生命の講座 第三講義 VOL16 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


朝鮮部落の連中に凄まじい虐めを受け続けています。


記事が途中で切れた時は勘弁してくださいね。


脳機能がこの連中に壊されかかっているのです。


私は再びこの連中と其の協力者達に

死ぬまで意識朦朧とされる事になるかもしれません。


朝鮮総連とか其の関係者も関わっているようです。



結局は闇支配の傀儡と化した人間達にです。

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今日の参考となる過去記事です。


生命の科学は全般的に読んで理解を深めてくださいね。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11081141936.html


生命の講座 第三講義 VOL16


アダムスキーは農作物を通じて神に遭遇したと言う人間の話を
取り上げていました。


その人間は農作物の改良にも携わっていた方のようです。


どうすれば農作物を改良できるのでしょうか?


おそらくは元々農業に携わっていたその方は
作物をしっかりと観察していたでしょうし
色んな意味で作物の立場になって見つめる事が出来た人間だったのだと思います。


つまり私達にとっても精神進化に役立つ意識でもある


「その物になりきる事」


アダムスキーが


「彼らは観察される個体があたかも自分であるかのように
其の個体に対して意識的になる」


と語っていた事を
無自覚に野菜に対して実践していたのだと思います。


これは私達がテレパシーといわれる能力を
強めるためにも有効のようです。


私達は想念を魂を持って受け止めて
それを脳機能でイメージや印象として再現し
その内容を認識する事があります。


それを偶然ではなくて必然的に実行しようとすれば
どうやら現象に対して深い認識が必要となるのだと思います。


一つには意識をそちらに向ける事、
更には其の対象物になりきるような意識です。


例えば私たちはテレパシーを意識して使用できなくても
他人との間において顔の表情や声の状態で
その心の状態を読み取る事があります。


人は話している最中でも表情は刻一刻と変化しますし
其の中で喜怒哀楽やあらゆる感情を
無意識の内に表情としてあらわします。


私達はそこから他人の感情や意図をある程度は
読み取る事が出来るはずです。


ただ、それだけでは心の感覚器官で受け止めれる情報しか
得る事が出来ません。


限界があるのです。


しかし私達はその不足分を想念によって
まかなう事も出来ます。


私達は気を感じるとか、空気を読むなどと表現する事があります。


これは単純に、「場を見つめていればどう振舞うべきかを判断できる」
と言う意味で使われる事がありますが、


一方私達は確かに他人の気配や強い想いを
受け止める事があるはずです。


よく殺気と言われるものは、
単に顔の表情だけではなくて
其の人間の体全身から発せられているものです。


想念的に説明すれば「他人を殺したい」という意識を
頭で意識し其れを全身から発ている状態と言えます。


更に楽しそうな想念や苛ついた意識は
本人が隠そうとしても全身からにじみ出てきますし
其れをどうしても体のどこかが表現する事になります。


嬉しくて仕方が無い時に、笑い顔を隠してみても
ついついスキップを踏んでしまうとか


他人にいつもより甲高い声で語りかけるとか
そんな経験もあるかと思います。


苛付を隠して笑顔を装っても
貧乏ゆすりをしてしまっていたり
指で机をとんとんと叩いていたり、


そんな経験もあるもしれません。


これらは私達の想念のなせる業なのです。


いくら隠そうとしても隠し切れない強い感情は
必ず体のどこかで表現される、


そしてその想いは全身から放射線状に放射され
他人に受け止められる事にもなるのです。


強い感情は隠し切る事は出来ない。


それは想念のなせる業でもあります。


ところで、私達は植物や動物になりきるのは難しいかもしれません。


しかし他人になりきって其の想いを受け止める事は
練習次第で誰でも可能なはずです。


地道な練習が、もしかしたら私達に
テレパシーを授けてくれる事になるかもしれない。


そしてそれはそのまま宇宙的啓示へと繋がっていくかもしれない。


そんな夢を抱きながら
「其の物になりきる」
練習をしてみては如何かと想います。


きっと私達の中で何かが変わっていくはずです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】