幸せの定義。
新橋の地下で
浮浪者が何人かごろごろしてる。
気持ち良さそうに仰向けに寝てたり
顔を隠して横になってたり。
きっと社会性を持っていた時期もあって
逃げたか選択したかして
新橋の地下にいるんだろう。
階段のところに一人
すごく痩せて肌が真っ白になってて
もそもそ動いてる人がいた。
つらそうに見えたけど
死んじゃわないかな。
浮浪者にもいろいろいるだろうけど
あの人は幸せじゃない気がする。
選択した形ならもう少し
いさぎよい気がする。
物理的でも精神的でも
社会からの圧力に圧迫されて
その形を選ばざるをえなかった人に
階段を用意できる社会になるべきだ。
弱ってるんだから
浅い階段じゃないと。
意志があれば上れるし
意志がなければそこにいられるし。
自分の幸せの定義は
まわりの幸せだ。
つらい人を見るのは
ほんとにつらい。
苦しい人がいると
自分が苦しい。
設定の正解。
相手が一人だと
相手の傷つくところを避けられる。
でも三人以上は思い通りに操作できない。
傷つくところを避けるのは
スポイルなのかな。
大事にするところを
法則と相手で選ぶなら
あたしは相手をとる。
いま求めてるものを
見つめたい。
泣いてたら
とりあえず
不満はなくしてあげたい。
でも不満をなくす方法を探したほうがいいのかな。
いまお腹が空いてる人に
食物をあげたほうがいいのか
食物の見つけ方を教えたほうがいいのか。
設定の正解は
わからない。
現場に流されがちな女的脳と
法則を探して未来を見据えた男的脳は
正解とかじゃない。
相手が一人だと
相手と自分の兼ね合い。
でも三人以上は思い通りに自分を操作できない。
あたしはいま
生きてるわけだから
あたしが選んでいいのに
だったら席を外したくなっちゃう。
食物の見つけ方を教えるのを良しとする人を
尊重すべきか
お腹が空いてる人を
満たすべきか
あたしが満たしてあげたいと思う相手を
満たすべきか
設定の正解を探してる。
あたしはいま
生きてるんだから
あたしを尊重していいはずなのになぁ。