踊り子と伊豆の思い出 | URAROUTEブログ

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地理的にマニアックな場所を訪ねるページです。鉄道・酷道・険道・県境・飛地・果て・日本一(初・唯一)、無くなる前訪問など。時事ネタが理想的ですが、過去に訪れた所を記録的に残すことで精一杯であること、ご了承ください。

最近ネットのニュースで、連日のように見かける185系の引退。子供のころから祖母がいた熱川と伊東の親戚の家へ何十回も行っているのに、乗ったのは数回。感慨深いのにそんなに思い出がない、近くて遠い列車。

 

去年、河津桜と惜別を兼ねて乗ってきたスーパービュー踊り子。これも1回しか乗ったことがなく。目的が無ければ乗らない列車、大人になるにつれ親戚を訪ねる機会がなくなれば、伊豆に行く目的もなくなり。

 

スーパービュー踊り子1号は新宿始発。伊豆方面へ山手線西側から乗るのは初めて。

 

5番線はかなり遠い所へ連れていかれました。

 

誇らしいSVOのエンブレム。あの時は子供ながらにこんなの特急じゃないと。クリーム色に赤のラインが入ったのが特急という、本から得た知識を悉く覆す、JRという新時代の到来を知らせてくれた名車両。

 

デビューから30年経つとは思えない。けど経年劣化で側面の塗装が剥がれサビ付いた所も目につきます。子供がそれに気づけば、"それはね今まで頑張ってきたからだよ"と諭すお母さんとのやり取りが微笑ましい。

 

最初で最後のSVOグリーン車。数ある在来線特急の中でも、これぞグリーン車と呼ぶにふさわしいずっしりと重厚感あふれる座席。初めて乗った普通車は窓の広さに驚く反面、リクライニングできず座席がとても硬かったような。

 

あの時も、各車両の入り口にアテンダントが待機し車両案内を兼ねたきっぷの拝見。乗車後しばらくするとウェルカムドリンクとおしぼりのサービス。最後までこのサービスが続いていたのは素敵です。

 

いくつになっても初めての体験にはワクワクしてしまいます。ビスタカーとは縁のない東の人間が平成になって初めてお目にかかる二階建ては、データイムグリーン料金回数券で乗れた普通列車グリーン車。2階から眺める優越感は今も昔も変わらず。

 

1か所で十分と思う下層サロン室へのアプローチは、先頭側に、座席数を減らしてでも設けた螺旋階段からも降りられ通り抜け可能。これは"乗ったらそこは伊豆"というコンセプトに相応する走る建築物、ここは既に"リゾート地の中"。

 

落ち着きなく席とサロン室をウロウロしていると、そろそろ伊東到着を知らせるシンボル。何十回も見た景色も下から見れば…。

 

伊豆高原。満開の河津桜。

 

ワイドな窓からダイナミックな景色が広がって。

 

終着下田までの時間はあまりにも早すぎました。

 

なぜあまり踊り子に乗らなかったのか。そんなに遠くない伊豆へ、電車で行けた時はずっと乗っていたいから普通列車のボックスシートでのんびり派。あの時は東海道線に日中も普通伊東行きが走っていたから。

 

列車番号521M 185系 普通伊東行き。

 

車で行く伊豆の道はしょっちゅう渋滞していました。何かとイベントの多い伊豆。家に戻ってニュース見て、これで混んでたのかぁ、と。各家に寄った後は国道沿いのいつもの干物屋で買い物してまっすぐ帰るお決まりのパターン。河津桜も大人になってから見られた、というより大人になって知った伊豆の名所。

 

あの時も、家族は全く乗り気が無く、結局いまは亡き祖母と二人で見に行った初めての河津桜。楽しみにしていたけど花見のイメージとは違い、もちろん綺麗だったけどあまりの寒さで陽気には見られない。

 

踊り子

 

マリンエクスプレス踊り子

 

翌日仕事があるので日帰り。そう、今でも欠かさず親戚を訪ねる律儀で真面目な父も翌日は仕事がありました。車で行く伊豆は地図を見ずとも道順も景色もすっかり覚え、電車好きが乗った貴重な数回の一つ一つも記憶に残っている。ただの親戚巡りも思い返せば立派な旅行だったなぁ。

 

伊豆へ行く目的がなくなってしまった、なんてことはないと、今後誰かと普通の観光客のように温泉に行くかもしれないし、家族で車で行った時の事、河津桜を見るたび一緒に行ったときのことを思い出す。車で行っても踊り子に乗っても。伊豆は自分にとってそんな場所です。

 

(2020年2月11日)