評価も美化される話 | どこかの誰かのメモ帳

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記憶では良かったものに改めてふれて、思ったよりは良くないというギャップや補正に目が覚める現象もある。

これは思い出補正だが、当時の良い記憶がそのまま刷り込まれてしまったために、ふれても目が覚めない事もあるのではないだろうか。


果たして当時と同じで良いと言っている事は本当のそのものの評価なのか。

これは本当に良かったとしても、自分に馴染みのあるものだから一番という考え方も強いと思っている。
好意を抱く事により、いつまでも高く評価できるものとして刷り込まれて、贔屓してしまうのではないだろうか。

改めて聞き直しても今より昔の曲が良いと思う事があるが、これが本当にそのものとして評価しているのか、その記憶により惑わされているのか、両方なのか。

ずっと人気の作品なんかもあるが、実際に良い作品だったとしても、当時ファンになった人がいつまでも過大評価してるという現象はありそうだ。

 

それも当時ブームになったり、当時は他が微妙だった故に一番人気だったとすれば、いつまでも特別に良いものとして刷り込まれてしまうのかもしれない。

おまけに評価そのものがハッキリした存在ではない事も多い。安全、丈夫、分かりやすいなどの評価はともかく、楽しい、面白い、感動的というのは個人の受け取り方の問題もある。


新しくふれたものですら分かりにくいというのに、思い出まで重なってくると自分の評価がなんなのかますます分からなくなる。