想いをここにしるせば、すこしは整理できるのかもしれない、
まだまだ現実的でもないし、存在しないことの意味もわからない、
でも心を律していまパソコンの前にいます。長くなります。
もうめそめそと泣いてもしょうがない、悔やんでもしょうがない、
でも泣けてくる、早すぎる。
だってついこないだいつもどおり長電話したばっかりだった。
二木さん、また電話します、っていいました。もう電話できないじゃないですか、
まだ聞きたいことが山ほどあります、くだらないジョークで苦笑いさせてください。
わたしが、今も音楽を続けていられるのはまちがないく二木さんのお陰だ。
二木さんに出会わなければ今のわたしはいない。
初めての出会いがいつかは忘れた。10年頃前だろうか、BLと音楽をつくりだした頃、二木さんはすでに傍にいた。
いつも、うらりちゃん、これ聴いたらいいよ、この本いいよ、うらりちゃんの大好きなアーティストに会えるよ、
と、ある日はタワレコにコアなCDを買いに付き合ってもらったり、近所のモスで朝までゴシップに花咲かせたり、
プロレスラーの集う店に連れて行かれたり、私物のお宝CDと本を大量にダンボール箱にいれて送ってきてくれたり、、
ありとあらゆるサンプルを細かい解説付きでくれた。特にHIP HOPへの愛は素晴らしかった。
一日一冊の本と映画、それからたくさん音楽を聴いて勉強しなさい、と
いつもいつもわたしの音楽人生を気にかけてくれた。
D-STのメンバーと一緒に仕事ができたのも、25歳の時にメジャーデビューできたのも、
契約がきれ、インディーで再出発を決めた時、陰でサポートしてくれてディールができたのも、
いつも、傍に二木さんの力があったからです。
わたしのCDのレビューはもちろん全部二木さんです。
『わたしという人間が奏でる音楽』ということをすごく大事にしてくれたし、
レビューはいつも音楽に加えて、わたしの人間性に触れてるものが多かった。
それは誰よりもわたしを理解してくれていたから。
わたしにはお父さんがいないけど音楽の世界にはいた。
マネージメントの枠を越えて、二木さんはわたしにとっては音楽のお父さんのような人だった。
どんなジャンルも、どんな世界もとにかく深く豊かに知っていたし、愉快だったし、ふざけてたし、真摯であった。
D-STを抜けて、東京に上京してからもいつも気にかけてくださったし、なにかあれば二木さん、
困ったときの二木さん、ってスタンスだったわたしはこの都会でもどこかに安堵感があったと思う。
今年、わたしが道を模索して悩んでいた時も
「うらりちゃんはうらりちゃんらしくやればいいよ。
自分を信じて頑張ってれば何とかなるよ!きっと誰かが見てると思う。」
そういって、どんな時も見守ってくれた。
わたしの相談なのに、「電話をくれてありがとう」とかいってくれたり、
二木さんの子どもたちの写真や動画をいつもメールに添付してきたり、
マニアックなものまねで留守電を占拠したり、
ソニプラでアメリカで流行ってるマニュキアとか買ってきてくれたり
2ndアルバムでは実はめちゃくちゃ参加していたり、
とにかく二木さんとの電話は長電話になるのでたまに気付かないふりしてみるんだけど、
知っててもおかまいなしに何度も何度も電話をくれたし、また夜明けでも真夜中でもいつでも電話が繋がった。
本を書くことを薦めてくれたのは二木さん。
文章で表現していくことを応援してくれた。
わたしが本当にやりたいことをいつも見抜いていた。
その為に必要なものを丁寧に教えてくれた。
ついこないだ、絵本と歌でわたしは世界を広げたいんです、と電話したとき、
まるで知っていたかのように自然に受けとめてくれたのも二木さん。
そして、またその話をしようと思ってた矢先のことだった。
二木さんがいなくなって、もらったメールやレビューを整理した。
愛をたくさんくれていたんだなってことに改めて気付いた。
そういえばあまり一緒に写真をとっていなかったことが悔やまれた。
いつもそこにいる人、と思っていたからだ。
二木さんにはわたしが歩んで行く姿をずっとずっと見てもらいたかった。
ああ、だめだ、やっぱりまだなにも整理できていない。
書いても書いても記憶が溢れてまとまらない。
やっぱり、やめよう。
まだ現実として受け入れなくていい。だって実感がない。いつでも電話がかかってきそうだ。
二木さん、こないだ話してたこと、
わたしはわたしの方法で表現をし続けること、やめません。
二木さんに相談したこと全部、叶えていく為にがんばります。
なにかあったら電話します。へんなものまねしてください。
また連絡します。また。
うらり
p.s.
尊敬するライター、二木崇氏に書いてもらったレビューを載せます。メールに残っていたものです。
わたしにとってこれはとても意味のあるアルバムだった。心に残るライナーノーツです。
本当にわたしのこと理解してくれてたことがわかります。
わざわざ赤字訂正でなぜこれを載せたんでしょう。ほんまに。二木さんらしい。
URALiライナー赤字訂正
HELLO !! My
Name Is・・・・URALi!!
あたらしい歌と、あたらしい音を両手一杯に抱えてカノジョが還ってきた。URALiという懐かしくも新しい名前で。初めての人には、その名前は読み方が判らないくらい新鮮なのだろうが、彼女は以前からこの名前で呼ばれていた。なので、逆に“改名”と言われてもピンとこない人もいることだろう。京都~大阪を中心に活動していたヒップホップ・シンガー=URARI。その名前は、WORD SWIGAZや韻踏合組合の作品にもクレジットされている。90年代中盤にラッパーとして活動をスタートさせた彼女は、2000年辺りにはグループやソロで歌うようになっていた。そして、DOBERMAN INCの1stアルバムに参加するにあたって、BACH LOGICが命名したNORISIAM-Xというアーティスト・ネームでコロムビアからメジャー・デビューし、歌ではなくラップという表現に集中するようになる。
だが、元から放浪癖があり(ゆえにaka Buttafly)、‘03年の阪神タイガース優勝の際には道頓堀にもダイブしたくらい、持ち前の度胸、好奇心と想像力を頼りに生きてるような、音楽性もいい意味で何でもアリだった自由人の彼女には、一つのイメージ、スタイルで自分を押し通すことが性格的に難しかった。事
実上、3枚目となるこのアルバムも「何もかも“あたらしくなった”自分」を極めてカジュアルに打ち出すことがテーマとなったようだ(大失恋してどんなに泣
いても、翌朝“生まれ変わったような”すっきりした気持ちで目を醒ますように)。「こういうイメージ/キャラクターで、だとか、こういう歌い方で、といっ
た他者のプロデュースを受けることなく、一から自分で組み上げていきたい。どんなに時間がかかっても、自分自身が100%納得のいく“自分らしい”作品を
作ってみたい」そんな意思を本人から告げられた時、彼女のマネージャーとして出来ることはひとつしかなかった。それは、その可能性を信じて、いってらっ
しゃい!と送り出す、ということ・・・。その間、彼女は2度もフランスへと飛び、かつてマルコム・マクラーレンが「ロックンロールのスピリットとスタイル
に知的な貢献を果たしたその街=パリに敬意を払い、その借りを返す方法として自分の存在を押し出すことを決意した」と語ったように、初めて“セルフ・プロ
デュースした自分を強く打ち出す”という実験への確信を得るのだった(ちなみに今作のアートワークに使われた写真を撮ったJO MORIYAMAとも彼の現在の拠点地であるパリで知り合った)。
音楽愛好家としての付き合いはその後も続い ているのだが、とにかく彼女を見ていて思うのは貪欲に色んな音楽を聴いている、ということだ。特にこの2~3年は、オールド・ソウルや、80sニュー・ ウェイヴ、そして最新のダンス・ミュージックの話をよくした記憶がある。その間にはエレクトロニック・ハウスなどの音楽そのものだけでなく、原色マルチカ ラーでチカチカ!というファッションも旬となったのだが、彼女は特にそのデジタルな中に見え隠れするアナログ感に魅かれたようだ。アナログ・シンセがメイ ンとなるエレクトロ・ポップにやたらと反応していたのもその事実と関係なくはないだろう。宇宙的、近未来的、といってもその根本はどうしようもなく“いな たい”。だって人間が生み出しているのだから。リアルの発露。まさに、自分の中の宇宙=インナースペースだと。その符号にピンときた彼女は、早速“自分主 導”で気の合うトラックメイカーたちに頭の中で思い描いたサウンドを具体化してもらうようアプローチする。そこに乗せる“うた”は、あえてラップにこだわ らず、その時々でやりたいように。だからこそ、彼女はラッパー=NORISIAM-Xという看板を自ら降ろし、URALiという新たな名前に生まれ変わったのだ。(エリカ・バドゥではないが)デジタル世代のアナログ・ウーマンとして、自分の詩、表現方法で勝負するために。
「仮 のアルバム・タイトルは、『私』だったんですよ(笑)。まず、私の煌めいた瞬間のヴァイブスを伝えたくて、それにピン!とくるビートをはめる作業が今回の アルバムの制作基準でした。コロコロ変化していくビートの上にいると居心地がいい。だから「私」以外のところにこだわりは一切ないんです。その瞬間を大事 にしたいだけ、素直でいたいだけです。ロンドンに行ったのはUKの音楽やファッションに刺激を受けた自分が、なぜグッとくるのか!?その答えをリアルに体 感し納得したかったからで、それはブラックミュージックにハマったハタチの時にNYへ 行かずにいられなかった時の感覚とまるで一緒です。自分が恋する理由を知りたい、とにかく私はなんでも理由を知りたい(笑)感覚の底には必ず理由が存在す るはずだから。大人になって引き寄せられるように行ったフランスでパリで恋して、そのトキメキをジャケット写真にとりたい!と叶えてもらったロマンスも、 何かが物足りなくてエジプトまで神秘なエネルギーを求めにいってしまう衝動も、インドでそこに暮らす人々の気持ちを知りたくてガンジス川で沐浴した無謀さ も、大失恋した次の朝に1曲仕上げてしまう女パワーも…私の中では全部一緒で、そのキラキラした瞬間、刺激を受けてアドレナリンが放出される瞬間の、すべ てが音楽に繋がっていると思います」
北米大陸はおろかインドからエジプト、ヨー
ロッパまで、これまでに“初期衝動”を頼りに10カ国以上の初めて触れる土地を旅し(その殆どが“一人旅”)、様々な人や音楽や文化に出会ってきたボヘミ
アンを地でゆく彼女は、自分の言葉や感性を武器にしてこれから先も身の丈にあった“変化”を遂げていくことだろう。だから、これもNORISIAM-X~URALiの過渡期の記録、として受け止めるしかない(「My Life Is OneWay」に至っては、‘07年の秋に書いた曲だったりする)。だが、ある意味このアルバムがその完全なる自由への第一歩なのだ。本人はその開放感を“目覚め=朝”のイメージだと譲らないのだが、筆者には本作が黄昏時の、もう少しで夜へと繋がるほんの微かな瞬間のサウンドトラックだと思えて仕方がない(それがどこの土地であろうとも)。吉田美奈子の『Mosters In Town』よろしく、街に集まるお洒落したモンスターたち、そして空の上にいるはずの神という名の怪物たちが顔を合わせる・・・そうでも言わないと説明がつかないような、あのドクトクの“胸騒ぎ”が見事に表現されていると思うから。Girls Night Out・・・とは、よく言ったもので。「HELLO
!! My Name Is・・・・URALi」そんなシール(名札)を無造作に貼り付けたカノジョを見かけたら・・・気軽に話しかけてみてはいかがだろう(酔って絡まれても責任は持てないが)。
2009年3月 二木崇(D-ST.ENT)
もらった言葉を胸にしっかり生きてゆきます。完全なる自由へ、
二木さん、見ててください。