第二講座 VOL6 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



体調が回復するまでの間、また少し記事をお休みします。


一応第三講義まで書いてあるのですが

手直しや付け足しを必要とするのでご了承下さい。



私がブログを休んでいる間は、是非とも私の過去記事を

参照していただければと思います。


詳しい内容が毎回一つ一つの長い記事となっています。


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アダムスキーは生命の科学で聖書のイエスキリストの言葉として
「私達は二心を持っていてはいけない」という話を取り上げていました。


例えばイエスは聖書では「私達は富と神とに同時に仕える事は出来ない」
という趣旨の事を表現したはずです。


私達が富を意識する時は心のエゴに従っている状態だと言えます。


一方私達が神に従っている状態というのは
私達が魂を意識している時と表現できるはずです。


つまり私達人間は、
その異なった二つの価値観を同時に意識して実行する事は出来ない
と言う事を表現した物だと理解する事が出来ます。


そう言えば富に関してイエスキリストは
こんな表現をしていたはずです。


「貴方は富を地上の蔵に蓄えるのではなくて
天にこそそれを蓄えなさい」とです。


勿論これも比喩ですが、
私達はどうしても物質的な豊かさに意識を取られ
精神的な豊かさを省みない傾向にあります。


しかし創造主の分身としての私達にとって大切な事は
如何に心を豊かにするかという事に尽きるのです。


そのための指針とすべきが神の想いのエネルギーであり
私達の魂です。


少し例えが違いますが、
私達の心も複数の感覚器官の影響を受けて
意志を表現していると理解すれば


各感覚器官が現象に対して持つ価値観がそれぞれ異なれば
私達の心もその不均衡な影響に左右される事も理解できるはずです。


そのためにも私達は各感覚器官を持って現象を裁くのではなく、
つまりは好きと嫌いで判断したり先入観を持つのではなくて、
現象を正しく理解する事が大切だという事。


そのためにも四つの感覚器官はお互いが補強しあう形でこそ
使用されるべきであり、


心地良いと感じる事を追求するような
使用のされ方をしていてはいけないのです。


心は私達の経験と本能によって価値観が培われるものであり
一方魂は創造主の意識である真理を表現しています。


そこから感じる事になるのは創造主の想いであり
しかもその創造主の残留思念は
私達が”善”と表現している想いばかりのようです。


聖書ではそれを”御霊の想い”と表現していましたが
そんな意識にこそ私達は従うべきです。


アダムスキーは著書の中で
「心を意識=魂=神に従わせなさい」と語っていました。


そして常に心と魂の両方を使用しながら
心を魂に学ばせる様に暮らす事を薦めてもいました。


私達に真理を伝えるのは魂であり、
心をそれに従わせる事で私達は其の理解を深める事になります。


そのためにも心を正す必要があり、
心を司る感覚器官の働きを正しく理解する必要がある
という事を是非意識して頂きたいと思います。


私達は自らを知るために、心と呼んでいるものの実態を知るためにも
それを形成過程をも生命と共に学ぶ必要がある。


其の事が私達の自らの理解を深める事になるのです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】