのって話になってしまって。


・最近のメニューだとあの栄養素とあの栄養素が不足だな、

・あ、疲れ気味だわ。

ビタミンB群不足するようなことしてたっけ。


・お菓子食べすぎた。

あれ食べてこれして調整した方がいいな


…みたいなことがほぼ自動的に脳内に浮かんできます。



そういった栄養のバランスをとろうとすることもやっぱりある程度大事なのかとは思うのだけれど。


けれど、


そもそも食べることって
栄養ありきじゃないのだ。



むしろ「そこ」が絶対的に枯渇している現代人だから
未病が多いのではないか、

こころとからだも、病気とまでいかないけれど
じつは健康ともいいきれない半健康人が多いことの一つなのではないか。

と、思っています。




「そこ」っていうのは、
古来の日本人がずっと当たり前にしてきた、

天の恵みに感謝しながら
味わって
目の前の食べ物に集中して
楽しく、

ありがたく、


いただくこと。



頭で考えて食べるのではなく
五感をフルに使って


いただくこと。



…ね?


ロジカルな栄養を管理する

管理栄養士らしからぬ?

矛盾するような発想でしょ?


仕事ではどうしても食事の評価をすることにフォーカスがいきがちなのでロジカルモードになるし、

そこを求められているのかなとも思うのですが

いや、もっと大切なことがあるのだと、矛盾を感じながらやっているところがあります。

自分の采配でできる仕事の場合は

そこも伝えていくようにしているのですけど。






現在わたしは、

ファスティングサポートもひっそりさせていただいていますが


ファスティングって流行ってるし
本当に色々あるけれど
ただのダイエット、とか
腸を綺麗に、とか
そんなことだけが目的ではないのです。私の場合。


食べ方に生き方が出る
食への向き合い方が自分への向き合い方



そんなふうに思っています。


アカデミックな栄養学は大好き。
否定したいんじゃない。


けれど実態としてのカラダやこころの変化を見た時、



ヒトのカラダは

もっと複雑で

多用性があって

神秘的で

調和しているものなのだ、と。



そもそも食べることって原始的な行為ですもんねキラキラ




まぁ、
そんな感じで(どんな感じだ?)


なんだかまとまりのない文になってしまいましたが、

実はそんな矛盾や葛藤みたいなものを胸に秘めながら
仕事をしています口笛



どちらも大切


その矛盾をうまく調整しながらやれる方法を考えていきたいな。




死ぬまで一生続く、〝食べること〟


それこそ原始的な欲求すぎて無意識に3食の食事をとってる方も多いのではないでしょうか。


もちろん、
私も他に気がいって、食事がおざなりになることもあります。


けれど
たまには自分のために
ゆっくり時間をとって
片手に握ったスマホをおいて
脳内会話をおしまいにして



目の前の食事に集中してみませんか?


この食のポテンシャルみたいなものを
なんとかカタチにして必要な方に広く伝えていきたい。

昔のヒトたちは

大自然が近くて

大いなる自然のなかの人間、

という感覚があったからこそ


新嘗祭を行ってきたように

あらゆる実りや恵みに

自然と感謝の思いがわいてきたのだろうな。



⁡そんなことを思う新嘗祭でした。



わがやも昨日、ささやかながら新嘗祭を行いました。⁡




最後までお読みいただき、
ありがとうございます😊