「結婚相手くらいは自分で決めたい」「人に頼らずとも自分でなんとかできる」

こんな気持ちでいる独身者は多いでしょう。赤い糸やら運命の出会いやらがあると思いたのでしょう。

 

赤い糸はあったとしても、どうやらロマンティックなものではないようです。多次元的に複雑な要素がからんでくるからです

 

この世での結婚は、あの世でも大きな関心事です。理解しようができまいが誰もに非物質の守護ガイドが存在していて、それらの存在に護られながら私たちは生きているのです。俗に言う守護霊や守護神、そこには他界したご先祖様も含まれます。それらの存在は、人生で重要な時に介入してくることがあります。

 

例えば受験。肉体を持って生きている本人がどこの学校に入学するのが一番学びが多くなるのかを重視して決定されます。俗世間の学校ランキングや本人の希望とは無関係に、過去生からご縁のある魂に出会うことが目的の場合もあります。

 

この世に肉体を持って生れ出た私たちはほとんどを忘却した状態からスタートしますが、多くを体験して魂を飛躍的に成長させたいという、本人の大きな望みを叶えるようサポートするのがガイドの役目です。

 

地球でそんな体験を希望する魂の数は多いのですが、新たな生命がこの世に誕生することによってこの世ツアーの席が確保されるわけですから、ガイドの担当するグループが子孫繁栄することはあの世でも大きな関心事となります。


肉体生命が婚期に近づくと、学びの程度が同等である異性候補があげられます。本人たちは自分の選択による自由な恋愛をしているつもりなのですが、実は「多次元お見合い」の結果としてお付き合いや結婚に至っているのです。

 

お見合い結婚でも、恋愛の末に結婚しても、しょせんは「多次元のお見合い」の結果であることに変わりはないのです。ですから誰と結婚しても「逃したあの人と結婚していればもっと…」というようなことは妄想でしかありません。
 

そして、いつか離婚することを前提に結婚するという場合もあります。結婚離婚を何度も繰り返すことで学ぼうとしている場合もあるということです。

たまに「過去生のどれを見ても全部同じ相手ばかりと結婚している」という方もいらっしゃいますが、今回もまた同じ相手と学びを進めると決めている場合もあって、ガイド同士が強く連携をとって幼馴染とかで出会っていることも多いです。

 

結婚すべきか、止めるべきか。もしくは、離婚すべきか、我慢すべきかということで悩む場合もあるでしょう。その場合、相手の好き嫌いを自分の頭で考えてはいけません。相手の外見、社会的地位、収入などこの世的な条件に惑わされて値踏みしてはいけません。

 

人にはずっと誰かと一緒にいないと寂しくて仕方のないタイプと、できれば独りの空間が必要で、あまり人との関わりが密だと辛いと感じるタイプがあります。それを無視して、「家族とはこうあるべき」という固定観念があると、いつか何かのタイミングでどこかしらに不具合が生じます。

 

結婚して子供を設けても、夫婦別で暮らすほうが夫婦の関係性がうまく行くといった例も実は結構あることなのです。「別居したら家族とは言えないから、離婚しなくてはならない」と杓子定規に考えている人もいるようですが、そんな決まりはありません。
 

多くの夫婦関係をヒアリングしてきた中で、私にはひとつの傾向が割り出せています。結婚状態が特に問題なく良好に続いているご夫婦は、ほぼ全員といっていいほど仕事の事情等により日常生活での関係性が薄いのです。

 

・夫が単身赴任・夫は仕事が忙しくてなかなか帰宅できない・趣味がバラバラで休日も別行動・会話することがあまりない・住宅が割と広く、お互いが干渉しない距離感が保てている・等です。

 

逆に離婚が早い関係性は、大恋愛の末の結婚・夫の残業が少なくて家のことに協力的・同じ趣味があってよく一緒にいる・友達のように何でもよくしゃべる・住宅の部屋が狭かったり、部屋数が少ない・等。

 

人生では「どのタイミングで誰と出会う」ということだけは運命として決まっていますが、「どのご縁を深い関係にまで育むか」という部分については本人の度量次第なのです。

 

あらゆる人とのご縁を大切にして育む人もいれば、全てのご縁を粗末にしてご縁を育まないままご縁も終わって行ってしまうという選択を繰り返す人もいます。

 

どのようなご縁でも、人間関係を良好に育てるということに果敢にチャレンジして行くのがこの世での魂の成長だと私は思うのです。