あ”---  いたーーーーい  もう嫌やー  殺して  お願い

あんたー 何言うんや  もうちょっとの辛抱や  我慢するんやでぇ

そやで お国に帰れたんや 痛いやろ 辛いやろ でも頑張るんやでぇ

あ”---  お願い 麻酔かけてーー  お願いやー もういやや  殺してぇ

あんたー アホな事 言うたらあかん  生きるんやでぇ

そうや お国に帰れたんやで  大陸で殺された人の分まで生きなあかんねんで  



大陸で強姦された婦女子は性病を貰ったり 心なくも妊娠したりしました


1946年満州から日本人民間人の引き上げが始まり

博多港へ上陸した日本人引き上げ者は 一年半で139万人に上りました


でも 日本を前にして前途を悲観した人も多数いました

そして その挙句・・・・・・・・・・・・・・・・・



お父さん  お母さん 御免なさい もう生きてはいけません  さようなら


あーー  また身投げしよったがな


博多港へと向かう船から玄界灘へ身を投じる婦女子も多数いました






当時堕胎は違法行為(堕胎罪)でありました

でも ソ連兵や朝鮮人 支那人に強姦されて出来た子を出産する訳にはいきません

しかし厚生省は超法規的措置として 堕胎を認めました

その場所は 福岡県筑紫郡二日市町(現筑紫野市)にあった厚生省引揚援護庁の医療施設

二日市保養所です 


二日市保養所は、1947(昭和22)年秋、約1年半でその役目を終えました。この間に妊娠中絶、性病治療などを受けた患者数は400名を超えています。この治療に従事したのは、自らも引揚者で母校を失った元京城帝国大学医学部出身の医師、学生であり、援護局から頼まれた元日赤の看護婦たちが中心でした。
 当時妊娠中絶は法律で禁止されていたため、彼らの行為は職を賭して行われたのです。この人道的行為に感銘を受けた児島敬三氏(故人、当時福岡県立修猷館高校教師)は、1981(昭和56)年に二日市保養所の跡地(現在済生会二日市病院)に「仁」という一文字が刻まれた石碑を建立しました。
    





$うさっ娘軍団 の 井戸端会議






その翌年には石碑の横に小さな祠がつくられ水子地蔵が安置されました。以来毎年5月14日に水子供養祭が執り行われています。






$うさっ娘軍団 の 井戸端会議





$うさっ娘軍団 の 井戸端会議





◆「堕胎、鬼になるしか」 元看護師証言、助産師ら「事実に向き合う」 

 赤みがかった髪をした胎児の遺体は、桜の木の根元に埋められたという。

 「生きたくても、生きられなかった命をたくさん見てきた」。筑紫野市の元看護師、村石正子さん(82)は、敗戦後、旧満州(現中国東北部)などで当時のソ連兵らに強姦(ごうかん)されて妊娠した女性たちに堕胎手術を行っていた「二日市保養所」(筑紫野市)に勤務していた。極秘の施設だったため正確な資料が残っていないが、戦後約1年半で少なくとも200人以上が手術を受けたとされる。

 村石さんのように、この施設について口を開く関係者は少ない。悲惨な歴史を風化させてはならないと、助産師らがこの夏、保養所での事実を語り継ぐ活動を始めた。

            

母子像は、穏やかな表情で胎児を供養し続けている 保養所跡には、慈愛に満ちた表情で乳児を抱く母親の像がひっそりと立っている。1982年、保養所跡に開設された病院の院長らによって建立された。

 7月下旬。母子像前で、葬られた胎児や手術の失敗で亡くなった女性たちを供養する法要が営まれた。主催したのは、福岡市の助産師、平田喜代美さん(66)と田川市出身の画家、大友慶次さん(68)(東京都)。村石さんも含めた約15人は、読経が響くなか、汗もぬぐわず、一心に手を合わせた。

 母乳育児を支援する活動を約30年間続けている平田さんは6月、福岡市で個展を開いていた大友さんと知り合った時、この事実を聞いた。「命の誕生にかかわる助産師こそ、事実に向き合い、次世代に伝えなければ」と思った。母子愛をテーマに書画を描いている大友さんは、田川市で過ごした子供時代、九州大病院の医師だった叔父から知らされて以来、いつか自らの手で供養したいと思い続けてきたという。

             

 「麻酔はなく、激しい痛みに耐える女性の手を握るのは、看護師の役目だった」。法要後、村石さんが切り出した。

 女と分からないよう、坊主頭に男性の服を着た女性たちが、トラックの荷台から次々に降りてきた。やせこけているのに、おなかだけがせりだした姿に、何度も絶句したという。

 医師や助産師が手術を担い、妊娠間もない場合は、子宮に器具を入れてかき出した。4か月を過ぎていたら、陣痛促進剤を使ってすぐに出産させ、メスで赤ちゃんの命を奪ったという。「違法行為だったが、女たちの人生を守るために必要なことだった。鬼になるしかなかった」

 「助産師は命をはぐくむ役割を担っているが、ひとたび戦争が起こると命を奪う立場にもなりうることを知った。助産師はもちろん、若い母親たちにも伝えていきたい」と平田さん。9月、助産師たちが村石さんの体験を聞く場を作るつもりだ。



この終戦直後の 朝鮮半島と日本で 日本人引揚者が味わった

壮絶な体験を赤裸々に綴る 息もつかせぬ

愛と涙のサバイバルストーリー が次回に紹介する

ヨーコ・カワシマさんの書かれた

「竹林はるか遠く」 です


ありもしない 戦時売春婦 の強制連行ではなく

二日市保養所は実在したのです


河野談話の出鱈目も 化けの皮が剥がされました

もう 韓国の嘘に付き合う必要もありません

韓国なぞ 中国の属国として ひれ伏すのがふさわしい

「糞食い土人の住む未開の地」なのです

もう日本には関わってもらっては困るのです

勝手に破滅の道を進んで下さい



NO MORE CHONKO !!!