こんにちは!
山口朋子です

今日は、子育ての話です。

私には21歳の娘がいます。
 
いま大学3年生ですが、大学は休学中です。
 
今年、娘はさらに大きな決断をするようですが、
私と夫は何も口出しはしません。

相談されたら「私の」考えは伝えますが、
それを押し付けることはしません。
 
それは、娘が成人しているから?
 
いいえ、まだ娘が5歳の時から
私と夫はそういう子育てをしてきました。
 
 

私たちが、どんな風に子育てをしたのか、
それは、一言でいうと、
 
「手をかけない、口を出さない、育てない子育て」です。
 

放任主義だったわけではありません。
 
可愛い一人娘です。
十分な愛情を注いで育てました。

 


 
でも、私たちが「引き算の子育て」を心がけることで
娘は、「自分の人生は、自分で作るんだ」
という意識をかなり早い時期に持ちました。

娘が、ヨチヨチ歩きを始めた時のこと。

オムツで大きくなったお尻で、
一生懸命自分で歩こうとする娘。

 


私たち夫婦が見守る中、何度も転びます。

駆け寄りたくなる気持ちを抑えて、
転んだ娘が立ち上がるのを、
私たちはニコニコしながら見ていました。

すると、娘もニコニコしながら、
自分で起き上がります。

それを何十回も繰り返すことで
娘の中には、「転んでも、また起きればいい」
という図式が出来上がります。

彼女にとって、転ぶことは、
悪い事でも痛い事でもなく、
ただの「出来事」としてインプットされます。
 
それを、大人が、転ぶたびに駆け寄って
「わー転んじゃったの!」
「痛かったねえ」

「ヨシヨシ」
なんて言うと、娘の中には、
「転ぶと→痛い」
「転ぶ」=「良くないこと」
「転ぶと誰かが心配してくれる」
という刷り込みが出来上がります。


実際、娘は、転んでもほとんど泣く事もなく、
たんたんと起き上がり、痛がることもありませんでした。

出来事には、「良い」も「悪い」もなく、
それに意味を付けるのは、大人の価値感

大人の価値感を子どもに押し付ける
ことの弊害は大きいです

子どもは、真っ白なキャンバスのようなもの。



可能性も無限にあります。


そこに、
「これはよくないこと」
「これは失敗」
「これはダメ」
「普通はこうだよ」
「はずかしいね」etc. etc...

大人が言う事で、子どもは素直にそれを信じます。

この刷り込みは、子ども時代だけでなく、
10代になっても20代になっても、
その子の価値感となり、しみ込みます。

出来事を、ただニュートラルに見ることができれば、
自分で自分の可能性にふたをすることもないのに、
小さいうちから、大人の声がけで、
子どもは、「恐れ」とか「恥」とか「緊張」など
本来の自分に1枚ずつベールをまとってしまいます。

これは、ゆくゆく「思い込み」となっていき、
なかなか剥がれません。

だから、私たち親は、
子どものニュートラルな捉え方の邪魔をしないように、
余計な口出し、手出しをしない方がいいと思っています。


子どもには、いろいろなことを経験する権利があります。

転んで痛い思いをする経験から
学ぶことはたくさんあります。

次から、自分で考える事もできるようになります。

親が、危ないからと言って、
目の前の石をどけていたのでは、
いつまでも子どもは安全な道を歩くことしか知りません。



石につまづくという経験をさせてもらえない子と
石につまづいて、そこから何かを学ぶ子。

どちらが、自立的な人間に育つでしょうか?
 
親は、「自分で物事を判断できる子」になるように
我が子に育ってほしいと言います。

でも、ついつい子どもにとって、
「考えなくていいように」手を出し、
口を出してしまうんですね。

もちろん、大人はすぐに先のことが想像つくので
言いたくなるし、手を出した方が早いです。

そこを、ぐっとこらえて、見守るのが、
「育てない子育て」です。

育てない子育ては、楽でいいと誤解されますが、
実は、親の忍耐が試されます。


「育てない子育て」のベースにあるのは、
相手への愛情と信頼です。

これがなかったら、ただの育児放棄、
無関心になってしまいます。

相手が子どもだろうと、しっかり相手を尊重し、
選択する自由を与えることが大切なんです。

少子化の現代、どうしても子供に意識が向きがちです。

自分の子供には、少しでも幸せな道を歩んでもらいたい、
それが親心ですよね。

でも、現代の子育ては、
「足し算」の子育てになっています。


雑誌やネットなどから、
子育ての情報もたくさん入って来て、
「あれをするといい」
「これもしなくちゃ」と、
いいと思われることをやらないと
気が済まなくなっています。


私達がやってきたことは、とてもシンプルで
「口を出さない、手をかけない、育てない」
見守る引き算の子育てです。

子供に対する愛情があるからこそ、
自信をもって、自分たちの子育て法を実践してきました。

娘は、早いうちに自分の進路を決めて
中学から寮生活でしたが、

「いつも見守ってくれるパパとママの存在を感じたから
一度も寂しくなかった」と言います。

高校では文化祭の実行委員長も務め、
大学は、誰も知り合いのいない北海道の大学に
進みました。

でも、一度もホームシックにもならず、
ニコニコと自分のしたいことをやっています。

我が子を自立した子に育てたいママは、

ぜひ「引き算の子育て」を試してみてくださいね。


次回は、子育てを通して私が得たことをお話しします。