パソコンを開けたついでっちゃ、なんですが、

「自分のままで生活したい」ってことを最近よく思うので、書きとどめておこうと思います。

 

両親ともに空から見守ってくれるようになって、それはそれですごいショックだったし寂しかったし、今でも両親のことを思うと会いたくなります。

自分がLGBTQの一人で生きてることは両親は知らないままでした。

ま、恐らく薄々は分かってたと思いますが汗

けど、僕自身、結婚を考えるべきか、子どもは好きだしその子どもがいる家庭を持ったほうが幸せなのかな、両親に孫を見せてやらなくちゃ、ってずっと考えてたし正直焦りのような感覚で過ごしてましたアセアセ

 

友情結婚の活動や、ストレートの人たちのお見合いパーティーなんかにも参加してました。

けど、期待をこめて参加してるはずやのに、いっつもなぜか気持ちが一歩前に出ずに終わり。

ずっと自分のほんとの気持ちが分からずに空回りしてたんでしょうねあせる

 

自分が障がいのある子どもたち相手の仕事をしてて、その親御さんたちとも日々接してることもあって、“子どもを育てる”ってことにいろんなおもいをずっと感じてるんです。

ストレートの人と結婚できたとして、ずっと自分と相手に嘘をついて過ごせるか、

”友情結婚ができたとしても、子どもを授かるっていうことは、夫婦お互いの存在が大事に思えてこその“子ども”なんだろうな、子ども外生まれて一生っていう長い時間を、一人の人格を持って過ごしていくってすごいことやな、とか思うと、自分が真っ直ぐに子どもの存在に出会いたい、ってほんとに思えてるか?

親のためにってそんなことでいいのか??

とか、もうずっと答えが出ない禅問答を繰り返してるうちに年齢を重ねて、両親が旅立ってしまって…、で今。

 

両親がいなくなったことはほんとにほんとに今でも寂しいし、ドラえもんがいたら一日だけでもいいから会って色んな話をしたいし、声を聞きたいです。

 

でも、寂しいと同時に、もう“自分が幸せやと思うことを真っ直ぐに求めてみよう”って思うようになりました。

職場は旧態依然のお堅い業界ですし、

『多様性を認め合いましょう』

とはスローガンのように最近言われてますが、そこにまだLGBTQの人たちの生の存在はなく、

「そういう人たち」

「あっち側で生きてる人」

「私らと違う感じの人」

なんて言葉がまだまだフツーに出てくる世界ゲッソリ

悪気があるわけではないだろうし、知らないだけの言葉なんでしょうけどね。

 

長年今の業界でやってきて、親御さんに対しての支援の仕方にも今の風潮に違和感を感じ始めてるし、子どもへの支援の方法も、最近の“デジタル化”がドーンとやってきて、ほぼアナログ一本でやってきた自分の出番はもうないな、って感じてきてます滝汗あせる

 

逃げ、といえば逃げなのかな。

でも、何かと資金が必要だった僕の実家への援助もなくなって、もう今のこの仕事と収入にしがみつくことはないな、って思ってます。

障がいのある子たちとはこれからも関わっていきたいし、そのための資格取得勉強をしようと思って動いてますグッド!

 

業界を変えたからってLGBTQとしての生き方がどう変わるのかは分かりませんが、残りの人生、その面も含めて子どもや親御さんへの支援の仕方とかももっと自由度のある関わり方で、LGBTQの自分だからできる目線とか発想で仕事も生活もしていきたいな、と思いますニコニコ

 

 

長々と堅苦しい内容になりましたが、これもお目に留まれば、何かしらのコメントなどいただければうれしいですクローバー