あまり更新できていない時でも、当ブログに立ち寄って下さる方がいらっしゃるようです。ありがたいことです。
ふと記事別のアクセス数というのを見てみたら、未だにこの去年の記事へのアクセスが多くて、ちょっとびっくりしました。
タイトルに諸星さんの名前が入っているからかなー。でも、③へのアクセス数ばかりが多いみたいだ。③だけ読んで頂いている?たまたま③を目にしちゃったけど、別に前半興味ないわーってことかな、そ、そうだな、そんな気がする^^;
でも③から読んで意味わかるかなー?と思ったりもしたので一応、③を更新しました。と言っても①と②のリンクを貼っただけ^^;最初からリンクしておけばよかったですよね、すみません。。まあ最初から読んだからどうなるって内容でもないのですが、もしよかったら①から読んでもらえるとなお嬉しいです^^
また諸星さんのライブについてブログに書きたいです。でも今年は、ライブ開催するにはとてもチャレンジングな年…
再三いうけど、ライブでの諸星さん、かっこいいんだよなあぁ!ぜひともまた見たい!!大丈夫。気長に待ってるよー!(ちなみにこの過去記事③で、妄想力はサバイバルスキルのひとつだと書いているけど、私のこのコロナ渦ステイホームではまたそれが証明されたと自負している・笑)
ライブでの諸星和己さんは、多くの人がテレビやネットで垣間見ている姿とは違います。もちろんライブでも明るく楽しい漫談家かーくん(笑)の側面も健在ですが、決してそれだけではないのです。
私が勝手に思っている事ですが、たぶん、ライブ(ステージ)は諸星さんにとってホームなのではないかな。テレビ(映像)は、アウェイ。ずいぶん戦い方が違うなと思って見させてもらっています。どの場所・媒体で、自分のどの部分をどうやって見せるかを、よく心得ている方なのでしょうね。(開けっ広げなキャラクターのようでいて実は容易には「見せない」部分の方が多いようだけど)
そもそもライブってそういうものなのかもしれないけど、その場でないと、開けない扉のようなものがあると感じました。開いた扉からは色々なものが飛び出してくる。
以前、ぴあの感想にも書いた気がするんだけど、このステージに立つ華やかな御人、もしかしたら中で何かが折れてやしないか(アイドル時代の様々な骨折って意味ではなくて^^;)、でもその屈折部分すらキラキラ輝いて見えるのではないか?と思ったものです(鬱屈や屈託があるからこそ、人間は芸術を生むんだと思ってる)。昨夏のお台場の会場で、私は一番後ろにいたのに、そこまでキラキラの小片が飛んできてぶっ刺さって、今に至る。
私たちは世の中のすべてのことに興味を持てるわけではないので、まず興味がなければ、切り取られた情報だけを遠くから目にして終わり、ということも多いと思います。
もちろん私にも、よく知らない、普段から目を向けていない事や人はたくさん在り、それらに関しては積極的に情報を得ようとしたり、考察しようとも思わないから「切り取られた情報を目にしているだけ」です。それで好き嫌いを分けてしまっているところもある。といってもあんまり強い好き嫌い無い方だと思いますけどね^^; 私にとってかーくんは例外中の例外です。
興味を持って追いかけられないのなら、せめて、自分は一部しか見ていないんだぞ!(それだけでジャッジしていいのか?)という意識は忘れないでいたいです。そうしないと、真実が別のところにありそれが自分には見えていないだけなのに、理解した気になってしまうと思うから。
何事においても、「中に入って見ないとわからない」というのは多い。もちろん私はまだ全然わかりきってないですけど、かーくんのライブで、その最たる例は見たと思います。外から見ていた時と風景が違い過ぎる。今や私の目が偏愛に満ちてしまったから?まあそれも多少あるとは思うけど(笑)でも、冷静になってみても、明らかに何かが違う。
あれ。ちょっと過去記事に番号を追加しただけなのに、なんでまた長々語ろうとしてるんでしょう。。過去記事も、改めて読み返してみたら、長っ。3回に分けてるのに、長い。辛抱強く最後まで読んで頂いた方、改めて、ありがとうございます。
