自分の知り合いで沖縄出身の「謝花(じゃはな)」という姓の方がいる。

以前はこの姓に対して「花」に「感謝する」から派生しているようなイメージを持っていた。

 

つい最近、中国語学習の中で、花が散ることを「谢花(xièhuā)」ということを知った。

花が散るというと、如何にも一区切りついた終わりのイメージがある。

今は分からないが、受験合格、不合格を喩えて、サクラサクとかサクラチルなんて言うこともあった。

古今和歌集の紀友則の歌にも「久方の 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ」があり、花が散ることは感傷的な気分になりやすい。

 

ところが、中国では花が咲く「开花」に対して花が散る「谢花」なので寂しいイメージを持たれるのかと思いきや、そうではなかった。

花は開いて散り、のちに実を結ぶ。

「謝花」さんは中国語的解釈をすると、おそらく収穫する実を結ぶ直前にいる人なのだろう。

 

春の時期、花といえば桜を想起させる。街中の桜については散ったら終わりのイメージがあるが、条件次第では実をつけることがあるらしい。

桜の実、通称サクランボは他品種の桜の花粉を受粉させて作るらしい。

街中ではめったに桜の実を拝めない。

 

そういえば3月下旬、伊豆方面へ河津桜を見に行った時、多くのメジロがひしめきあって桜の花をつついていた(これが俗にいう目白押し)。

蜜を吸っているのだろうが、もしかしたらこうした鳥が他品種の桜の花粉を受粉させるのかもしれない。

ちなみにメジロは中国語で「白眼鸟(báiyǎnniǎo)」という。日本と形容の仕方が同じである。