学校ではモノの破壊は毎日繰り返され、どんどんエスカレートして行くと同時に
モノの攻撃から私の精神的ないじめも加わりました。
 
それでも、父親は自分の価値観でモノを選んで持たされ、融和するのでは無く徹底抗戦することを親から求められました。
当時の私は、父親に抵抗すれば暴行される恐怖から一切抵抗できませんでした。
事例は山ほどあります。書ききれません。被害者は覚えているものです。
 
このような状況で登校拒否も出来ませんでした。
一度、父だけではなく母も私を殴るようになって耐えきれず、家出をして近所を巻き込んだ騒動になったことがありましたが
直ぐに発見されてしまいました。
 
親に暴行を受けたくないため隠したりしましたが、正直に言わなくても、壊されたモノをを見れば一目瞭然で、発見しだい、親は、やった奴ではなく私を殴る蹴るの暴行です。
隠していると疑われば、全てを家宅捜査されました。
 
とにかく、やられてないで、やった奴と戦えということ。
といっても、一人で行われることは稀で当時、私に対して虐め行為に加担していたのはクラスの男子ほぼ全員。あと担任以外の一部の教師。
女子の何人かはカバってくれましたが、かばってくれるのは、女子内で虐められている子と正義感の強い女子でした。
 
この時から、男社会を毛嫌いし、なじめない自分というスタイルが確立されてしまったようです。
 
これを許したら家で殺されるという度を超したことされたことが小学生2ー4年時代に頻発しました。
その際は、授業が始まってバックレる犯人たちと事情を説明してもバックレる先生たち、私をからかう担任じゃない先生に対抗して
成り行きから2・3階にあった教室や屋上から飛び降りて死んでやると言って立て籠もり事件を起こしました。
 
私自身錯乱状態でした。
当然、その後は、クラス・先生から「発狂人間」と呼ばました。
当時は学校も責任を負わず、全て私が狂っているということでバックレでした。
 
私も完全抵抗して戦わなくてはならない真の原因をここでは話せない。
ここで私が折れても良いが、それだと家で私は、ここで行われたイジメより過酷な地獄を見る。
だから、引けないし、可能なら本当に死んでしまいたい。
と、大人のいまなら言えるでしょうが、洗脳されていた当時は、発狂するしか手段がありませんでした。
 
この事件を起こして、母親が毎回平謝りしていたようです。事件おこした帰りは何時も母親と一緒だった記憶があります。
ただ、持ち物の破壊行為が行られて、親が何度も抗議を入れていて、学校もバックレていたため、学校も毎回無かったことで処理していたようです。
 
でも、同級生は皆、見て知っている。ずーっと発狂人間扱いでした。
 
帰宅後に家では、学校で必死の抵抗したことを褒められるではなく、父親からまた暴行暴行暴行暴行。
そんな中、頭を割られました。病院には行けないため両親に押さえつけながら縫われ、口外したら殺すと父親から脅されました。
頭を割られたのは一度ではありません。
 
いまなら、逆に殺して下さい!って大きな声で言えますが、小学校の私には無理な注文ですね。
 
もう、どうして良いか判りませんでした。
 
続きは②ー7になります。