神戸を歩く-神戸華僑歴史博物館。 | 『声』の残し方-いつかの、だれかに…

神戸を歩く-神戸華僑歴史博物館。

「指紋を取るもとらないも、ここにいるために仕方がないから。」

南京町をあとにして向かった神戸華僑歴史博物館で、華僑の陳さん(仮名)が、昔の外国人登録証の話をしてくれた。

$『声』の残し方-いつかの、だれかに…
指紋はちょうど右下に貼られた丸いシールに隠されるように取られた。「黒いインクでこのようにね…」とその時の様子をやって見せてくれた。

華僑の「僑」は、仮住まいをする人、という意味。だから、華僑は、日本に仮住まいをしている身分と見なされ、外国人登録証を常に携帯しなければならず、指紋は2000年まで取られたという(一方、華人は、その国に帰化した人を指す)。

陳さんのお父さんは、1930年代に台北から神戸にやってきた。50年代に神戸で生まれた陳さんは、老華僑に含まれる。老華僑とは、鄧小平の「改革と解放」政策前に日本にやってきた華僑を指し、その後にやってきた華僑は新華僑と呼ぶ。

そんな陳さんが歴史博物館を案内してくれた。時間の関係で展示一つひとつをゆっくり見ることは出来なかったが、クイズ形式で楽しく進む陳さんの説明のおかげで、充実した時間を過ごすことができた。

$『声』の残し方-いつかの、だれかに…
歴史博物館内の様子。展示スペースは広くないが、貴重な資料が展示されている。

$『声』の残し方-いつかの、だれかに…
孫文直筆の「博愛」の文字。ハワイで医学を勉強した孫文は、キリスト教の博愛精神に強い感銘を受けたという。

歴史博物館のパンフレットに、孫文と神戸華僑の関係について、

「1911年に中国では辛亥革命が起こり、清王朝が倒れ、中華民国臨時政府誕生しました。
 神戸の華僑はこの革命を積極的に支持していました。1914年7月には日本亡命中の孫文らによって東京で中華革命党が結成され、その神戸大阪支部長には華僑の王敬祥が任命されました。」

と書かれている。

辛亥革命が起こると、神戸華僑のなかで革命を支持する気運が高まった。そんな中、中華民国僑商統一聯合会が結成され、その会長を務めたのが王敬祥だった。この聯合会は、義捐金の提供、義勇隊の結成、日本各地の華僑と協力して、全国的な革命支持団体の結成を呼びかけた。

革命後、袁世凱が大統領就任すると、日本政府は袁との関係を重視し、また、宋教仁暗殺事件を契機にした第二革命の失敗などによって、孫文への風当たりは強くなっていった。そんななか結成されたのが中華革命党であり、王はその支部長に任命され、孫文を支持し続けた。(ちなみに、王敬祥は、陳さんの曾祖父にあたる。)

その他にも、神戸中華同文学校の変遷、手書きの教科書、実際に使われていた「三把刀」(包丁、はさみ、かみそり。簡単な言葉で仕事ができることから多くの華僑が料理、洋服の仕立て、理髪に従事した)などが展示されている。

陳さんから貴重な資料もたくさん頂いた。ありがとうございました。そして、台中に住んでいたんです、と話すと、ああ、じゃあ…と見せてくれたのが、これ。

$『声』の残し方-いつかの、だれかに…
ああ、こんなところでお目にかかるとは。この時私も勉強会にお邪魔させてもらいました。みなさん、如何お過ごしでしょうか?今年は神戸にいらっしゃいますか…?