第二講義 VOL3 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




アダムスキーは、私達は本来、四つの感覚器官を
それぞれを調和させて暮らさなければならないと言う話をしてました。


それが一体どのような状態を指し示しているのか考えて見ます。


生命の科学の中で書かれていたように
外部の現象として花を例にしてみると、


その花の色と匂いに対して視覚と嗅覚はどのように反応するかという
事を考えれば判り易いかと思います。


花屋のそばを通った時に、
私達の視覚が美しいと感じた花を買おうとして近寄ると
今度はそこから自分にとって好ましくない匂いがしたとします。


その時にその花を買うか買わないかは
おそらくは視覚と聴覚の好みのどちらを優先したかによって
決定されることになるはずです。


匂いは我慢できるし、その視覚的な魅力を優先しようと考えた方は
それを買う事になるでしょうし、


匂いを嫌いと判断した方は、其の見た目の魅力を割り引いて
買うのを控える事になるでしょう。


これは視覚と嗅覚がそれぞれ好きと嫌いを持っているがために
私達の行動がそれに左右される事を示しています。


つまり私達の価値観や行動は、
感覚器官に大きく依存していると言う事です。


私は以前にこの事を”納豆”を例に説明しました。


納豆というのは一つの結果であり現象といえます。


私達は感覚器官を持ってその現象を
如何に受け止めているのを考えて見ます。


例えば納豆は見た目は糸を引いていてグロテスクです。


腐った豆ですし、視覚的には美しいものではありません。


更にかき混ぜればネチャネチャとした音を立てます。


そして匂いは言うまでもなくアンモニア臭でとても強烈なものです。


目や鼻や耳の好き嫌いに従えば
目で見て嫌い、音を嫌い、
鼻で匂いを嗅いで嫌うという事にもなりかねません。


その証拠に多くの人間が納豆を嫌っていますし
関西では納豆を食べる習慣も少ないと聞きます。


中にはその納豆を食べた事さえない方もいるはずです。


私達の感覚器官は本来はお互いを並行して使用する事で
現象、そして結果を正しく認識する事が求められています。


しかし私達は通常その感覚器官を持って
この納豆の例の様に好きと嫌いを作り上げているのです。


そのために食べる事なく納豆を嫌いだと判断し
口にしない方もいるはずです。


これは一種の先入観や独自の価値観、偏見が
私達に現象を正しく認識させていない事を意味します。


恐らくは私達の中には食べず嫌いをする人間もいる事でしょう。


しかしその中にも、思い切って納豆を口の中に放り込めば
そんなにまずくはないと判断したり、
美味しく食べれると判断する方も出てくるに違いありません。


その方は納豆を味覚を持って味わう事を体験していませんし、
納豆を偏見をもって見つめていた事に気がつくのです。


ここからも伺えるのは私達は通常
四つの感覚器官を正しく利用していないと言う事です。


現象の一面を偏見や独自の価値観を持って見つめているだけで
実際にはそれが正しく理解されてはいない。


現象や存在を正しく理解しようと勤めるのなら
私達は四つの感覚器官を正しく使用して


物事を好き嫌いで判断するのではなくて
対象物を正しく理解する事が求められているのです。


感覚器官を使用するのは現象面ですが、
もしもここで目には見えないものをも理解しようと勤めるのなら


例えば目の前の現象としての納豆を製造する過程をも
思考する事もできます。


わらに茹でた大豆を入れて保つと
納豆菌がわらで繁殖してそれが豆を発酵させる。


例えばそんな過程を私達は想像する事もできます。


四つの感覚器官をまずは正しく使用することで
現象を曇りめがねではなくて
正確に理解する事がここでは何よりも重要ですが


私達は更に一歩進んで、
その因なるものをしっかりと認識するように努力する。


その結果、私達は目に見えるものと目に見えないものを同時に
認識する事になるのです。


ついでに触れておけば
その納豆に関して四つの感覚器官で認識できないものとして
納豆の断面、更にはその成分、栄養などもあげられます。


更には現象としての納豆が時にはしなびたり
白い粉を吹いていくような生命活動をも認識する事もできます。


そのようなものまで理解しようと勤めることで
私達の納豆への理解は更に深まる事になります。


私達は納豆を通じてそれに付随する生命をも
感じる事が出来るのです。


少しばかり庶民的な例えですが、感覚器官を
好きと嫌いを作り上げるためではなくて
現象を理解するために利用する事を


無意識で実行できるような癖をつける事が私達の進化にとって
大切だと、アダムスキーも語っていたのだと思います。


私達が原因と結果をみつめるためにも
先ずは結果としての現象を正しく認識する必要がある。


そのためには現象を認識する心を支える
感覚器官を鍛える必要がありますし、
それらが正しく機能するように改善する必要があるという事です。


私達が通常感じている外務からの刺激が
実は私達の心の価値観によって歪められ私達の中で再現されていると言う事に気がついて
それを如何に正しく再現するか、


そしてそのためには何が必要なのかと言う事を
私たちはここで学んだことになります。


私達の受け止めている現象と言うものを認識するのは
私達の心の先入観だけではいけないと言う事を
私達は理解して心の改善を実行して行きましょう。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】