第一講座 VOL14 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


スタッフ細胞は本当に存在するのかしないのか、

其の研究者は嘘を語ったのかそれとも一人責任を負わされたのか、


色々な憶測も語られていますが、私達は科学の専門的な知識も乏しいし

其の判断材料は限られていると言うのが実情です。


ただ、限りなく科学は発展し私たちの生活の向上のために役立っている。


それだけは確かなのだと思います。


私達が知るべき事の一つは己の実態

人間と言うものを現象として認識する事でもあります。


そのためにはミクロ的な視野で多くを知る事は大切です。


ただ、出来ればそれだけでは、

なくて逆にマクロ的な意識をもって現象を眺める事、


人間社会だけではなくてもっと別の場所に視線を向けて

そこに神を感じる、そんな機会を持つ事も重要だと思います。


ミクロが人間個人であり其の細胞であれば、

マクロは全体であり宇宙空間です。


私達が井の中の蛙でなくなるためにも

私達はもっと宇宙を見つめるべきである


そして全体を意識すべきである。


そんな事を考えていました。


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今日の本題です。



【大切なのは動機】


以前に、私達の意識の在り方として
悲観思考と楽観思考の話を取り上げたことがあります。


今私達の社会では楽観思考が頻繁に取り上げられています。


以前には私は楽観思考を否定していましたが
実はこれも私達にとって大切な一面である事を今では理解しています。


つまりこれも私達の”想い”の大切さとは無関係ではありません。


私達の想いがこの社会を作り上げるのだと言う話を
私は以前にも紹介しました。


私達の地球社会を覆っている周波数・波動と言われる物は
そこに住んでいる私達の想念の影響を強く受けると言う話でした。


この社会はそこに住んでいる私達の影響を受けて
その波動や周波数を変動させる。


一方ではその地球自体に蔓延した周波数帯が
今度は私達へと働きかける事になり
それは相互にフィードバックの関係にあると言う事です。


この社会の中で暮らしている私達が
記憶を持っての転生が出来ないその理由の一つは、


私達の住んでいるこの社会の持っている波動が
低い状態に維持されている事と無関係ではないようです。


私達は死んだ時には、その時の魂の状態に照らして
その魂の資質に合わせた肉体を維持できる社会へと
転生していく事になるようです。


私達の多くは残念ながら、それぞれの生において
十分な魂の進化を果たすには至らないために


自分の魂の周波数帯に適しているこの社会の中での転生を
繰り返しているのだと認識する事も出来ます。


そして其の波動と同じような周波数帯と波動を持っている
私達多くの地球社会の人間は
この社会での転生を繰り返しているのですから


この社会の中は容易に改善される事もありません。


と言う事は私達に求められている事の一つは
私達が少しでも高い意識を持って
高い周波数帯の想いを出すように勤める事だと言えます。


其の事が次の世代次の転生における私たちに

良い影響を齎す事になるのです。


そのためには、やはり低い周波数帯
不安や恐怖、怒りのような思いに満たされるよりも


明るく喜びのような周波数帯に満たされたほうが
良いのだと思います。


多くの人間はそれが出来ないのですから
先ずは私達はそこを第一段階として目指していく事になります。


その上で私達はもっと更に上の状態を目指せば良いのだと思います。


私達の目標は、ポジティブを求めた上で
しかもその想いが心のエゴではなくて
魂から湧き上がったものである状態を目指す事です。


つまりいくら楽しい想いであっても、
それが個人的なエゴから出ているものであっては
全体を思う意識よりも低い状態に抑えられてしまうからです。


自分の心地良さを求める意識は心から出ますし
全体を求める意識は魂から出ます。


つまり聖書のパウロ風に言えば
私達は肉の想いではなくて御霊の想いこそを
全身を持って表現する事が求められているのだと言う事になります。


次に大切なのは私達が何か行動をしようとした時に
その指針となる動機です。


私達はいつも結果ばかりに囚われて
それに行き着くまでの過程というものを見ようとはしません。


良い結果に見えてもそれが心のエゴから出ているものもあれば
良くない結果に見えても魂の想いから出るものもあります。


エゴをもって良い結果を齎すのはおそらくは偶然でしょうし
それは長くは続かないでしょう。


もしくは誰かに負担をかけることになっているかもしれませんし
どこかに歪を生んでいる可能性もあります。


魂を持って良くない結果を招いた場合は
きっと努力が足りなかったか、
もしくはこれから改善されるのでしょう。


そして長い目を持って思考すれば
大切なのはその動機でもあります。


その動機が心のエゴに根ざしているものなのか
それとも魂からの思いなのかが、
行為が正しいか正しくないかの基準ともなるのです。


更に私達は行動をしようとした時に
時には楽観的になりすぎたり、時には悲観的になりすぎたり
することもあるかと思います。


しかし本当に私達が求められているのは
悲観的でも楽観的でもない姿勢。


もっと言えば私達は悲観的な事にも悲観的にならず
楽観的な物事にも楽観的な状態になりすぎないような
そんな精神状態こそが求められていると言う事になります。


そして何かをしようとして因なるものを思考した時には
結果は最低の結果から最高の結果まで予測した上で
行動をする事が必要なようです。


つまり私達は結果を見据えた上で出来るだけより良い行動を
実践する事を求められているのです。


そしてもしもそこで自分が予想していた通りの結果が
導き出せなかった場合にも私達はそこから何かを学習し


次に同じような行動をする時には
もっと良い結果を出せるような思考をすれば良いのです。


そのためにも、一般の方々よりも少しだけ
精神的な進化を余分に果たそうとしている私達は


何事にも動じないような精神状態を少しでも培うような姿勢、
更には喜怒哀楽を出来るだけ制御できるような意識を
求められているのだと言えます。


私達をよりよい結果へと導くのは
私達の心の価値観ではなくて魂の意識であり、理性であり、
自分を客観的に見つめる姿勢でもあります。


個人的価値観に過ぎない独自の心をエゴを頼って
反射的に反応するのではなくて


元々が100点満点であるはずの神=創造主の想いこそを信じて
それを実践するように勤める事が何よりも大切だと言う事です。


これらは楽観思考をある程度マスターした後に
その後の指針として与えられるのだと理解して頂ければと思います。


私達、真理(キリスト)を求めるものはその状態を目指さねばなりません。


この社会の中の波動に染まるのではなくて
自らの意識をもって其れを改善していく思考を作って行く、


其れこそが私達に求められているものだと言う事です。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】