子どもはみんないるけど おとなはすべてではない
フィクションです。
「新あい三家の中の 色あいの家を表す格言のような言葉です。
『みんないるけど すべてではない』
なぞなぞみたいですが それぞれに言葉を足すと 少し意味が
わかりやすくなります。
「こどもは」と 「おとなは」と言う言葉を足して
こどもはみんないるけど
おとなはすべてではない
色あいの家のメインテーマであるものづくりの その中核であるこども育ては すべてのこどもをそだてると言う目的があります。
そのことが出来るようになれば おとなの世界のことの あらゆる原因を見つけることが出来るからです。
「三つ子の魂百まで」
と言う言葉に込められた意味は
おとなになると見えなくなる人の本性を 三歳ぐらいまでの子どもは ものの見事に見せてくれ 聞かせてくれるのです。
そのことは死ぬまで変わらないことだから 忘れてはいけないよということなのです。
そして新あい三家に残るおとなは すべてのタイプのおとなではないと言うことです。
すべての子どもたちを見守れるおとなだけがのこる家なのです。
子どもから学ぶことが出来る大人がつくる家なのです。」