若い頃の食のツケはじわじわやってくる | 生理をととのえる うさぴこ飯

生理をととのえる うさぴこ飯

食べ物や生活が変われば、生理も変わる。子宮頸部上皮内腺癌ステージゼロを3ヶ月で乗り越えた食生活を紹介。


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わたしは昨年末から、食事を含む生活全般を見直した結果、

長年乱れていた生理をととのえることが出来ました。

 

でも、それ以前はどんな食生活だったのでしょうか。

 

今回は思い切って振り返ってみたいと思います。

 

 

 

後ろ足で砂をかけ却下するうさぴこ

穴に埋めたい過去だけど…

 

 

 

 

 

 

●子どもの頃

 

とにかく食が細く、食べることに関心の薄い子どもでした。

喘息持ちで、肌も弱く、頭皮にまで汗疹ができるため、

夏場でも帽子がかぶれないほど。

 

また神経質で、好き嫌いが激しくてあらゆることに超保守的。

新しい味に手を出すとか、そういう冒険ができない頑固者タイプニヤリ

 

 

食の嗜好は、卵料理やさつまいもなど、甘いものが大好き。

かといってケーキやドーナツ、あんこや漬物などはあまり好きではなくて、

フレンチトーストとか唐揚げ、駄菓子なんかが好きでした。

 

 

いわゆる大人向けの茗荷や大葉などの薬味や春菊、なめこ、

辛いカレーなんかも苦手だったなぁ。

 

 

当然ながら、給食はいつも居残り。

 

やせぽっちで「長ネギ」とか「ごぼう」なんてあだ名がつくくらいだったので、

やせていること、食べるのが遅いことがコンプレックスでした。

 

 

●中学生の頃

 

この頃、東京から新潟へ引っ越したのですが、

それに伴い両親が不仲になり、

学校にも家にも身の置きどころがない思春期を送りました。

 

荷物を背負って遠くを眺めるうさぴこ

 

 

雪国にしては雪の少ない地域とはいえ、

わたしにはうんざりする気候で、とにかく寒い!

 

でもタイツとか嫌いだし、格好が気になるお年頃だし…

水泳部だったし、冷えて当たり前という生活を送っていました。

 

 

冬場になかなか晴れないこと。

車がないと移動がままならず、自転車での移動も大変だったこと。

小学生の頃のように友達と外を元気に走り回ることもできず、

ひたすら屋内でモヤモヤしていたような気がします。

 

それを解消してくれたのが、マンガを読むことと絵をかくことでした。

 

 

 

思えばわたしの発散ベタ、巡りの悪さはこの頃から始まっていたのかなぁ…

 

食事は…あまり記憶がないのだけれど、ジャンクなお菓子は大好きでした。

 

 

 

●高校生の頃

 

やはり水泳部で、冷えていました(笑)

 

この頃からモ△バーガーでバイトをしていたため、

ファストフードが大好きになります。

人生で一番太っていたのがこの時期で、今よりプラス7kgくらい。

 

 

高2の頃、ようやく両親が離婚し、母が東京に離脱しました。

食事をまだ自分で作ることができず、

それを頑張るだけの気力も行動力もなかったため、

主に食事はコンビニとカロ△ーメイトに頼る生活を送っていました。

 

父がまかないを持ってきてくれることはありましたが、

食費は基本、自分のバイト代で賄っていました。

 

 

 

●高校卒業〜25歳まで

 

母を頼って東京に出て、専門学校に通うようになりました。

 

当時、母は病院の付添婦をしてわたしの学費を捻出してくれていたため、

住まいは4畳半の風呂なし・トイレ共同のアパート。

そこにわたしが転がり込んだので、そりゃあもう狭いのなんの。

 

 

しかも冷暖房も扇風機と電気ヒーターのみだったので、

今だったらきっと凍えるか熱中症で死んでますねえ。

 

ガソリンスタンドで倒れて救急車で運ばれたときにも

ここに住んでいました。

 

 

当然キッチンなどなかったので、わたしも母もコンビニ食がメインの生活。

バイトもしていましたが、いつもギリギリの生活を送っていました。

 

 

…この頃が人生最大の貧乏時代です。

 

よくお腹を減らしていたので、食への執着が強くなり、

空腹感への恐怖が根付きました。

 

 

よく頑張りましたよ、母もわたしも。

 

 

 

●幼稚園に就職

 

社会人になってお給料をいただけるようになり、

ようやくこの4畳半を脱出しました。

 

幼稚園では給食があり、それがどれだけ嬉しかったことか。

 

 

新しい住まいにはキッチンも風呂も狭いながらもあったのですが、

それまでの習慣で惣菜を買うことが多く、

ご飯ももっぱら「サ△ウのごはん」に頼っていました。

 

職場の先輩の誘いで一緒に料理教室に通うようになって、

ようやく料理に手が出せるようになりましたが、

それでも惣菜率は高かったな…

 

あと、懐に余裕ができたこともあり、しょっちゅう外食していました。

 

 

 

でも、30代を過ぎた頃から胃腸の調子を崩すことが多くて。

毎月病院に行って、胃薬ばかり飲んでいました。

(PMSもこの頃ずっとありました)

 

担任はもっていませんでしたが、職場のストレスが大きかったのだと思います。

 

ぶっ倒れて魂のぬけかけたうさぴこ

 

 

●夫と出会って料理をがんばるように

 

夫とは自転車を通じて出会いました。

 

週末には彼の家で食事を作る、というのが恒例になり、

人のために食事を作るということが、

この時期に訓練されていったような気がします。

 

 

毎週何を作ろうか…と考えて、レシピを見ながらでも

段取りが悪くても、なんの文句もいわずに食べてくれる夫は

今でも有り難い存在です。

 

ジャンクなものは二人とも好きで、しかも夫はアジア系の料理が大好き。

外食もよくしていました。

 

 

 

ただ、結婚を機に2人とも生活がいろいろと変わり、心労を抱えたのでしょう。

離職・転職・大病・手術(夫婦で3回)・引っ越しなどなど、

怒涛のような荒波が次々とやってきました。

 

夫も脚を切断するかも…というレベルの病気になり、タバコは止めましたが、

アルコールは相変わらず。(量は減った)

 

 

途中から母が我が家に加わって、生活のストレスはものすごく緩和されました。

 

 

 

基本的に、昨年まではこの路線できていたのです。

 

食事は好きなものを、食べたいものを食べたいときに食べる。

それが当たり前の生活。

それが幸せだと思っていたから。

 

 

 

 

東洋医学を学び始めてから少しずつ変わり始めましたが、

決め手はやっぱり年末の手術です。

 

 

 

「生理にまつわるエトセトラ」を併せて読んでいただけると

よりおわかりいただけるかと思いますが、

この乱れた食事っぷりが、自分の病を作ったのだと今はいいきれます。


 

いやー振り返ってみると、ひどいもんですよね。

確かにコンビニにも惣菜にも、ものすごく助けてもらったのですが、

それをずっと続けていたら…やっぱりダメなんですよ。

 

 

 

生活環境にもよりますが、できる限り前進していきたいものです。

例えば…

 

自炊できないなら、コンビニや惣菜も仕方ない(まず食べることが大事)

自炊できるなら、たまには料理してみよう

自炊が楽しくなるために、自分の好きなものを作ってみる

自分が好きなものが作れるようになったら、

人に食べてもらう

料理の幅を少しずつ広げてみる

 

 

こんなふうに、そのときの自分にできる範囲で、

からだに優しいことを選んでいくと、

大きな病気になるのを防ぐことができるかもしれません。

 

 

 

これから一人暮らしをされる方も、

ぜひ食生活には気をつけてくださいね。

 

 

 

 

いいですか。

無理がきくのは若いときだけ。

料理の知識は早いとこ手に入れよう!

いやマジで。

 

バニーガール姿で親指を立てるうさぴこ

 

 

 

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